言葉に出すということ
私の旦那は、『ありがとう』や『ごめん』を言えません。
いや、正しく言えば
“言えないのではなく、言わない”
旦那の実家は、誰も家族間で感謝も謝罪も言葉にしません。
家事は全て義母にしてもらうのが当たり前で、感謝はしてても言わない。
だからなのか、主人は普段の私の家事にも育児にも『ありがとう』を言いません。
言葉が全てじゃない
とは思っても、どれだけ頑張ってもありがとうといってもらえないのは、私の労働は透けて見えてないのかと不安になります。
結婚して数年。何度も話し合って、少しは言えるようになりましたが正直なんでもっと言えないの?と思ってしまいます。
現在、鬱で私は働くことができていません。
家事も育児しかしてません。
社会との繋がりはありません。私を評価してくれる人は家族しかいません。
私の人生は鬱になり、大きく狂いました。もう大きな希望は持てそうにありません。自分が家族以外の人から強く必要とされることはないかもしれません。
そんな中で、自分を求めて、評価してくれる家族の存在は私の生きるために必要な心の栄養です。
『本当に頑張り屋さん。あなたは、よく頑張ってるよ』といつも褒めてくれる母。
常に強く求めてくれる子どもたち。
母や子どもたちは私が生きていていいんだと思わせてくれる存在です。
旦那はもしかして私のこと深く愛してくれているのかもしれない。でも、実際それは私には分かりません。
だって、言葉で伝えられることはないから。
優しいし、病気について咎められることもありません。大切にしてもらってるのかもしれません。
でも、私はいつだって不安です。
言葉だけで、気持ちがなかったら意味がないということもあるでしょう。
口だけうまいという人もいるでしょう。
それでも私は聞きたいです。
『ありがとう』
『ごめんね』
『すきだよ』
と。言葉に出すのって大切です。