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女たちのNO!売れ残り!大作戦〜男に好かれるために命がけな女たち〜

「愛され女になるための◯◯のルール」
「最強にモテる話し方」
書店に行くと平積みにされたこんなタイトルによく出会う。

電車に乗れば結婚相談所やマッチングアプリの広告がこっちを見ているし、ネットサーフィンをしていると
「30代でも間に合う婚活必勝法」なんていう
大変有り難い広告まで追いかけてくる。

ネット広告とは大変優秀で、
検索主の性別年齢、既婚未婚までを
ありとあらゆる方法を駆使して入手し、
「ほら、あなたはこれが欲しいんでしょ?」
と非常に魅力的な言葉でアプローチしてくる。

IT業界で長く働いている私はネット広告の裏側を知りすぎており、
あまり広告をクリックする気になれないのだが今回は負けた。
婚活必勝法とはなんぞや?
私は早くその先を知りたくてたまらなかった。

ページを開くとそこには多くのルールが書かれていた。
男に守られる儚げモテメイク法に、男性ウケの良いファッション、
初デートのトーク集に、LINEの返し方。
まだある、セックスまでのデートの回数に、
男性ウケの良い話し方、そして男性ウケの良い笑い方まで。
もっと知りたい人は婚活必勝講座においでください、そう書いてあった。

女たちはいったい誰のためにここまで努力をし、
自分ではない他の誰かになりたがるのか。
多様性が歌われる令和の時代に今も尚はびこる大きな呪い、

”売れ残りは悪”

そんな呪いから逃れるように
今日も女達はまだ見ぬ旦那候補のために自分を殺す。

 
 長い歴史の中で、女は男の奴隷とも言える立場で存在をしていた。
男に意見するなど以ての外、女は慎ましくあるべきで、
女が男を求めることなど世間が許さなかった。

さらにこんな話を聞いたことがある。
昭和初期、適齢期になった娘たちは、
売れ残らないために化粧や着物で着飾って一世一代の宣材写真を撮る。
そして、他の者と差を付けるべく習い事に精を出す。
お料理にお茶にお花。
女達の写真はそこら中にバラまかれ、
お見合いが終わると結婚式までに
1度も会わずに結婚するなどザラにあったそうだ。

なにがなんでも売れ残りたくない!とその一心の女達は、
人身売買とも言えるこの不気味な流れに
微塵も疑問を持たなかったそうだ。

男を支え、子孫を残すために女は品定めをされ結婚市場に売られていく。
女にとって、結婚は許されていたが、恋愛は許されない、
そんな時代があったという。

2022年、今や男女平等を手に入れ、
肉食系女子などという言葉まで出現する時代となった。
逆プロポーズ、鬼嫁、そんな言葉さえ飛び交っている。

だがしかし、
自由を手に入れたはずの”令和の女達”は
果たして本当に自由なのだろうか。

確かに先に書いた昭和の時代に比べると
遥かに多くの事柄を自分で選択できるようになった。

恋に仕事にまさに自由。

だけど私達は知っている。

自由とは非常に不自由であるということを。

自由とは選択の連続だ。
選択とは自分の中から
それを決めるに相応しい材料を探し出す作業である。

でもどうだろう、
列からはみ出る者を悪とする日本の教育の中で育ってきた我々にとって、
周囲に溶け込む術は学んでいても、
”自分がどうしたいのか”、”自分はどう思うのか”、
自分軸で判断することは至難の技である。

故に選択に必要な材料を持ち合わせていない。
自由に生きていくことのできる時代に生を受けたにも関わらず、
自由になるための材料が自分の中にないのだ。

 
 私の友人に不倫を繰り返す女の子がいた。
彼女は美人でスタイルも良く、勉強もできた。
声も高く、顔を傾けながらゆっくり話す彼女の色気は果てしなく、
女の私もグラっと揺れてしまうほどだった。

そんな彼女を周りの男が放っておくわけもなく、
彼女は若くして結婚した。
しかし数ヶ月で離婚。
そして再婚、また離婚。
なんと3年の間に2度も離婚を経験した。

その後彼女は2度既婚者と恋に落ちる。
1度目は30も歳の離れた実業家。
奥さんと長年セックスレスで家での会話もなく
自分は嫁のATMだと卑下するその男が
可哀想で可愛くて愛おしくてたまらなくなったと彼女は言った。

その男は出張と称して彼女の家に泊まり込み、
しまいには月の半分彼女の家に住むようになった。
2人のお気に入りが1つずつ増えていく彼女の部屋は、
男がいる半月は眩しいほどに幸せに溢れ、
男のいない半月は部屋の物すべてが彼女を苦しめた。

彼女はあっという間に病んでいき、
再会した彼女からあの日の色気は消えていた。
そんな彼女はいつもの猫なで声で私にこう言った。

「私ね、多分誰でも良かったの。
私を必要としてくれる人なら誰でも。
結婚だってママが安心すると思ってしてみたけどダメだった。
今度こそって思った2回目の結婚だってすぐ終わっちゃった。
好きな人と結ばれて幸せになりたい。
そう思っていただけなのに。
あやちゃん、私、どうしたらいい…?
幸せになりたいだけなのに…。」

私は泣いていた。
号泣しながら彼女を抱きしめていた。
だって痛いほど分かる。
特別なものなど望んでいない。
ただ幸せになりたいだけなのに、なぜか自ら地獄に飛び込み、
痛いの苦しいのと叫びながら、
それでも地獄で幸せになる方法を探そうとする。
大人のためにいい子を長年やってきて、
本当の自分をどこかに忘れた彼女の生き方は完全に私と重なった。

誰もが羨む美貌とスタイル、男が好きな高い声、知性に優しさ、
世の中の女が喉から手が出るほど欲しいアイテムを
すべて手にする彼女は、恋も結婚も一度は手に入れたが、
自分を愛するアイテムは持ち合わせていなかった。

 
 きっとマッチングアプリや婚活に励む女性たちも、
結婚という2文字に標準を合わせ、
売れ残りたくないと叫びながら、
心の奥底では”本物の幸せ”を渇望しているのではないだろうか。

男が喜ぶ女を演じ、自分を殺し手に入れる未来など
一瞬のまやかしでしかなく、
「私は既婚者ですよ」、「私は社会不適合者ではありませんよ」、と
これまたまやかしのステータスをぶら下げて
公園デビューを果たす未来など、
本当は求めていないことも知っている。

”売れ残りたくない”、長く続くこの呪いに打ち勝つ方法はただ1つ。

自分と向き合うこと以外他にない。
自分と向き合い、自分の好きや嫌いを知り尽くす。

この先どこに向かいたくて、何が欲しいのか、自分に問い続ける。
そうしたのなら自ずと分かる。
全身全霊ありのまま、弱さも醜さも抱きしめて、
いつだって自分らしくいられるそんな人の隣こそ、
自分の居場所なのだということを。
誰かに好かれるためじゃない、
自分を好きでいられる場所こそ自分が生きる場所だということを。

 造花はいつまでも美しいが愛着は湧かない。
一方で生花は日に日に花びらも葉も枯れゆくが、
1日も元気でいて欲しいと愛着が湧く。
人も花も同じではないだろうか。
決して完璧がこの世の最高ではなく、不完全さこそ美しく、
そこに愛が芽生えるのではないだろうか。

いくら高いファンデーションを使っても、
目や顔の大きさを加工してマッチングアプリで多くのイイねを稼いでも、
恋が叶って向かえる朝にはすべての仮面が取れている。
いくら猫をかぶっても付き合って3ヶ月もすれば化けの皮は剥がれている。

ならばもう少し図々しく、生生しく生きようではないか。
嘘をつかず自分の好きに貪欲な女はいつまでも瑞々しく、
人に媚びず正直な女はいつだって上機嫌だ。
男に好かれる愛されメイクを学んだり、
LINEの既読や返信テクニックを学ぶより、
まずは自分を学ばねば。

生まれてから死ぬまで連れ添う生涯の伴侶は、
他ならぬ自分自身なのだから。



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