”意味をデザインする”を考える
概要
ユーザーの視点でニーズを理解し、問題の本質を見極め、解決することは皆さんが日ごろ業務する上でとても重要なことだと言われています。
では、業務やサービスの中で「人間を中心にデザインする」とは一体なんでしょう?
課題解決能力が高い人材が必要だ!デザイン思考だ!と日々、いろんな企業で推進されていますが、解決策を考える前に、目の前にある課題が「本当の問題か?」立ち止まって考えてみてもらえたら、と思い、こんなテーマにしてみました。
(記事の内容は、色んな参考書籍や文献も引用させてもらっております。)
誰しもが、誰かのために、よりよい答えを探求し、創造している
具体的なお話の前に、皆さんも含めた、私たち、サービスを人々へ与える人間としての姿勢について、触れていきたいと思います。
わたしは、デザイナーという立場から、クライアントのサービスやプロダクトの問題解決をしていますが、何かを解決策を生み出すのは、デザイナーだけの特殊技能ではないと思っています。
人々の問題と向き合うすべての人が、毎日何かしら誰かのために、創造をしています。デザイナーにしか出来ない技術や経験もありますが、「誰かのために何かをする」小さな創作は世の中すべての人は既にやっています。世界中の生活者や顧客はニーズと問題を抱えており、その問題をもっと上手に解決するために、みな毎日仕事をしています。
誰もが、作り手です。
デザインの対象は、プロダクトの範囲に留まらず、コミュニティや文化のあり方、国の施策や地球規模まで広がっている。
対象となる人々が増えるほど、たくさんの価値観が存在し、定義するのが難しい。ですが、対象となる「誰か」に合わせて、自分たちは何をすべきか、という進むべき方向性を決めていく必要があります。
未開の地であればあるほど、正解は存在せず、だからこそ、常によりよい答えを探究し続けないといけません。
顧客は「歩く解決すべき問題」?
わたしは「ユーザー」という言葉が苦手です。人として見ていない気がするから、「誰かのため」を忘れてしまいそうになります。
この仕事をしていると、事業開発や、モノゴトを創るとき「XXの課題解決を」「◯◯のニーズが」の視点で話しているのをよく耳にします。
ユーザー中心や人間中心と言いつつ、どこか顧客が、私たちと同じ人であると忘れていないでしょうか?
先ほどのベルガンティ教授も、「歩く解決すべき問題」と捉えていないかと著書の中でも言っています。
HOW(解決手段)の前に、WHY(意味)を熟慮する
そして、これも仕事をする上でよくあるのが解決手段から考えてしまう、ということです。人々にとって、本当に価値のある、意味のあるものは一足飛びに出てきません。
意味をデザインすることが重要なのにも関わらず、立ち止まって問い直すことがとても少ないと感じています。
正解のコモディティ化
私たちが今生きている社会は、とても便利になりましたよね?
ですが、便利になったことにより、手段は標準化され、正解がコモディティ化されています。
正解が溢れる一方、本当に取り組むべき「問い」が何なのか、見つけづらくなってしまっている。
問題解決能力でなく、問題発見能力が必要
日々の仕事の中では、新しい商品・サービスの開発や事業開発、運用の改善などさまざまなシーンで多様な問題に向き合いますよね?
「どのように新しい○○をつくるか?」
「どのように○○を変更するか?」
そのような問題に、真っ正面から解決しようとしていませんか?
改めて、根本の問題はなんなのか?を捉え直し、再定義することが、人々にとって価値のアイデアに繋がります。
根本の問題を発見するには、人々を知り、問いを考え続ける
問題を再定義するには、人々を知る必要があります。
しかし、それを知ろうとしても、現状の「プロダクトで出来ること」からの理想的な答えは、人々(利用者)は、持っていません。
そのため、顕在化している課題解決では、根本的な問題は解決されない。
人々の根幹の不安は何か?
本質的には何を求めているか?
人々が本当に実現したい理想がなんなのか。
解決手段の前に、明らかにしたい問いを立て、欲求の意味を考え、前提となる問いを考える必要あります。
みなさんもピーター・ドラッカー のこの名言はご存知ですよね?
これに対して、アメリカのカリフォルニア大学 デビッド・ティース教授も「解明するには時間がかかる。簡単にできることなら、とっくに誰かが解明しているはずだ。」と言っています。
先日公開されたNewspicksでの高岡さんのイノベーション道場でも、「イノベーションは市場調査から生まれない。大体はリノベーションだ」とおっしゃってました。
では、どうやって問題を見つけるか?
とても難しいことですが、ヒントになればと思い、いくつかご紹介します。
1.問題を様々な角度から捉え直す
問題を再定義するには、まず、人々の内在している問題を発見しなければなりません。そのためには、以下の3つのことが必要だと考えています。
頭の中の物差しを捨てる
虫の目・鳥の目・魚の目で問題提起を行う
様々な角度からアブダクションで考える
頭の中の物差しを捨てる
内在している問題を発見するには、人々を観察し、そしてその事象を色んな角度で解釈する必要があります。
しかし、自分の中の常識と、他の人の常識は違いますし、認知バイアスがかかっていることも多くあります。
「人はこう考えるであろう」「こうゆう風に行動するだろう」とか憶測を、そのまま過信しているケースや、人が話している内容から「自分の仮説は正しかった」と1つの側面だけしかみえてないケースもあります。
人は頭の中に「モノサシ」を自然と作って、そのモノサシの中でしか捉えられません。既存のモノサシを捨てる。
まずは、自分の頭の中にも、相手の頭の中にも、「モノサシ」があることを認識してください。
虫の目・鳥の目・魚の目で問題提起を行う
人々を理解する上では様々な観点から問題を見て、「解像度をあげる」必要があります。
根本を探るために、深く探り、広く原因を把握しなければなりません。
異なるアプローチや視点を幅広く検討することで、元々考えていた仮説とは別のところにある原因や可能性に気づくこともあります。
多角的に眺める虫の目
現場に直接行き、情報を仕入れ、多面的に理解する
全体を俯瞰する鳥の目
近視眼的にならず、一度距離をおいて、業界や文化など大きな枠から見直す
背景や文脈から考える魚の目
時代の流れだったり、人々に起きている問題の背景や行動文脈を把握する
例えば、「デジタル化の波に乗って、もっとキャッシュレスを浸透させていかなければならない」という課題があったとします。
浸透しない課題を考えたときに、キャッシュレスの取扱店舗が少ないのかもしれませんし、使いづらいのかもしれませんし、現金主義者は、デジタル上の「お金」が信用出来ないのかもしれません。
そうしたキャッシュレス自体の課題から原因を深堀していくことが通常だと思います。
しかし、もっと広い視野で考えてみるとどうでしょうか?
広い枠組みで複眼的に捉える場合、文化人類学で使われる、エスノグラフィー という調査で生活者を観察したりします。
他にも、数十年その領域で活躍してきた専門家はすでに十分な深さの視点を、身につけているので話を聞いたりも有効です。
Intelなどのアメリカの企業では、実際に人類学者が、顧客の無意識の動機を解明しながら、未来形成に貢献しています。
ただし、これを読んでも、行動に移さないと、先に進みません。
行動をするから、様々な角度からの視点が増えていきます。自分の範囲を広げて行動し、色んな人と対話することで、価値観が増えていきます。そして、集めた情報を使って、問題を解く行動を起さなければ、何も産まれません。
この問題を捉える範囲は、特定の枠組みの中で考えるケースと、枠を設けず未知な問題から開拓していくケースがあります。
特定の枠組みの中で問題を特定する場合
特定の枠組みの中(例えば、サイト・アプリ・カスタマーセンターとか)で、問題を特定する場合にそのプロダクトの中だけで考えてしまい、視野が狭くなってしまうことがあります。
これはUXの分野でよく話される事ですが、
プロダクトや領域を分けて考えず、利用者にとっての一連の体験の中から問題を特定してみてはどうでしょうか。
利用者の利用中だけでなく、サービスを認知する段階から、利用後、また思い出すまでが一連の流れです。
インタビューや行動記録も、特定のプロダクトの利用中のみでリサーチされることが多いですが、もっと広い範囲や時間軸で調べてみると、違った視点がみつかるかもしれません。
新規事業を考える・未解決な領域を開拓していく場合
解決方法の新規企画や、アプリなどのプロダクトを作る、など、最初からやることを考えてしまうことがあります。
もちろん、これも何かの課題解決のために企画しているはずですが、根本の問題を見落としていたり、実は他社がすでに行なっていて人々にとってはイノベーティブなものではない(高岡さんの言葉を借りるならリノベーション)だったりします。
そんなときは一度、大きな抽象度から、人々の課題を捉えていくのはどうでしょうか。
こういった領域で考える時は、複雑な要因が絡み合っている場合があるので、様々な統計データや、時事情報、社会問題などから関連要因を繋いでいくことが大事です。
ここでは、広く捉える必要があるので、人類学で使われるエスノグラフィー調査などが役に立ちます。
2.様々な角度からアブダクションで考える
デザイナーは仮説推論から問題を捉えていることが多いです。
論理的思考でよく聞くのが「帰納法」と「演繹法」。
アブダクションとは、論理的思考の一つで、仮説を立て、わからないことを理解するために、仮説と法則から発見していくことです。
帰納法・演繹法だけでは、多様な価値観やニーズ・要因が絡み合う問題には、要因が複雑に絡みあってしまい、解くことが難しい。
そこで、観察された事実に対して、
様々な仮説を投げかけ、様々な角度でその事実を捉えようとすることで、解決の糸口を見出す。
そして、多様な見方をメタ的に捉えることで、新しい問題を発見したり、アイデアを発散させていきます。
(デザイン思考でよく出てくる、アイデア発散は、単にアイデアをたくさん出せば、良いものが1個は見つかるというものではなく、より精度の高い問いと解決策を見つけるのが前提です。)
メタファーがピンと来ない方へ。
直接的な言語の言い換えの「比喩」ではなく、物事の本質をイメージさせる「隠喩」がメタファー。落語における「~とかけまして…と解く。その心は○○」概念がそれに近い。その心は、というのが共通の本質部分。
先ほどの、メタファーとして捉え、リフレームするやり方として、iPodのプレゼンでイメージしてみてください。
iPodの登場時、iPodは「1000曲の音楽がはいったトランプセット」だと、スティーブ・ジョブズはレトリック的な表現をしました。
「音楽を携帯し、気軽に楽しむ」という文化や新しい価値をトランプで表現しています。
もちろん、SONYのウォークマンの話や、音楽レーベルとのライセンスを独自に構築した背景もありますが、ここでは、企業が成し遂げたいことを、意味を変えてどうメッセージとして届けるか?について紹介しました。
3.意味を再形成する
内在する問題を発見したら、次はその存在の意味を再形成する。
捉え直した問題の本質の部分から、どうあれば良いか?と「存在」を問い直すことです。
わたしは、問題発見までをデザイン思考、その先の「何を提供するべきか」はアート思考で行うのが良いと考えています。
自分の中に問題がない時は、外から問題を取り込む
デザイン思考は、外を観察して得た情報から問題を発見する、内に取り込んでいく「アウトサイドイン」というプロセス。
つまり、「元々外にあった人々の問題を自分に取り込む」ということ。
デザイン思考は、「解決手段を創造的に行う」ことを提唱しているが、自分の中に強い問題意識を持てないと、難しいんじゃないかと思います。
必要なのは、元々自分に持ってなかった課題を、観察して自分ごと化することで、「自分の問題として共感し、どうあったらいいかを考える」ということです。
日本人は、同感したり、同調したりが得意ですが、(シンパシー)、そうではなく、役になり切るように共感(エンパシー)が大事です。
その先は、自分の中にある問題を、人々に提起していく
アート思考は逆に、内から外へ向かう「インサイドアウト」。
自分の問題として捉えた、ユーザーの問題を、外にアウトプットする。
共感し、相手の問題を、泣きそうになるぐらい自分の問題として感じられた時、「力になりたい」と想いはどんどん溢れるはずです。
世の中でイノベーションが起きてる事例も、作り手が世の中に提供したい、自分が欲しいものなど、使命感や情熱があり、体現するには、そのエネルギーが必要です。強い気持ちがないと続かないし、生まれないのです。
ここまでの話の振り返り
人間中心にデザインするには、「誰かのために」ギフトを贈るということを忘れない
創造はデザイナーだけではない、自分たちはいつも創造をしていると自認する
解決手段の前に、今起きていることを色んな角度から解釈し仮説を立てる
問題の本質から、既存の枠を外して求めていることを捉え直す
外で起きている事象から、自分の問題として共感し、何を提供できれば良いかの情熱を生み出す
最後にお伝えしたいのは、デザインは、デザイナーだけが作るものではありません。
そして、自分たちの仕事は、誰の、何のためなのかの目的を忘れず、お互いが対話を繰り返し、モノゴトを一緒に作っていく必要があります。
そうして、みんなが、その「誰か」の問題を、自分の問題として捉え、向き合ったときに、そのサービスは、プロダクトオーナーやデザイナーなど「誰かが作った」のではなく、自分も含めて「皆で作った」と実感できる状態が生まれると思います。
わたしは、それが土台として大事だと感じています。
長文、お読みいいただきありがとうございました。
今日の話が、何かの行動の変化に繋がったら幸いです。