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ヨーロッパ芸術祭めぐりの旅でのあれこれ 2017

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アート&カルチャー系のライターがゆく、ヨーロッパ芸術祭めぐり。 2017年は芸術祭のミレニアムイヤー! アテネ&カッセルの2会場で開催中のドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェク…
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2017年7月の記事一覧

お洒落をして笑顔でいれば、ショッピングも食事も、ぐんと楽しい時間になる

朝早めにホステルを抜け出してメトロに乗り、広場の一角にあるカフェでカプチーノとチョコクロワッサンをオーダーした。イタリア人は毎朝、街角のカフェでエスプレッソをぐいと立ち飲みするらしいとは聞いていたが、先客のワンちゃんのお散歩中のマダムがまさにそうで、カップを片手にぐい飲みすると、「グラッツェ、チャオ!」と、お店を出て行かれた。年季が入っていて格好がいい。 朝食後にバスに乗って出かけたのは、イタリアとの国境にほど近いスイス国内のアウトレット・モール、フォックスタウンだ。前日の

観光客らしくツアーバスに乗り込むと、ミラノの美と歴史をぎゅっと堪能できる

とくに予定も立てていないけれど、とりあえず10時には見所が固まっているというドォウーモを目指して出かけることにした。メトロのカルネ(10回券)を買っておいたし宿からも近い。 ドォウーモ前の広場にはケルン大聖堂やサンマルコ広場と変わらずに観光客がどっさりいる。違うのはどうやらドォウーモに入るにはチケットを買わなくってはいけないこと。せっかくだから入りたいけれど、ちょっとめんどくさいので、隣のショッピングモールを散策していたら、市内ツアーの案内所にたどり着いた。ありとあらゆるツ

スーパー、ワンダーランド

ヴェネツィア最後の夜にホステルで、ベルリンで暮らしているというアート学生の日本人女性と一緒になった。 「ヨーロッパでチャレンジしたほうが、自分の価値があがりそうな気がする。ベルリンはクリエイター同士で助け合う気風もあるし、やりやすいんじゃないかしら?」 そう話しかけてみると、 「スタートアップの人が集まりすぎてて、いまは昔ほどは簡単ではないようです。私もフリーで仕事をしたいから、デザインの勉強をしているんですけれど」 と、ちょっと不安そう。まだ勉強段階だし、まだ見ぬ未

ヴェニスの商人とアートのある休日

ぐっすり眠れて目覚めが爽快だ。ホステルで簡単に朝食を済ませると、水上バスに乗って、ヴェネツィア・ビエンナーレのもう一つのメイン会場に向かった。実はこちらが本丸なのである。 GIARDINIとマップ上に記された会場敷地内には、複数の建物が点在している。建物それぞれに国名が記されており、国ごとの展示がされているのだ。まるで小さな文化大使館が建ち並んでいるかのようである。 日本館は吉阪隆正の設計で1956年に建てられた。この敷地内最後の建築用地を割り当てられてのことだったそう。

アート界のオリンピック。ヴェネツィア・ビエンナーレとアートのディズニーランド化現象

前日に早めに休んだので、機嫌よく起きてヴェネツィア・ビエンナーレの会場に向かった。 ヴェネツィア・ビエンナーレとは、2年に1度行われる「アート界のオリンピック」と呼ばれる大型国際展で、国ごとに展示が行われる。日本の場合、毎回まずキュレーターを選出して、そのキュレーターが作家を選出する形で展覧会を組み立てるのが通例だ。ヴェネツィア・ビエンナーレに選出されるのは非常に名誉なことなのだ。 10時過ぎには会場について、マップと48時間チケットを手に入れた。 メイン会場は2箇所。

ヴェネツィア中心市街地のコインランドリーは30分で6ユーロ

ヴェネツィアに到着してすぐに、ヴェネツィア・ビエンナーレを観に行ったかといったら、そうでもなく、結局1日ぶらぶらと過ごしてしまった。 疲れが抜け切らずになんだかイライラとするのと、「洗濯」と「両替」という大事な仕事があったからだ。長旅なので洗濯は必須だし、ホステルの支払いでカードが使えずに現金がなくなってしまった。 いつもはホステルの洗濯機を借りて洗濯をするのに、ヴェネツィアで選んだホステルはケチなことに「洗濯機を使ったらだめ」というのだ。移動後、宿や街になれるために一息

若きアーティストが、創作と経済活動の間で難しさを抱えるのは、どこでもおなじ

旅の日課にしているnoteの記事だが、はじめて1日空けてしまった。1日かけて鉄道で移動していたためだ。ベルリン中央駅を朝6時27分に出発する鉄道に乗り込んで6時間かけてミュンヘンへ。乗り換えてさらに6時間でイタリアのベローナに着く。そこから1時間でヴェネツィアだ。ちょうど夕暮れ時に到着した水の都ヴェネツィアは、最高の景色。水上バスで移動してホステルにたどりついたのは22時だった。 鉄道移動の後半では6人掛けの個室をほぼ1人で使えたので、寝っ転がって本を読んだり、マキとトーマ

ベルリンはいま、ジェントリフィケーションの終わりの季節を迎えている

ついつい夜中まで話し込んでしまうので、起床時間が遅くなる。昼ごろまでマキと彼女のパートナーのトーマスとキッチンでおしゃべりして過ごした。多くの人がもっと豊かにアートを鑑賞できるようになるために、ポップで楽しい消費的なカルチャーではないアートの本質に触れられるようになるために、何が必要かといったら、もっとダイレクトなコミニケーションやアンダーグラウンドのカルチャーシーンを豊かにしていくことだと、トーマスはいう。彼もアーティストなので、視点が面白い。日本で感じる現代アート周辺の課

ORGANOVINO ご近所の教会でたのしむ、現代音楽とワイン

雨予報だったのに青空が広がるベルリンで目覚めた。晴れ女ぶりも健在だ。マキが作ってくれた朝ごはんをゆっくりと食べながら、見てきた芸術祭の話をしたりして午前中を過ごした。 午後からはマキが進めてくれた市内観光巡回バスに乗ってみた。広いベルリンの街を把握するのに役立つ。プロイセン帝国の首都としての歴史と、その後のナチス統治及び戦争の被害と戦後の分断。街にはしっかりと歴史が刻まれていて興味深い。ベルリンの街はパッチワークのように、モダンで洒落たデザインの四角いビルと、丸みを帯びて装

余白を持てたら、人との関わりが嬉しい

5泊したカッセルのホステルを出る時は、なんだかほんのり寂しかった。中央駅まで行き、ベルリン行きの特急に乗り込むと、電車は満席。しかたなく車両の連結通路にスーツケースを置いて腰掛ける。車窓を流れる田園風景をながめながら、音楽を聞いてぼんやり過ごした。 ほぼ1ヶ月の旅は折り返し地点を過ぎた。 思えば、アテネやミュンスターに滞在していたときには、まだ日本にいた時の感覚が抜けきっていなくて、旅に出るまでの様々な出来事が脳裏をよぎっては、ハラハラしたり、イライラしたりしていた。旅は

民族や国家を超越する対話のはじまりに、アートは存在している

またも快晴だ。 長逗留しているゲストハウスで同室のアジア人の男の子たちと、毎朝晩に顔を合わせるので、なんとなく親近感が出てきた。韓国のアート学生の男の子に、どうやって欧州のアート情報を得るのか尋ねてみたら、「皆きっとSNSでつながっている友人や知人から情報を得ているんだと思う」と教えてくれ、なるほどなぁとひとりごちた。 前日までにほとんどのドクメンタ会場をまわってしまったので、市街地からは少し距離のあるWilhelmshoeheでの映像展示を観に出かけることにした。トラム

漂流する現代アートは先端を極めるべきか、裾野を広げるべきか

朝目が覚めたら、快晴の青空が目に入ってきた。早めに休んだので、身体が軽い。洗濯物を済ませて、朝の支度で大渋滞のホステルのバスルームでなんとか身支度を整えると、ドクメンタ カッセルで4つあるメイン会場のうち、まだ訪れられていなかったノイエ・ガレリーに向かった。 入り口ではパフォーマーが迎えてくれる。 彼女が紹介しているのは、黒色の石鹸。ノイエ・ノイエ・ガレリーでも展示されていたものだ。石鹸作りをアテネの企業や市民と協力しながら行ったこと、単に製品を製造するのではなく、世代を

赤いリップグロス

ドクメンタの2日目は朝からnoteの記事を書いていて、気がつけばホステルのキッチンで12時を迎えてしまった。前日に頭を使いすぎていて、身体がしんどい。もうオフモードでゆるゆるいくしかない。 ホステルを出て、北側の小さな会場をぶらぶらとめぐった。インスタレーションと映像展示がほとんどで、ラジオ放送局もあり、アテネの伝説的なバーを題材にして、夜には実際にバーになる作品もあった。 それにしても、くたくただ。もっとも北側の展示会場NORDSTADPARKで、草花の植栽でできたピラ

アートの傍では、どんな意見でも許容されることが前提だ

旅に出てから毎朝、前日の経験を咀嚼するためにひとつ記事を書くことを日課にしているが、今朝はふたつめの記事も書くことにした。それだけ、5年に一度開催されるごとに世界からアートファンを集めるカッセルでのドクメンタが刺激的なのだ。書くことで咀嚼して、経験を意識に定着させておきたい。 午後はFRIEDERICIAMという、伝統的にドクメンタの会場として使用されている美術館に向かった。ここは、アテネのドクメンタでメイン会場になっていたGreece's National Museum