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木のいのち木のこころ⑤(地)

 西岡ができなかったことを小川はやろうと決意する。
 西岡は、最後の法隆寺大工だが、小川はどこの寺社に所属しているわけではない。日本全国、どこの寺社に関わってもいい、食える宮大工にしよう、と鵤工舎という徒弟制度を立ち上げる。 

 よく一緒にいる友だちとおなじものを見て同時に笑うことがあるやろ。話にも合図もしないのに同じことを感じ、同じ反応をすることがあるやろ。あれに似たことが師匠と弟子のあいだに生まれてこな「勘」は育たんし、教わり切れないもののがあるんや。それは気が付かんうちに師匠から自分に写されておるんだ。こういうことはすぐにはできん。どうしても時間がかかる。時間をかけながら個性に合わせて育てていくんだ。それが徒弟制度の基礎的な学び方や。
 いまの時代は何でも早くやりたがり、究極の目的を儲けに置いているから、このように時間をかけてものを教えたり、教わったりすることはなかなかできにくいわ。人間はみんな不揃いなんだ。そのことを忘れているから教育が問題になるんやないか。
 しかし、師匠と弟子が一対一では時間がかかりすぎるし、教えてやれる人間の数も限られる。それと、どうしても教えるには現場の仕事が必要だ。現場で本物の、高度な、よい檜を使って覚えて行かなくちゃいけないんや。
 こんな条件を考えて、俺は「鵤工舎」を作った。ここは徒弟制の学校みたいなもんや。現場で仕事をしながら一緒に暮らして先輩や師匠の仕事を学んでいくところや。幾人もいるからそれぞれ進みぐあいが違う。田舎の分校の複式学級みたいなもんや。学校と違うのは教えるんやなく、教わる人しだいだってことだ。教えるほうは日当としてお金を払っているんだから、教える義務はない。現場にも宿舎にも誰でもできる仕事がいっぱいある。自分に応じた仕事をしながら、本人次第で学べばいい。しかし、その仕事はどれも檀家の人たちが持ち寄った浄財で造るものや。おろそかにはできん。だから現場は厳しいで。

 大工が木の癖を見抜いて適材適所に使うように、師匠も弟子の癖を見抜いて、それぞれのいいところを伸ばしていく。師匠は小川一人ではない。いろいろな段階のいろいろな先輩が自分の前にいる。

 ふつう学校でものを教わるときは授業料を払うのが当たり前だな。お金を払って教えてもらう。でも、いまは社会に出れば、お金をもらって仕事を教えてもらうんだ。変な話だけどこれが当たり前になっている。
 鵤工舎だけじゃないぞ。どこの会社だってそうだ。何にも知らない学校出に高い給料を払う。もらうほうは一番高く払ってくれる会社に行く。給料が安ければ辞めて別なところへ行くだろう。初めは何もできないんだ。それなのにお金をもらいながら覚えていく。なかには仕事を覚えたと思ったら辞めていくのもいるだろうな。
 鵤工舎も、大工になりたい者がお金をもらいながら教わっているんだ。その金は仕事ができる人が働いたもんだ。

 仕事は給料をもらって当たり前だと考えていたが、小さな会社で考えてみると、お金は、仕事ができる人が働いたものだという考えが最もだ。
 20代の時に、そういう考えの謙虚さを手に入れたかったと思う。20代であったときの、自分の使えなさを思い出しても、よくわかる。

 小川が鵤工舎を作ったことによって、常岡から引き継いだ宮大工の仕事は未来に引き継がれていく。その組織を作った小川の功績はとても大きい。

 サラメシを見ていたら、宮大工のサラメシ、というので、まさか、鵤工舎か?と思って見ていたら、白髪になった小川棟梁がニコニコしながら、一緒にご飯を食べていた。
 このタイミングで、現在の彼を見れたことが嬉しい。


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