【読書感想文】「利他とは何か」を読んで
こんにちは。
西園寺えるです。
16パーソナリティINFPの人にぜひと思った本の感想です。
実は私はここ数年読書に対して拒否反応が出ていて。
かろうじて読めて漫画。漫画も今は読んでない。
でもついに目が向き、ちゃんとした、文字だけが書かれた本を読み切ることができました。
嬉しい。ほんとに。
読書できるようになったのはnote様様
ひとえにnoteのおかげです。
アウトプットが足りなくて爆発したのが先だった私を、みなさんのスキで支えてもらって。
良質なあたたかい文章で「文字だけを読む行為」を少しずつさせてくれて、ついに新書一冊だけど、完走できるまでにさせてくれた。
理解できないところがあっても、いったん飛ばして、とりあえず最後まで読む、ということができた。
うれしい!!!
もともとは、本好きなんですよ。
読むのはとても遅いけど。
理解できないことがあると、理解できるまで繰り返し読んで先に進めないタイプだった。
でも、それもやめて、とりあえず読んでみたよ。
激長前置き失礼しました。
「利他」とは
読んだ本はコチラ。
図書館で借りてきた。
私は「人の役に立ちたい」という軸で生きてきたけど、
ここにきてどうしたらいいかわからなくなって、
今ジタバタしているんですよね。
それは、「人のためにしていると思っている行為が、その人を傷つけたり腐らせたりすることがある」のを実感しているから。
それじゃ人のためと言いつつ、
結局自分の自己実現のためじゃん、って。
だから、「利他」というワードに惹かれました。
同じ研究所所属の、それぞれ専門が異なる5人の著者のオムニバス。
利他について、いろんな切り口から語られていました。
共通するのは、自分が「うつわになる」ということ。
印象深かったポイント。
利他行為を共感ありきで語ると、「自分が共感できない困っている人」のために動けない
利他行為を、「最大多数の最大幸福」的に行おうとすると、数字にとらわれてしまう
「自分の行為の結果は、コントロールできない」を忘れないこと
一方的な利他は、支配、上下関係を生む
利他は、自分の意志ではなく、なにか大いなる外の力によって行われる
「うつわ」になること
他人をただ「受け止める」「受け入れる」。
自分の思考や、スケジュール、なんでも、「余白を持つ」。
自分の行為はすべてが自分の意志で行われるものではない、
理論で説明できない、大きな力の「うつわ」となって行為している。
興味深かったのは、自己を尽くした人だけが、自己の無力を知り、他力を感じられる、というところ。
ほあ~なるほど。
たくさん努力や研究をして、真に自己の限界を感じたひとこそたどり着けるステージというわけだ。
言わんとしてることはわかる。
だが私は今ジタバタしてるだけで、
まだまだ自己を尽くしたとは言えないなあ。
そこからの世界、とても見たい!
数字や意志を神格化しすぎた近代
なんでも、論理的に説明しないといけない、
理屈や数字で説明できないといけない、
それができない私はダメなんだ、と思っていたけど。
そもそも、人間が理解して説明できるもののほうが
圧倒的に少なく、現実は論理が通ってないことがたくさんある。と。
たしかに。
全部ことばで説明「できる」と思うことのほうが、
よっぽど傲慢で不自然なことだ。
逆にいうと、
「なんかわかんないけど、助けてあげたいから」
という理由で行動したって、いいわけだ。
そう感じた、そう身体が動いたのだから!と。
自分の行動原理が、
すべて説明できるものじゃなくていいんだ。
というのが、大きな発見。
私の意識に落とし込むこと
最近、本を読むだけで自分がなにも変わらなければ読んでいる意味がない、みたいなことを見て、納得しているので、
私の意識が変わったこと、変えたいことをめもめもします。
自分の行為の結果までコントロールしようとしない。
余白を持つ。
全部ことばにできなくてもいい。
相手に、信頼して任せる。口や手を出しすぎない。
「支援」が「支配」にならないように。
「息子のため」を考える
私が最近もやもやしていたのは、
「他人を全肯定することは利他なのか?」
ということ。
もっというと、
「全肯定して受け入れることは、
本当にその人の自己肯定感を上げるのか?」
恥ずかしい話をしますね(いつもしてるけど)
私は子どものころから外面や体裁がよく、日常生活はままならない、世話を焼いてもらう、誰かに保護してもらう、という生き方をしています。
母がそうだったから。
彼氏にも私のことを全肯定してくれるような人を選んでいたように思います。
今まで、たくさんたくさん肯定してもらって生きてきて、確かに分厚い自己愛はある。
なのになんで私の自己肯定感は低いんだ???
理由のひとつは、私の「子どもらしさ」を肯定されていると感じるから。
保護される対象で居続けないと愛されないと私が思い込んでしまったから。
そして、この精神性は育児と相性が悪い。
保護されるよう無意識に立ち回っていたのが、
自分が保護する側に回るわけだからそりゃそうだ。
自分も身のまわりのことに興味ないのに、できないのに、息子に教えたり、促したり、しないといけない。
過保護寄りのやってもらう経験が多く、
私も自分がされたように、
息子に「やってあげて」しまう。
しかもイライラしながら。
人のせいにするわけじゃないけど、
母や歴代のパートナーは世話焼きで、
全部できないほうが愛されている感じがした。
(外ではしっかり者だったので、2人の時にいろいろできないほうがギャップがあって魅力的なんだろうね)
だから、私は裁縫や料理はできない、電化製品のセッティングはできない、と演じて甘えているうちに、本当にできなくなってしまった。
こんなんじゃだめだ、息子のためにならない、
どうしようどうしよう。
息子が私と同じように育ってしまう。
と思っていた。
息子は現状3歳半でひとりっこ。
夫とは男兄弟のようにおもちゃを取り合って喧嘩したりする。
親なんだから譲りなよ、って思ってたけど。
それも息子に経験させるという意味で、必要では?
つまり、私のできない部分を変に隠さず、
息子にも「お世話してもらう」。
それって、子どもにとって自分の存在価値を感じたり、自己肯定感が上がったりするのでは。
下の兄弟が現状いない分、私が「お世話される」役割も担えばいいのでは。
「ママもできないことがあるんだ、僕も完璧じゃなくていいんだ」を、背中で語りたい。
そう思ったら気が楽で。
勿論息子が「お母さんは僕が支えなくちゃ」とまで思わせないように加減はありますが…
「なんでも私がやってあげる」ことは息子のためではない。
耳タコだしわかってるつもりだったけど、
日々の忙しさを理由に目をつぶっていた感じがする。
すごい話が本題からずれているがもう戻せないので、
恥ずかしながらこのまま世に出す。
これも経験…
感想
あー、読書、楽しかった。
うつわになる人生、いいなあと思った。
しかし私の現状とは程遠い。笑
そしてやっぱりまとめは得意じゃない。
思考も現実も、取捨選択→収納が苦手だなー。
もっと上手に要約したい、うまく伝えたい、という気持ちと、
苦手分野にリソースを割くより、もうとりあえず箇条書きからの一点深掘りに集中したら?
という気持ちとないまぜのまま…
これで終わろうと思います。
10年ぶりの、読書感想文でした。
それでは。