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発達障害的、自分を測るものさしが歪んでいるから生きづらい?
~母として当事者として #発達障害 目線での徒然を書いています。発達障害らしさを感じ取って頂けたら嬉しいです。~
学生時代からよく「完璧主義」だと言われていました。
けど、当の本人、完璧主義なつもりはゼロ。
むしろ、こんないい加減な人間がいていいのか、くらいに思ってます。
私、自分自身の能力を客観的にみつめる尺度がどうやら歪んでいるらしいです。
多少できている程度では「できている」範疇に入らず、「ダメダメ」扱いになってしまっている模様。
それも、当の本人はそんなつもりゼロなのですが。
「できていないダメダメな部分」しか見えてこないので、「できている部分」に注目できないのです。
ものすごく意識的に、ものすごく細分化して、ものごく限定的に、ものすごく具体的に、自分の行動を振り返ることでやっと気づくレベル。
その作業がどうしても自動ではできません。
自動で目に入ってくるのは「できていない部分」。
しかも強烈に悪く捉えてしまいます。
だからきっと、周りの人から見れば「完璧主義」に見える?
(↑本人は納得いってない(笑))
例えば、小学生の頃の学校のテスト・・・
・100点=「できた」
・99点以下=「ダメ」
という認識でした。
中学になって徐々にできなくなり、高校に入って全然できなくなって(笑)この尺度は随分まるく改善されました。もはや自分に対する諦めなのだろうけども。
ということは、できないことを認められれば、この尺度は適正化されるのか?
もしかして、まだ「できるようになれる」という伸びしろを持っていると私自身が認識しているから尺度が歪むのか?
いや、全然できないことばかりなんだけど。(←そゆとこ)
自分に対してもゼロ百思考・ALL or NOTHINGなのかもしません。
この自分に対する尺度の歪みこそが、発達障害の生きづらさの大きな部分のようにも感じます。
以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。感謝しています。
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