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30歳、仕事で大事にしたいこと

最近仕事観がアップデートされたと思うことがちょこちょこあったので、ログ。



仕事は言語学習と似ている

言語は試行錯誤を繰り返しながら、まずヒアリング・リーディングができるようになり、「何を言っているかが分かる」ようになる。

で、その後にライティング・スピーキングができるようになり、「他の人に伝えることが」できるようになる。

このステップは仕事でも一緒だなあと思った。

コンサルは経験したことがないながら出身者の多い会社で働き、ロジカルシンキング・スピーキング・ライティングは共通コミュニケーションなのだけれど、
メーカーから来た新人のOJTをした時にまじで話が通じなかった。

最近になってロジカルシンキングがボトルネックだと気付き、色々仕込むようにしたところ、まだ何を言っているかは分からないが、新人から「ayoさんが何を言っているのか分かるようになってきた」と言われた。

まず第一歩、ヒアリング・リーディングができるようになってきたのである。

このステップは私もチャレンジをする時も意識していこうと思った。

最速で価値を出せるようになる=スピーキング・ライティングができるようになることを重視しがちなのだけれど、
先にヒアリング・リーディングができるようになるはずなので、
そのステップをおろそかにしてしまうと「何を言っているかが分からない人」が出来上がってしまうんだよな。



素直さはまじで大事

今3社目なのだけど、やっぱり入ってすぐに評価される人は、1社目の採用基準としても明言されていた「素直な人」であるような気がする。

会社が変わった時点で共通言語が多かれ少なかれ異なることは当然なので、素直にそのタイミングで分からないことは分からないと言うべきで。
たまにある「何が分からないから分からない」も分かるんだけど、それ自体を言う素直さって大事。

分からないのに「つまりこういうことですよね?」と言ってその内容が全く的をいていなかったときのガッカリ感はすごい。
正直こいつもういいや、時間の無駄。手に負えねーよ。なんで採用したんだよ人事。と思ってしまう。

逆に分かってないということを明言した上で、間違っているかもしれないのですがこういうことですか?と言われると、
ああ、そうなるってことはここが理解できてないですね、
と教えてもらえるコミュニケーションになる。

判断基準が共通してきて、分からないところは聞ける人だと思われればあとはもう仕事を任せてもらうまで時間はかからない。
そしてそのスピード自体が評価につながる。




コミュケーションほんとに大事

最近コーチングを受けているのだけれど、本当に受けて良かったなと思っている。
なお最初に受けるよう指示を受けてから、半年程度放置していたのは完全に怠惰であり、not素直さであり、大変反省しているところ。

で、これまで2回受けたそのセッションでは、私の考えは合理的なんだけどそれ相手に伝えられてなくない?が明らかになった。

つまりたとえば、上述の素直じゃない新人に対して、こいつ厳しいわと判断する前に、
「あなたのそのスタンスは、あなたにとって損である」ということをお伝えしなさいよということ。

私は人に寄り添うことが苦手だし、見た目もとっつきにくいので、なおのこと自分から歩み寄りをしないとコミュケーションの溝は埋まらない。
結果的にその新人をクビにしたとして、人手不足で困るのは私であり私の組織である。

私の考えというのは、コミュニケーションをとって初めて合理的になるのである。

それに気づいて新人と膝突き合わせて話したら、
急に新人もやる気が出てきているように見える今日この頃。

私は結構仕事に対して厳しすぎるとか、求めすぎるとかをたまに言われていて、
それに対する解は「諦めること」だと思っていたのだけれど(そう上司からいわれたこともあるけれど)、
そうじゃなくて「対話すること」が大事だと思った。


愛と感謝を持って仕事に取り組みたい⇄愛と感謝を持てる仕事をしたい

そんな感じの部下との関わりでの学びがありつつ、さらに二つ、仕事というものに対して考える出来事があった。


一つは反面教師。
銀行出身の人がある事業に入って上場をしようとしたが、失敗した話。

その事業のジャンルは私も趣味として好きなものだったので聞いたが、小噺も浅いものや誤っているものばかり。明らかに興味がなかったんだろう。
そりゃあ失敗しますでしょうよ。と思ってしまった。

事業への愛、大事だよな〜。と、うっかり興味がない業界に入ってしまって1年経たずやめた自分の過去と共に学ぶ。


二つ目はこの前亡くなった祖父の話。

戦争を経験した祖父は、戦後のもろもろも乗り越え多くの人に尊敬される人になったのだけれど、
遺言の中に「困難もあったが仕事に恵まれ、…」という言葉があった。

生きるか死ぬか、食えるか食えないかを経験している祖父のその一行は文字数以上の重みがあった。
思えば恵まれた時代である。職がある。職が選べる。

もちろん真面目で誠実で厳しい祖父だったので、当時の中でも仕事に恵まれた、の順番なのだけれども、
どちらに重きを置くか。

今の私はやはり「自分が評価されるに値することをした」「自分の選択が良かった」とかに思考は寄りがちなのだけれど、
少なくとも他の人に言う時は「恵まれた」と言った方が、なんていうか、人間として成熟しているように思えた。

そして願わくば、自分の遺言には心から、「仕事に恵まれた」と書きたいものである。



おわり。

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