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「これなら出来る」を見つけること

まいにち更新が500日を超えたからって、急に何か徳の高いようなことを書くのかと言われれば全然そんなことない。

すごく真面目なことを書く日もあれば、至極どうでもいいことばかりをつらつらと述べている日もある。

140字の1ツイートで書けそうなことを1000字近くにまで引き延ばしてだらだら書くのが得意だから、適当に思っていることをnoteにぽちぽちとタイピングしているだけで、気が付けば1000字オーバーとかなっちゃうもんだから、ちょっとどうしようかと思ったりもしている。


実はわたし、かなり長文のnoteを読むのが結構苦手なんだなと、最近色んな人のnoteを読んでいて思った。
noteは、なんだか腰を据えて読むというより、みんなの色々をサラッと読み流す感じが多いから、そんなノリで読んでいる中に、急に超大作みたいなのが目の前にドーン!と現れてしまうと「お、おぅ……」となってしまって、半分くらい読んだところでドロップアウトしてしまうことがある。ちょっと今はそんな気分じゃない、みたいな感じになっちゃう。本当、長文のnoteってすごく力作だと思うから、読みたい気持ちはあるんだけど。

でも、だらだら書いてあるだけの文章ってやっぱりなかなか最後までたどり着けないというか、途中で飽きてしまうこともあって。かと言って短すぎても面白くないな、って思ってしまうし。

わたしが書くnoteは、腰を据えて読んでもらおうなんて全然思っていなくて。例えば電車を待っている間とか、友達との待ち合わせに数分だけ早く来ちゃったときとか、なんだかそういうちょっとした隙間にサクッと読めるみたいな感覚で読まれることを想定して書いていて。

っていうか、わたしがnoteを読むのがそんなタイミングだからなのかもしれないけれど。

だから、長々としすぎる文章は書きたくないし、読んだ感じもしないような短すぎる文章も書かない。程よい800~1500字くらいの間で、いつも更新している。

あくまでもわたしの勝手な主観と、それくらいが書きやすいし、無理なく毎日継続して書ける分量だなと思っているだけなのだけど。


まぁ、こうしてこの文字数のnoteを書き続けていると、3000字とか4000字の記事を書くのが辛くなる時があって、慣れすぎるのも良くないなぁと自分でも反省することもあるのだけど。


書き方ややり方は人それぞれだし、何が正解で何が不正解なんてないと思う。でも、自分の中での「これなら出来る」「これなら得意」というパターンを見つけることは、継続していく中でも必要なことではないかなって思ったりもする。

500日以上まいにち書き続けて、色んな得意不得意が見えてきて、どんなやり方をすれば継続できるのかがどんどんわかるようになってきた。

自分と向き合うために、自分のことを理解するために、何かを継続させることって、すごく良いのかもしれない。


そんなことを考えてみた、今日この頃。


おつかれさまでした。




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あやめし
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