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適応障害になっても変わらない、その人の道徳性

適応障害になり1か月ちょっと
ようやくこの1か月の回復過程を眺められるようになった

その中で気づいたことは
適応障害になっても変わらない、
その人の道徳性ってあるんだな
ということ

それは、過去の自分の記事を読み返してもそう思うし
noteで他の適応障害やうつ病を抱えてる方の記事を読んでも思う
今日はそんな話をしたい


病気発症時、私の記事にあった不思議なもの

先日ひょんなきっかけから
適応障害になった頃の記事を
読むことがあった

当時の私は、病気ゆえに
・物事を悲観的にとらえる
・自罰的傾向が強くなる
そういう部分が派手に見うけられ
「あーあん時、しんどかったよなぁ」とつくづく思った

……と、
そんな感傷にひたる一方
不思議なものも発見した

それは、ユーモアと感謝

なんというか、無理してない「ありがたいなぁ」という心の流れや
自虐的じゃない、自分を笑ってる感じとか

自分が書いた文章ながら
「え、この人どういうこと?」と思った

人の道徳性、病気で弱まっても残存する

なんだか自画自賛してるようで恐縮だが……
当時の自分をよーく思い返してみると

たしかに
「笑うに笑えないけど、笑わざるをえない」とか
「適応障害になったけど、〇〇の点については感謝やわぁ」と
夫に弱弱しくいってたのを思いだした

あれは、無理してない
本当にそう思って言ったことだ

そう気づいたとき
あぁー、自分のユーモアや感謝の念って
その強度は弱まるかもしれないけど
病気になろうが、残っているんだと思った

同じ病気や休職中の方々のnoteの記事

自分の残存している道徳性に気づいた時
もう一つハッとしたことがある

それは、私は病気になってから
noteで自分と同じ状況にある方の文章を読むようになったのだが
その中で読後に感じてたのは、書いてる人の人となりだったということ

うまく言語化できるか分からないけど
私がnoteで感じてきた、病気になっても変わらないその人の道徳性
以下に例をあげてみたい


病気でしんどいはずなのに
家族への思いやりがすごい

この方はいい感じで人を責める感情がもてて
しかもその感情を、社会的に許容される形で表出できるんだなぁ

はたまた、

この人の文章
めちゃくちゃ誠実性に溢れてる
仕事でもこんな誠実なんかなーと思ったり

この方の、内面の動きを凝視する力がすごい
しんどくなりながらも
書くことで自身の感情と自分との距離感を調節できるのかも

ってか、発症後2週間でこんだけ読書できるってすごくない?
その知識欲、どっからくるの?

私だったら、この上司むかつくから、ドバっと顔に出ちゃいそう
だけどこの人は、病気になる直前でも
感情表出の分量を調整できてたのか、等


……まぁ、書いたらキリがない 笑

読ませていただきながら
たぶん私はすべての方に
人となりを感じさせてもらってる

適応障害や不安障害、鬱病がありながらも
その方らしさというか
その人をその人たらしめているものは
そうそう変わらないんだなと思う


そういうのをnoteの日記をとおして
魅させてもらえるのは
私にとって、ほっとする時間だ

最後に

書き終わった後、知った事実
今回の私の気づきは、遠い昔、心理学者セリグマンという人が言っていたそうな 
なんやねーん、はよ教えてやーという感じ
自分が一番に発見した気持ちになってたわ 

まぁまぁ
今日はこんなところで^^

お読みいただき、ありがとうございました◎