リワークプログラムに使われる「アクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)」というのは森田療法と類似点が多いらしい。
2021年12月30日の文春オンラインの記事に「《北新地ビル放火》『明日は我が身。診断書や処方箋を巡るトラブルは絶えない』精神科関係者が明かす“構造的な問題点” 医師が患者の『言いなりに…』」という記事があった。
などと書いてあった。逆恨みで放火されたりしたらたまったものではない。恐ろしい話である。
このような逆恨み(テレビ報道などをみるとそのようなイメージが作られているように思う)による犯罪の攻撃目標にされる「心療内科・精神科の特徴」は、業界人の間では、「他の診療科目に比べて、比較的開業資金が少なく済む」 といわれているらしい。
社会保険労務士と組んで、企業研修などの企業内教養で精神疾患を発症した患者を、紹介してもらい診察とリワークプログラムを組み合わせれば、収益の安定は容易に出来そうである。
ただ・・・
リワークプログラムに使われる「アクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)」というのは森田療法と類似点が多いといわれているようだ。
以前述べたが、警察における警察教養(学校教養と職場教養)は森田療法と類似点が多く、企業研修も森田療法(一種の洗脳療法)と類似点が多いといわれている。
このことは、リワークプログラムが、企業における教養(森田療法的洗脳、警察教養と同じものなのであえて「教養」と書いた)で心身に支障を来した人々を、森田療法と類似点の多い方法で治療するということである。
このことは、警察官による不祥事の度に、警察教養を強化する警察の無限教養と似ており、問題の原因と同じ手段で問題を解決しようとすることになっており、警察教養と同様に、教養(洗脳)に強い拒絶反応を示している人間に対して、犯行の最後の決断をせまるようなことになるのではないかと、心配である。
企業内教養(洗脳)→リワークプログラム(洗脳)→企業内教養(洗脳)→・・・を繰り返す内に、わけのわからない不祥事(心中など拡大自殺も含む)を起こす警察官のようになってしまわないか、心配である。
医療は、個人の病気を治すことを目的とするため、社会的要因は治療の対象とはならないという特徴があり、医学者の科学的な意見を聞くと、あたかも、社会的要因はないかのごとくに、立論され、論破されてしまう(頭のいい人の意見なので反論できない)。
この尻馬に乗るのが、自己責任論(他責的傾向の極み?)である。
自己責任論を唱える人は、要因さえ揃えば、拡大自殺者になりやすいように思われる。
自己責任論は、第二次大戦中の戦争指導者の無責任と似ており、自己責任論者は、戦局の悪化により拡大自殺的作戦を立案し、実施した人々と似ている気がする。