『もののものがたり』は、人を豊かな孤独にさせる
SNSの誕生によって、常に誰かと繋がり続けてしまうことが多くなり、そのことばっかりに自分の時間が消費されていくのが嫌だなと感じることがあった。
何も考えなくてラクだから、嫌だなと思いつつも、ぼんやりとまたSNSを眺めてしまう。
私は何の、誰のパトロールをしているのだろう。
そんな日々が続いていて、なんとなくもやもやとしながら暮らし続けていた。
もやもやすることを、これは仕方のないことなのだと諦めかけていたときに、『モノノメ』という雑誌に出会った。
この雑誌は、手に取る前からなんだか良い予感がしていた。
発売前、この雑誌への想いや記事についての解説がネットに上がっていたので、それらに目を通し、きっと読めば良いことが起こるのではないかと思っていた。
『モノノメ』が届き、記事を一つずつ読んでいくと、もやもやしてた気持ちが、少しずつ消えていって、「あぁ、これだ。」っていう、心とマッチしていく感覚が何度も訪れて、すごくすごく嬉しくなった。
『モノノメ』は、なんてことない日常に、色々な角度からの気づきを与えてくれて、なんてことない今日の中に、気になる物事を増やしてくれる。
気になる物事が増えると、SNSに使う時間が自然と少しずつ減っていって、取り憑かれていた何かから、少し解放されたような気持ちになった。
はっきり言って、私は人が好きだ。
大好きな人も沢山いるし、誰かの話を聞くのも大好きだ。
だけど、失われつつある接続されていない時間を取り戻すことは大切だなと、この雑誌を読んで改めて感じた。
そして、人ではない何かと向き合う時間を、少しでも作ってみよう。私はそんな風に思った。
SNSでシェアして自慢するための「もの」ではなく、純粋に自分がちゃんと好きだと思えて向き合うことのできる「もの」と関わってみたい。
そして、もう少しゆっくりと、ゆったりと、じっくりと、スピードを落として生活してみたいなとも思い始めている。
***
そんな風に、私が「もの」について興味を深く持ったきっかけとなる、『モノノメ』の中の1つの記事を、私の簡単な要約と共に紹介していこうと思う。
紹介するのは『もののものがたり』という連載の第1回目だ。
(ここからはネタバレ全開です!)
『もののものがたり』は、丸若裕俊さんと沖本ゆかさんの対談記事で、今回は2人が九谷焼の箸置きと朝日焼の湯呑みを持ち寄り、ものについてとことん語り合うという内容になっている。
まずは箸置きを通してものの魅力を伝えていく。
・丸若さんは箸置きのように、使いだしたら空気みたいな存在になるものに、「なんかいいな」という感情を抱きたいと思っていて、愛用品のある生活への憧れを話しています。
・今回紹介している九谷焼の箸置きは、上出長右衛門窯という、142年続いている窯元のもので、割烹食器を得意としているだけあって、道具としてもとても優れています。自然と使い続け、愛用品となるものには、こうしさたものの持つ背景があったりします。
・また、丸若さんは日本の様式美は、豪華一点式ではなく、無駄なものをなくしてシンプルにして、何かを添えるというものだったり、最適化しているものから、ちょっとだけずらすことだったりすると話しています。
今回紹介している箸置きにも、「添えるだけ」の美しさがあり、使うことで日常の中に日本の様式美を感じることができます。
・九谷焼は一度途絶えて昔の文献が何も残っていないが、こうした完全に再現ができていないものでも、直接触れることで歴史に繋がることができます。
そのものの中に息づいている土地や、そこに生きた人間の歴史に触れることができることは、ものの大きな魅力であると言えます。
暮らしの中に、九谷焼の箸置きがあることで、こんな風に感じることができるのは、純粋に素敵なと思った。
仕事から帰ってきて、疲れや嫌な気持ちをひきずってしまう日も多いけれど、そういったことを切り離して、自分を違う場所へ連れて行ってくれるものの存在はすごく良いなと思ったし、愛用品に囲まれる暮らしの豊かさを感じることができた。
後半は、湯呑みとの出会いを紹介しながら、こんなことを話している。
・ものには使うたびに蘇る記憶があり、とても多くのコトが詰まっています。誰にもそういった経験があると思いますが、沖本さんも朝日焼きのほうじ茶椀を使うことで、重なる土地の景色や、聞いた言葉や感情を感じています。
そこに、もの自体が持っている物語もプラスして味わうことができるため、沖本さんは、ものを通して、もの以上のコトを見ているということがみんなにもっと広まっていけばいいなと話しています。
・石物の磁器と土物の陶器はまったく違って、どちらを使用するかによって、同じ飲み物でも変化が生まれてきます。
ほうじ茶には土物である陶器の湯呑みが最適で、土物は使えば使うほど育つため、お茶と共に長く楽しむことができるようになります。
土の良さ、石の良さ、香りの違いを知ることで、お茶をその日の気分で選ぶという面白さに気付くことができてきます。
このように、ものにこだわりを持つことで、コトはさらに豊かになっていきます。
「ものを通して、もの以上のコトを見る」、そんな風に考えたことはなかったけれど、本当にその通りだなと思ったし、もの自体は作り手のコトの集大成であり、そこに自分自身のコトを重ねて持って帰れるというのはとても素晴らしいことだなと読みながら感じた。
また、こだわりを持ち、深く知って行くことで、何倍もの楽しみ方ができるようになるというのは、日常を内側からじわじわと豊かに変えていくようですごく良いなと思った。
土物は使うほど育つというところがすごく気になったのだけれど、それは土をたまに触りたくなる感じと何か繋がるところがあるのだろうかと考えてしまった。泥だんごを作ったり、畑の土いじりをしたりすると、心が落ち着く。
共通点があるのかよくわからなかったけれど、土ってやっぱり不思議だなぁと思いながら読んでいた。
それでも、やっぱりまだお茶ってなんだか敷居が高い感じがして、手が出せないんだよな、なんて思っていたら、私の背中をぐっと押すようなことが書かれていた。
・丸若さんは、みんながもっと自分の目線でものを選び、接していくことで、自ずとこういったものは残っていき、精度を保つための適切な自然淘汰もなされていくはずだと話しています。
・また、いま1番必要なのは日常の雑器の楽しみ方をもう一度提示することだと考えていて、
工芸をめぐる現状は、プシュて空ける缶ビールから始まって、その後にいきなりマニアックなウィスキーに手を出すしか選択肢がないような状況であることを問題視しており、それらの間にある、自分の日常に持ち帰れる家族のような、目線の合った物語を持ちつつ、絵空事でない知識を持ち合わせる必要があると、最後に述べています。
誰かがこれが良いと言ったから、みんなによく見せたいから、ではなくて、自分の感覚で好きなように選ぶことを良しとされることで、ものと関わるハードルがぐっと下がる。
そして、まさにこの中間を求めている人は、多くいるのだと思ったし、私も中間くらいの関わり方ができたら良いなと思った。
お茶についてよく知らない私なんかが、お茶を楽しめるのだろうかという気持ちがすごくあったけれど、今は、お気に入りの湯呑みを1つ見つけて、自分と湯呑みの物語を、お茶と共に作っていきたいなと思っている。
もしかしたらその先に、お茶を嬉しそうに語っている自分がいるかもしれないし、その時は、私なんかっていう気持ちよりも好きがきっと前に出ているのかもしれない。
***
『もののものがたり』を読み、とても豊かな気持ちになった。そして、ものと向き合うことで豊かな孤独になれることを知った。
繋がりすぎている今だからこそ、この豊かな孤独が必要なのだと感じている。
繋がりすぎている今に、ちょっとでもモヤモヤしていたら、是非この『モノノメ』を読んでみてほしい。
読んで広がりゆく新しい視点を、楽しめるはずだから。
※↓『モノノメ』は、この画像から購入ができます。また、他の記事の紹介も見ることができるので、よかったら見にいってみてください!
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