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“ふれあう”こと、テキストの交流がもつ可能性についてのお話
少々また、教育とは少し違うお話です。
とはいえ子供たちにもどう思うか聞いてみたいようなこと。
今日も私のnoteを開いてくださって、ありがとうございます♡
最後まで読んで頂けると嬉しいです。
* *
ここ数日でnoteをたくさん読みました。
フォローさせて頂いてる方の過去記事や、
スキを下さった初めましての方の記事、
オススメからお邪魔したり、
辿っていくと素敵な記事との出逢いがいっぱいありました。
読み漁る、まさにそんな感じ。
読んで読んで
コメントして、やり取りして下さったり
知らない事を教えて頂けたり、優しくしてもらったり、、
それはそれで楽しくて、自分の投稿がどんどん、できなくなっていました。汗
毎日がやる事だらけで精一杯になりがちの中でも、すきなこと、したいこと、の時間を意識して作らないと、全部が嫌になっちゃうワガママな私で、早朝、お風呂、寝る前の自分時間を確保していまして、noteはその時間に開きます。
というわけで、
最近投稿していなかった間にも、
私はそこそこnoteにくっついていました。
また、心に刺さる本と何冊か出逢っていました。
そこで感じたことがいくつかあって
よし!記事にしようと思いました。
今回はまず、そのうちの一つ。
『ふれあうこと、言葉だけの交流・繋がりについて』について記事にしようと思います。
いつもの長い前置き、ここまで。笑
* *
テキストだけの交流の可能性は無限大♾
記事にコメントをよくして下さる方がいてくれます。とっても嬉しく思っています。
私も、コメントせずにはいられない素敵な記事を書かれておられるnoterさんには、ついつい毎回残してしまいます。
お逢いしたこともなく顔もわからないけれど、
もう知った気になっているこの不思議さ。
日々、くたくたになること多いんですが、noteを開くといてくれる、記事がそこにあってホッとする、、
なんて表すのかなぁ、、
うーん、、、、
家帰ってきた!って感じ?
いや、なんかちがうなぁ、、
あ、ほら、こんな時も
『あの方だったらなんて表現するかなぁ』って、とあるnoterさんのことを思い浮かべる。笑
この不思議な繋がりは今の時代だからこその新しい形の一つなんですよね。
もちろんよく交流して下さる人ばかりでなく、私がただよく拝読している方も然りです。
テキストだけで交流して頂いてるnoterさんたち。
年齢も職業も性別も住んでいる所もバラバラ。
顔も背丈も何も知らない。
どこかですれ違っても、お互い全然知らん人って感じでノーマークだろうな。
うーん、不思議!
毎日、毎週、毎月、
気持ちや発見、写真や詩、
教育のこと、学校のこと、
食べたもの、焼いたもの、
頑張ったこと、キュンとしたこと、
思い出話、趣味や作品、
思考など、、
いろーんなことを伝えてくれて、それを楽しく有難く拝読して、生活に弾みをつけています。
SNS凄いですよね。
普通に生活していたら、絶対に出逢わない人に出逢えるんですもん。
みなさんのアウトプットを拝読して、みなさんを知った気になってます。
もう、知り合い気分。
すみません、いいですか?それでも。笑
* *
さて、文字・言葉だけでどこまで人と人はお付き合いができるのか。
実際に会う事なく、どこまで深く交流ができるのか。その可能性を私は深掘りしたくなりました。
話がとても合ったり
趣味、思考、目指すものが同じだったり
共通点が見つかると、
話も楽しくて、もっと知りたくなるし
聞きたくなってしまいます。
会わなくても
声を聞かなくても
言葉・文章だけで心にふれて、ふれられて、
癒される、元気をもらえる、
毎日が少し楽しくなる。
実際にお会いしてなくても
文章や、文脈、noteの投稿から醸し出る雰囲気から充分に魅力を感じます。
もう、それって
交流として、繋がりとしては
充分だと思いませんか?
充分な、ふれあいですよね。
直接会ったり
手をつないだり
抱きしめたりしなくても、
言葉が心にふれて
嬉しい気持ちや温かい気持ちになり
エネルギーになる事、
癒される事がnoteを始めてからよくあります。
生活に弾みが出ると書きましたがまさに、そうなんですよ。
これはアウトプットする事で自分自身の頭や心の整理が出来たからだけでなく、そこに『言葉の交流』があることも一つだと思うんです。
それに、、
言葉や文章って、書いてあるものを読んだ時の
受け取り方って自由でしょう?笑
例えばですよ、
元気出ました!ってコメントで喜びを伝えた時
『私はただ楽しく書いただけで、そんな風に思ってもらえてよかった』
ってお返事頂くことがあります。
書き手と読み手。
書き手の意図と、読み手の受け取り方が違うことは多々あると思います。
そこにおこる絶妙なズレが結果的に双方が嬉しく思う効果をもたらすことも、、ありますよね。
『ふれあい』は、肌と肌、目線を交わさなくても温もりが直接伝わらなくても、出来るんだと、私は思いたいんです。
『言葉だけのつながりの可能性』は広大無辺。
* *
私は、私の言葉や文章で人を癒せたりほぐせたり、贅沢をいえば、『聞いてもらいたいな、話してもらいたいな』って言われるような人に憧れます。
私には、そんな人がいてくれるから、
私もそうなりたい。
誰かの心に、
傷ついていたら手当てのようにふれて、
寂しがってたら包んだり、
面白いこと言ってくれたら一緒に笑ったり、
得意を発信してくれていたら学んだり
そんな風にしてお互いの好きな時に、好きなだけのやりとりをする。
言葉でゆるっと繋がりを続けて、私のそれが誰かのエネルギーになり、ちょっとその瞬間笑えたり嬉しかったりしてもらえたら、幸せだなー。
ふらっと立ち寄ってもらう。
ここにきたら、このnote読んだら
なんか癒されるなぁ。
元気でるなぁ。
っていう、、
そうだなぁ、、
どんな感じかなぁ。
『クラブあゆ』
、、、いやこれだと、偏る
『スナックあゆ』
もっと偏る。
『BAR ayu』
そうじゃないんだよなー、、、
『駐在所ayu』
気軽に来れない。。
、、、、。
、、、、、。
上手くまとめたかったけど
どれもちがう。
なんか違うし
全部変だった。笑
まとめられなかった。どうしよう。
みなさんには伝わっていますように。。
(最後甘えた。人任せ。すみません。)
(そもそも投稿がまちまちのくせに)
(閉店してる日、多すぎる)
テキストだけの交流の可能性、文字だけでのふれあい、みなさんはどう思われましたでしょうか。
繋がってくださってる皆さんに心から感謝しています。
いつも、エネルギーたっぷり頂いています♡
私も、少しでも誰かのお役に立てていたら本望です。
* *
“ふれる、さわる”
というワードは、私がずっと学びをいただいているnoterのたいたけさんが、雑記としてシリーズで綴られていた中の一部です。
同じようで同じでない言葉を深掘りし、
発展させていく内容に夢中になり、私もそれについて思いを巡らせていました。
同じ空間にいることができなくても
それをしなくても、
近づきすぎなくても、
ふれあうことができて、
ふれあいの先にお互いの喜びとか
楽しさが生まれたら、、、?
それって、嬉しくないですか♡
「ふれる」は人間的で、想いだったり意志がわずかでも通いあっているイメージが含まれている
テキストだけの交流でも、お互いの一部を知り合って、あぁ好きだなあ、素敵だなぁ、面白いなぁ、、なんて言いながらコメントでやりとりする。
そのふれあいは、そこでしかできない、
そこだからできる唯一の交流なんじゃないかなと、思っていて、もっと豊かになっていけばと可能性を感じている、そんなところです。
どんな人かな〜って
頭の中は自由ですから、
勝手に想像してもいいんだし。笑
私のことだって交流して下さる方たちが
どんな想像してくれてるか、
気になるけど、それも面白いですよね。笑
どんな形であっても『出逢えてよかった』『いてくれてよかった』そんな風に思ってもらえる人になりたいなと、思っています。
まずは、文章を書く事ができてnoteを綴り続け、発信し続けている時点で、土台からnoterさんたちが好きでとても尊敬しています。
noteを始めて、みなさんと出逢えて、交流できてよかったって心から思っています。
みなさんが大切に綴ったnoteはスキやコメントを通してどんどん発展していきます。
あらためてこれからもよろしくお願いします。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました♡
* *
今回、親愛なるnoterまと。さんの企画に参加させていただきました!
(まとまるさん、勝手に便乗して私の中の副音声さん使ってみました。ゴメンナサイ)
尊敬する方の企画に参加し、
尊敬する方の記事を紹介させて頂きました。
まとまるさん、たいたけさん、
いつもいつも本当にありがとうございます。
期間中、また参加させていただく気満々です。笑