「目に見えるツール」で払う、「目に見えないモノ」の価値 - 『飽き』という心理-
皆さま、こんばんは☕
Ayatetoです。
私は幼い頃から「おみやげ屋さん」が大好きだった。
水族館にしろ、遊園地にしろ、むしろそれがメイン。
後々「形」としてそれらが残るから、「楽しいその日」が過ぎても寂しくないようになのか、オタク気質からくる、コレクター癖からなのか…。
今回は、体験という「コト消費、トキ消費」についての
作文です_🖋
◯ 買ってからも、飽きなかったモノの割合
使うたびに、着るたびに、やっぱりときめきを感じる
「モノや服」をいくつ所持しているだろう💭
"手に入った途端に覚める"
のは、「人間の心理上」仕方がないのでしょうか。
生物学や心理学的に見たときはどうだろう。
よく聞く言葉としては「衝動買い」や「買い物依存症」があげられる。
それらが発生する根本的な理由としては、ストレス発散や快感、達成感…が得られるからだろう。
[モノが手に入る] < [お金を使う、クレカをきる]
買ってしまうことで、「安心」を得られるのですね。
それとも、より"心の面"として見るべきなのだろうか…
現状維持、欲しいものが苦労なく手に入る感覚。
『安心 = 思考停止』
転職や自己分析をする機会がより身近で、そろそろ子育てにも入る人が多い世代の先頭には、実感しやすいだろう。
現状維持の危険性に気づいている人も多く、ぬるま湯がいずれ冷えきる可能性や、これらの心理から、これから世に出る「愛すべき我が子」へはどのように接していくのかなど…
ライフスタイルに反映できることも多々あると思う。
もし、昔と変わらず今でも「お気に入りのモノ」
触れると「ときめくモノ」があるとしたら、
その "変わらないモノ" とは何だろ??
◯ 目に見えるツール「お金」の価値
金、銀、銅、紙、カード、数字…。
お金はツール。だけど人生というゲームの中では
充実度や生活、命にも関わるとても大事なアイテム。
昔でいうと、『貝殻』
"それ自体"に価値がないことは、みんな薄々気づいているが、ごく稀にその"境界線"の区別がつかず、迷子になってしまう人もいる。
そもそも、そのアイテムでは何が叶えられるだろう。
おそらく、全てが叶うわけではないから、お金を持ちすぎた人の中には、"普通の暮らし"をしている人よりも満たされない人が存在しているのだと思う。
まず、代表的なものに『良いモノにふれられる』点がある。衣食住、文化、旅行、体験…
各業界で、「天才、秀才」と呼ばれる人たちの努力と運の結晶。質の良い"創造"とふれあうのも、お金というツールが必要だ。
その他、日本ではあまり体感しづらいが、『安全な環境にいられる』点もある。
また、より良く生きる為の『教育を受けられる』など…
しかし、いい学校を出たからといって一流になれるとは限らないが。これに関して言えば、運や性格、人生、出会った人などにも作用されるので、さすがのツールでもある種のギャンブルだ。
"お金"という「ツール」は一見、何でも叶えられそうにもみ見えるが難しいこともあるみたい。
お金と引き換えた『モノ』自体の価値よりも、その背景やストーリーの方にこそ価値があるのではないだろうか_🖋
◯ 目に見えない体験「時間」の価値
1日、数日、数週間。
束の間の「休日」を何に使おう?
「コト消費」の時代とも言われる近年。
お土産や自分へのご褒美に買ったモノとは違い
形として、後には残らない経験。
山登りやキャンプ、ダイビング、陶芸、旅行。
お店を巡り、モノを買って、実際に「使ってみた」という、一連の流れとしての体験、隠れ家バーでのマスターとの時間など…。
『コト消費』にも"いくつか種類"があるようだ。
また、あまり聞き慣れなかった『トキ消費』や『イミ消費』も、ここ10年ほどで生活にも根付いてきた。
いわゆる、SDGsやサステナブルなど。
時間の使い方に「意味やメリット」を求めるのも、私達世代の特徴なのかな、とも稀に思う。
買い物やコミュニティ活動を通しての、社会貢献、
環境保全、動物保護、ものづくりに対して対価を払う。
欲しいもの、必要なものがほとんど無いくらい
良くも悪くも潤っている「現代の日本」。
今回、『エモ消費』といったワードを始めて知ったのですが… なんだか、フィーリングで実感できます 🎞
参考出典〖 https://qeee.jp/magazine/articles/9843 〗
コロナ禍もあってなのか、世間が改めて
「ヒトの繋がり」を求めていると考えると…
なんだか "ないものねだり" の世界です🌏
*
『モノ』の付加価値には、ストーリーの背景が大切。
『コト』や『トキ』『イミ』のようなオプションはもちろん。
『ヒト』も欠かせない。
「モノの消費」に関しては、時代という『トキ』を重ねることでも、"飽きる"という概念が無くなるのではないだろうか_🖋
「形」に残るモノと「記憶」に残るもの。
ちなみに、かつてお土産目的で遊んでいた水族館では、家族連れやカップル、友達と遊びに来ている大衆の中、「イルカと握手ができる権利」を手に入れた。
前に出るタイプではないので、もちろん両親の押し売りで手をあげ立候補していた。
物心があるかないかの幼い頃に、イルカと握手をした
「経験、感触」は未だに覚えている。
どうやら、本当に大切なモノは形でなくても「記憶」として、自分という"ひとり"に保存されているよう🎞
もちろん、その時にもらったモノ
『イルカと握手をした証明書のカード』
も随分永いこと大切にしていた。
_ ayateto.
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