ありのままにあっていいこと ✈️ 八重垣神社-神魂神社-玉作湯神社-サンライズ出雲 📸
( 出雲の旅のつづき )
前日までは、出雲大社のあたりを予定を決めずのんびり気の向くままに過ごした。翌日は、打って変わって、大移動&たくさんの場所へ行くことに。
寝台特急「サンライズ出雲」に乗るまでの時間に
「八重垣神社」
「神魂神社」
「玉作湯神社」
公共交通機関のみで行く。帰り時間に間に合うのか、どきどきな旅。
私は、相反するような性質を持っているひと のようだ。(星座は双子座、ソウルナンバーは11。占い系でも 色んな性質を持っているようなことが多い。)
じっくりのんびりとしていたと思ったら、激しく動きまわったり。
自然の中 静かにいるのが好きだったり、舞台上で激情を表すのも好きだったり。
なんとも一貫していないというか、捉えづらく、激しく、生きづらいというか。
30歳をすぎた今も、自分でも自分のことがよくわからなかったりする。
私は、”いろんな性質”が とてもはっきりと相反しているけれど、
人それぞれに 少なからず ”いろんな性質”や”いろんな面”を持っていると思う。
その場所や環境、一緒にいる人によって、
その人の心身の状態が変わり、反応や対応も変わってくる。
人間は、全てに一貫性のあるような つるんとした機械的なものではなく、複雑だ。
だから豊かでおもしろいとも思う。
「”自分"という型 に自分をしばらず 自由にありたい」と最近よく思う。
30年も生きていると、自分のくせや傾向が少しずつわかってきて、
ついつい、洋服なんかでも、「これは似合う、これはどうせ着ない」とレッテルを貼ってものごとを見てしまっているような気がした。
そうしていたら、なんだか、未知のようなものはないような気がしてきて。
”文句”の量が増えているようにも思った。
”当たり前”になると感謝がへってしまうのも感じて。
感謝せずに、文句ばかり言っている人生やだ〜〜〜〜!と思った。
いくつになっても、失敗して それをおもしろがり、学び活かしていく
挑戦し続ける人生でありたいなと。
上と下の写真たちの「八重垣神社」には水をつかった占いがある。
鏡池があって その水面に紙を浮かべると、紙に文字が浮かび上がる。
その文字が占いの言葉なのだ。
私の占いの言葉は「人の意見を聞く 東と北 吉」だった。
私は人の意見を聞くのが苦手かもと思う。
「こうすべき」という思考が強い割に、流されやすいから。
それに結局は、「人は自分で気づいていくより他ない、答えはその人の中にのみある」とも思っている。
しかし、人と演劇作品を創作をしたときに、”自分”だけでは 想像もつかなかった 到達できなかったような地点へ行くことができた。
内だけでなく、外とまじわっていくことで、生まれていくものがあるのだろう。
コロナ禍になってから、そして特にここ最近。
なんだか、家や心の内に籠っていることが増えている気がする。
昨年、作品創作にまつわることで ひどく落ち込んでしまってから、いろんなことや 生きていることすら怖くなって。ますます籠りがちになっていった。
なぜ籠るのか、それは他者から傷つけられることをさけるためなのかなと思う。
”他者から傷つけられている”という思いは、私の記憶からくる思考が生み出す。
本当はただそこに”出来事”があるだけなのだ、たとえその言ってきた人が私を傷つけようという”悪意”があったとしても。
ただ そのまま、あるがままに、その場をみれたら世界は違うものになるのだろう。
失敗をおもしろがって 活かしていくにも、
外とつながり、人とともに生きていくためにも、
自分を信じている力、自己肯定感がとても大切なような気がする。
私は、自己肯定感がとても低い。
まず自分の容姿について自信がないし、自分の”才能”のなさや自己実現のできなさ、対面の言語コミュニケーションの苦手さ、よわよわな心の不安定さ、毎月 生理前症候群と生理痛で迷惑をかけてしまうことなど 絶望することも多い。
この自己肯定感の低さは、10代までの
・無償の愛でない ギブアンドテイクの考え
・顔色をうかがって生きなくてはいけなかったこと
・”わがまま”をしたら それを何度も繰り返し言われる
・私と母の喧嘩が 両親の喧嘩につながり、その喧嘩後 毎回「あんたが全部悪い」と言われ続けてきたこと
・演劇や親戚の場で容姿を比較され、”美しくない”側だったこと
・演劇や運動で努力をして 一定の成果を出して続けていたこと
そんなことから、”私は 迷惑をかけず、優れていて、人の役に立ち、がんばっていないと、生きていてはいけない”という価値観が身についていった。
そして、高校を卒業する頃。進路は演劇をしていこうと思っていた。
しかし、母の顔色や金銭的な問題で やりたくないことをやっていたり、進路を相談できる人がなく、進学校の先生たちには味方はおらず、東京の演劇スクールで聞いた「ブスは笑ってろ」と言う言葉や「太っていることは悪」という概念やいじめ、思ったような自己達成もできずとなった時に、心がポキっと折れてしまった。
”人の役に立てず よい成果が出せないと、私は 生きる価値がない”という考えから
”一定の基準や評価をもらえなかった” 場合、生きる価値がないと判断していた。
そして高校卒業間近、上手くいかない状態が激化し、動くことも家から出ることもできなくなり”ひきこもり”になった。
そのとき「お前なんか死ねばいい」という言葉が数分ごとに脳内再生され続けた。
それは、自分で自分に言い続けた言葉だった。
この間、12年前に通っていた 新潟のヨガのスタジオへ行った。
(そこは、インドのヨガ行者の人も教えていて(今はインドへ修行へ帰っているらしい)ヨガ哲学についても教えてくれている。)
「私たちは日常的に信じることをしている。当たり前に信じることができるから、呼吸や歩行や睡眠もできる。信じることができると いろんな事柄の進んでいくのが早くなっていく。」という話を聞いた。
この間、TVをみた時には、美輪明宏さんが
「自分の敵は自分、自分の味方も自分」ということを話していた。
その通りだなと思った。まずは、自分を信じてあげることなのだろう。
ありのままにあっていいこと。
当たり前の自尊心を持ち生きていくこと。
私は、それを身につけてこれなかったから。
これから。
自分で自分を愛して、ありのままのわたしをゆるしていきたいと思っている。
そうしていったら、心健やかに、世界やひとと豊かにつながっていける気がする。
これにて。出雲旅は終わり。
旅の終わり、寝台列車サンライズ出雲から東京駅に降り立った瞬間、フィルムカメラを落としてしまった。
カメラはシャッターが切れなくなり、壊れた。
大好きだったから悲しく、ごめんと思った。
そして、全ては変化する、諸行無常を感じ、
神社巡りの旅だったこともあって、何か身代わりになってくれたように思った。
一代目のkonica c35 fdとの大切な最後の旅。
ありがとう。
写真と言葉を綴ったひと
瀧澤綾音
演者・美術モデルとして活動。
6歳から演劇に演者として関わり、20歳でインスタレーション作品に感銘を受け「より体感・実感的な作品を演劇でつくりたい」と上京。
新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあ APRICOT/文学座附属演劇研究所/美学校 演劇 似て非なるもの/無隣館/映画美学校 アクターズ・コース/未来の踊りのためのプログラムで表現や創作について 培う。
2022年 調布市せんがわ劇場演劇コンクール俳優賞 受賞。
演劇・パフォーマンス・映像・写真・旅・癒し・インスタレーションなど重なり合う、より体感的な、作品の創作や出演を続けている。
2011年から写真の撮影をはじめ、
2021年よりフィルムカメラでの撮影を開始しました。
フィルムカメラkonica c35 fdの写真を載せた Instagramもやっています。
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