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事実は見えないもの?人の認識と評価について。

私は年々「言葉」に敏感になってきていて、「言葉じり」もすごく気にする。気になる。そして、「仕事の進め方(コミュニケーション)」を観察することも大好物だ。

最近のことだったかもしれないし、すごい昔のことだったかもしれないけれど、今日は、その観察中のある日に気になったこと、を書いてみようと思う。

ある日、Aさんは、Bさんから「きっとこれが決まったら〇〇が必要になるから、先に準備しておいてね。」とアドバイス受け、他の仕事の手を止めて、必要かつ優先度の高い仕事に取り組み始めた。(Bさんのアドバイスをきっかけに)

数分後。

Bさんがいない状況下で、Cさんが現れて「まもなく〇〇が必要になるから準備しておいて。」と言ったら、Aさんが「はい。準備しています。」と言った。そしたら、Cさんが感心したようで「いや~早いなぁ~さすがだぁ!」と大喜びしていた。(Aさんの行動は、Bさんのアドバイスの賜物

Cさんが評価したのはAさんで、Bさんではない。もちろん、このワンシーンを切り取ると、CさんはAさんを評価することは自然なことである。ただ、一部始終を観察していた私は、当然、先まわりして気づいてアドバイスをしているBさんが評価されてほしいと思った。(もちろんすでに十分評価されている人だと思うんだけど)

人それぞれに見えているものがその人にとっての真実で、事実かどうかはわからないってことだよね。

・・・事実って本当に見えるのかな?

人の気持ちも同じだよね。うつむいている人は、「つまらないと思っている」のではなく、「緊張しているから」うつむいているのかもしれないし。伝えないと(言葉にしないと)わからない。だから、人は思いやりをもちながら、対話してわかりあう努力をしていくんじゃないかなぁ。できるだけフラットな気持ちで受け取り合うといいよね。コミュニケーションは一人でするものではなく、必ず相手があることだから。




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