
それでもわたしは辞めなかった
「読書してる割には、作文下手やなあ」
学生時代によく言われた言葉。
自分でもそう思っていた。文章を書くことが苦手で、国語の時間に作文を書きなさいって言われると苦痛で苦痛で仕方がない。真っ白な原稿用紙を前にして「何を書こう……」と困り果ててしまう。
書いては消して、消しては書いて、また書いては消して。
言葉がまとまらないんじゃなくて、そもそもの書きたいことが出てこない。どれだけ考えても、頭の中は真っ白で、筆が先に進まない。
どんどん書き上げていくクラスメイトを横目に、進まない鉛筆の先を見つめて途方に暮れた。
作文の苦手意識からなんとか抜け出したくて、たくさん本を読んだ。
でも、何をどれだけ読んだところで、わたしの作文に対する苦手意識は消えなかった。
そしてまた言われる「あんた、ほんまに読書してるのに、作文下手やなぁ」
どうしたらいいのか、わからなかった。どうしたら上手に文章を書けるのか、本当にわからなかった。
でも、読書をすることだけは、辞めなかった。
小さい頃からの読書の冊数を数えたら、一体何冊になるのだろう。きっと、途方もないほどの本を読んでいるはず。
読書がいつどんな時に役立つのかわからない。作文を書くのに読書が有効だなんて、そんな言葉は信じられなかった。たくさん読んでいる方が良い文章が書けるだなんて、そんな迷信みたいなことは信じられなかった。
でも、文章を読むことは好きだから、ただ純粋に本を読んだ。何かを得ようとするのではなく、ただ純粋に本を読んだ。
その背景がずっとあったからなのか。
今のわたしは、こうして自分の気持ちを文章に綴ることに、何ら抵抗が無い。
かつて白紙の原稿用紙の前で途方に暮れていたあの頃からは考えられないほど、すらすら書きたいことが浮かんでくる。
白紙のnoteのページを開いて、リズム良くキーボードをたたく。どんどん文字で埋まっていく画面。
きっと、今こうして書けているのは、間違いなく小さい頃からたくさん本を読んだからなんだと思う。
自分が考えていることを言語化するために必要なのは、その感情に適した言葉をどれだけ知っているのか。今までたくさん読んで積み上げてきたものがあったから、今になってようやくその成果が表れ始めているのかもしれない。
苦手だった文章を書くことも、いつしか趣味のようになって。こうして毎日noteに自分の考えを綴ることも、気が付けば500日以上続いていて。
「意味がない」「やったとしても結果が出ない」そう思っていたとしても、続けていれば何かしら自分のプラスになる気がしている。
その結果が出るのには、途方もない時間がかかるかもしれない。わたしだって、本を読み続けていて、やっぱり読んでいてよかったって思うのにもう20年近くかかっている。
それでも、やり続けること。地道にでも、諦めないこと。
遠回りなようで一番の近道って、継続なのかもしれないな。
わたしはこれからも懲りずにたくさん本を読みたいし、たくさんの言葉を綴りたい。
これからもずっと、楽しんで続けられるような自分でありたいなって思う。
今日もおつかれさまでした。
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