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映画「ミッシング」感想。個人の犠牲と世間の距離感

こんにちは。
福岡でテレビショッピングを中心に映像ディレクターをしている別府です。3児の母、共働きのフリーランスです。

今日は先日観た、映画「ミッシング」の感想について。

少子化いや少子ど真ん中で、子育て世帯がマイノリティになりつつある社会(厚生労働省がまとめた「国民生活基礎調査」で平成22年には18歳未満の子どもがいる世帯は991万7000世帯、全体に占める比率は平成元年に41.7%なのが統計開始の1986年以降最下の18.3%と初めて20%を下回る)において、母親とネットや世間との距離感について。
顔のない社会の構成員の一人として、全員に見てほしい映画でした。


映画「ミッシング」とは

個人的にはすごく苦しい映画でした。
素晴らしい映画であり一人でも多くの方に見てほしい映画であることは間違いないのだけど、同じくらいの歳の子供がいてテレビを作る側にいる私としては当事者に感情移入してなんとも複雑な気持ちでした。

とある街で起きた幼女の失踪事件。
あらゆる手を尽くすも、見つからないまま3ヶ月が過ぎていた。
娘・美羽の帰りを待ち続けるも少しずつ世間の関心が薄れていくことに焦る母・沙織里は、夫・豊との温度差から、夫婦喧嘩が絶えない。唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田を頼る日々だった。
そんな中、娘の失踪時に沙織里が推しのアイドルのライブに足を運んでいたことが知られると、ネット上で“育児放棄の母”と誹謗中傷の標的となってしまう。
世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていく。
一方、砂田には局上層部の意向で視聴率獲得の為に、沙織里や、沙織里の弟・圭吾に対する世間の関心を煽るような取材の指示が下ってしまう。
それでも沙織里は「ただただ、娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続ける。その先にある、光に—

映画「ミッシング」公式サイトstoryより

主人公の母親を命を削って熱演された沙織里演じる石原さとみさん、寄り添うような夫役の青木崇高さん、世間と夫婦を繋ぐ第三者感のクールなTV局の砂田を演じる中村倫也さん、この3人のバランス。
そして沙織里の弟役の森優作さんの一般市民の雰囲気。

皆さんの演技のリアルさがとても良かったです。

母親の犠牲

沙織里の心の崩壊が描かれる本作。
子供が失踪した時に弟に娘を預けて好きなアイドルのライブに出かけていた…全然ある、普通にある。
でも世間にはそれが育児放棄だとバッシングされてしまう。

失踪から2年すぎたある日沙織里に警察から子供が見つかった連絡が入る。
歓喜のまま警察にかけつけた夫婦に警察は非情にも「まだ見つかっていません」と。そう、誰かの悪戯電話だったのだ。
見つかった喜びから一変現実に引き戻されるシーン、感情が高まりお漏らしと叫びと壮絶な石原さとみさんの演技。ここまでやるか。やる。
現実はもっと酷いことが山ほどあると思う。

普段の生活もほとんど子供のことを考えて犠牲にして生きている。
子供がいなくなっても正しい母親を求められる。

母親の犠牲、大きすぎません?

そもそもあるべき姿を他人に求められることが多すぎる気がする。

弱者ほど、顔が見えない世間様にこう行動せよ、こう発言せよと無言の圧がかかっている、かけているという状況にそろそろみんなが気づくべきだと思いました。

例えばテレビで障がい者が頑張る美談が出て来れば、母親の献身的な愛とか求められる。個人に負担を背負わせて心折れても他人は手を差し伸べない。自分さえ良ければ良い。自分も苦労している、大変だ。
じゃあその苦労や大変さの吐け口に弱者がなっていいはずは絶対にないはずだ。

私も子供を育てながら、無言の圧をたくさん感じてきた。
そこには圧倒的な他人感。当事者しかわからない孤独。そう孤独なのだ。
夫婦であっても他人、心の孤独を抱えて少子化へ進む。

本作ではその描写が細かく丁寧に描かれていて、苦しくなる。

マスコミの存在

撮影カメラマンや局内の上司、それらと記者の砂田との距離感も絶妙。
カメラマンはインパクトがある映像が撮りたい、上司は数字が取れるエピソードにシナリオを寄せたがる。
そこに、夫婦に寄り添いたい記者の砂田の葛藤。

私もテレビショッピングの監督をしているのでよくあるあるです。この構図。テレビ的に視聴者はテレビを見ながらそんなに集中して見ているわけではないし意図せず違う誤解を招く表現を言い直しをお願いすることもたまにあります。
(沙織里がインタビューで「なんでもないようなことが幸せだったと思う」と言うとカメラマンが「今のは歌を思い出させるから言い直してもらいましょう」と止めるなど)

誰かが楽しむコンテンツを作り上げ、世間を作るマスコミ。
スタッフ一人一人はその意識がなくても顔のないマスコミや世間という大きなものを作り出して個人は踊らされてしまう。

この個人と巨大な大多数の距離感。
この苦しさが痛いほど感じられる作品でした。

地獄の中の救い

映画の後半、事件からの時間経過により、沙織里には子供がいた頃を思い出す余裕が日常に訪れ、少しだけ光を差す。
やはり心の傷を癒すのは時間だけなんだなと思いました。

人間は強い。

苦しいこと悲しいこと。「傷」がその人の個性になる。

辛いことがあったら、苦しんでも心が崩壊しても、生きていれば時間がいつか癒してくれる。

どんな地獄にもいつか差す光の方へ。
そんな救いも最後感じ、色々な意味で皆さんに見てほしい映画です。

そしてお願いです。
母親に限らず知らない個人をネットで誹謗中傷して攻撃するその手を、辞めませんか?
自分の人生でイライラしたり疲れたりすることもあるでしょう。
でもあなたの反撃を弱い人へ向けるのは違うと思います。

誹謗中傷のもうひとつの原因、それは理解の解像度の低さにあるのではないでしょうか?

お金持ちだって羨んでも妬んでも、ただ幸せいっぱいだけじゃありません。
遠くから見るだけでは青い芝生も、近寄って観たら色んな綻びがあることも。
理解の解像度をあげるためには近寄ってみること、知ること。
この映画では痛いほど近寄って辛さを知ることが出来ます。

私自身も少し考える余裕を、自分への優しさを持ちたいと思います。


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別府 綾/映像ディレクター
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