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目と耳で聴く

私は普段、人の話をよく聴く仕事をしている。正直言ってとても難しい。
キャリアコンサルタントの資格を取り、傾聴に関する本を読んでも、「できている」感覚はあまりない。
以前、『LISTEN』という本を読んだとき、このような一説があった。

古代ギリシャの哲学者エピクテトスは、実際、こう言いました。「自然は人間に、舌ひとつと耳ふたつを与えた。自分が話すその倍は、人の話を聞くようにと」。

ケイト・マーフィ 篠田真貴子 松丸さとみ. LISTEN. 日経BP, 2021, 26p

もうひとつ、感銘を受けた文章を引用する。

私たち人間は、進化の過程で、目を閉じられるようにまぶたが発達しました。しかし耳には、まぶたに相当する構造はありません。耳は閉じません。
それは、聴くという行為が、人間が生き抜くのに欠かせないからではないでしょうか。

ケイト・マーフィ 篠田真貴子 松丸さとみ. LISTEN. 日経BP, 2021, 91p

確かに耳は聞こうとしなくても音が聞こえる。ある種、受動的な機能だ。でも、人の話を「聴く」のは、もっと能動的で身体ごと傾けて「聴く」ことだ。
子どもや家族に対しては、ついつい生返事をしたり、スマホを触りながら目も身体も向けずに聞いてしまっていることがある。平日は特に短い時間の関わり。忙しい中だからこそ、大切に思っているよ、という思いを込めて話を聴こうと思う。

先日、寺ヨガに参加した際に、インストラクターの先生が「ヨガは見えないものを大切にする」というお話をしてくださった。例えば、「好き」という気持ちは見えないけれど、人と人の間に確かにあるよね、と。
私が家族に対して「大切に思っている」という気持ちは見えないけれど、目を見て身体を向けてうんうんと頷きながら聴くことで、その気持ちは伝えられる。

「大切なことは目に見えない」と、私の大好きな本『星の王子さま』でも何度も出てくる。
物質的には目に見えなくても、目を閉じていても、感じるもの。
「聴く」ことも、音として単に聞くのではなく、感じようとすることが大切なのだと思う。
人間は目に見えない大切なものを伝えるために、言葉を生み出し、文字にして書き残し、音として伝えてきた。今日も目と耳で感じながら他者の話を聴こう。

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