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転職、退職、社会不適合、鬱からの無職の爆誕⑥大きな挫折と抑うつ

前回、調子に乗って、頭を物理的にも人間的にも打っちゃった話の続きです

小さな挫折はたくさんあったけど…

入院したくない。はやく実習にもどらなきゃ。という焦り

救命センターで頭をぱっくりいったのを縫ってもらった後、入院は断固として拒否し、無理やり日本語学校の寮に帰った。

かけつけた父も、指導員も、自宅での療養か一日でも入院をすすめたが、
私の強い希望と、医師の判断:検査の結果で脳に器質的な異常がなく傷は縫って意識もはっきりしているし帰ってもいいしもし心配なら入院してもいいよとのことでの判断だった。自分で歩けるし。

寮の部屋は二人部屋で、別の国に派遣予定の同期の女の子が、血でパリパリに固まったわたしの髪の毛を濡れタオルで丁寧に拭いてくれた。

涙が出た。情けなくて。
 

わたしは一人で気息巻いて、一番になりたくて空回りしていただけで、同期のみんなはずっと私に優しくしてくれていたし、みんなで頑張って研修を終えてそれぞれの国でがんばろう、という意識で、大人だった。

そんなみんなに対して私だけが特別に優秀であろうとするなんて、だれよりも優れているという確証を得るなんて全く必要なかったのだ。



内定取り消し後の待遇、処遇

内定取り消しが決定的で覆されないと正確に決まった日、わたしの心は苦しくて悔しくて情けなくて嵐のようだった。

時間を巻き戻せるならやり直したい、
自分の横柄な態度を直したい、
謙虚であろうとする心を取り戻したい、
みんなと一緒に研修を終えて自分の担当のNYの学校に行きたかった。でももう決まってしまった。

どうあがいても行けない。でも研修期間は残っている。契約は2年だ。

残りのカリキュラムは、派遣に行けないとわかっているのに、形式上同じように受講し、以前と同じように教壇にたち、それ以外は課の仕事をする。
派遣予定の同期たちに交じって。

なんて酷なことを
それなら契約なんてきって、むりやりやめさせてくれればいいのに。


現場復帰したものの・・・

抜糸もおわり、検査でも異常が,なかったので、2週間ほどで復帰。
あんなことがあっても、現場の人たちも同期もやさしく迎えてくれて人間関係もすごくよかった。

この場所でのこりの期間を全うして、同期の派遣を見送りたい気持ちと、

わたしはもう日本語教師として海外での活躍が絶たれたのに、どうせNYにいけないのに、なんでここにいるんだろう?

ってごちゃまぜだった。


そんな日々を送るうちに、だんだんと夜が眠れなくなり、涙が止まらないし、みんながわたしのことを悪く言っているように感じる。
急に過呼吸になってしまうし、お菓子を大量に食べては吐いたり
した。


あきらかにおかしい。健全な精神状態ではなかったけど、そのときはわからなかった。

だんだんおいつめられ余裕がなくなった私は、人に対して攻撃的になりイライラとどこへぶつけていいかわからない怒りのようなもので最悪な態度だったと思う。

ある日はビルの7階に上ったり、
真冬の雪の降る夜に薄着で道に寝転んでいたりした。
自傷行為もあった。

それに気づいた周囲や父が、さすがにやばいとおもったのか、わたしは精神科につれて行かれた。


不穏ですねぇ・・・・
次回、閉鎖病棟に入院?!です。うま子、病んでますね。

続きです!!


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うま子・ファンタジー
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