記事の向こうにいる誰かに届くこと、ライターとしてのやりがい
ライターの仕事で、毎月60記事以上を納品し続けている。プライベートのnoteで毎日更新しているのに、運営を任されている地域情報メディアでも毎日更新し、頼まれてもないのにYahoo!でも律儀に毎日更新している(Yahoo!のノルマは月10本以上で、上限は31本まで)。
毎日自分が書いた文章を世に出し続ける生活をしているので、更新するハードルがめちゃくちゃ低い。パッと書いてパッと更新している(もちろん編集の方が別で入っている)。いかに労力をかけずに記事を書けるかを日々考えて、効率的に作業している日々。
更新した記事は、コメント欄が解放されているわけでもないので、特に何も反応はない。だから、なんというか、読まれている実感があまりない。プライベートで書いているこのnoteだったら、スキをしてもらえたり、コメントをもらえたり、更新する度に【〇日連続更新!おめでとう!】みたいなポップアップが出てくるので、世の中に記事を送り出し、読み手に届いたという実感が湧く。でも、それ以外の毎日更新しているお仕事のあれこれだと、全然実感が持てない。PV数は結構細かく見れるので「今月は10万PV超えたな」みたいなのは分かるのだけれど、その数字がすごいのかすごくないのかの基準もイマイチよく分からない。とにかく、毎日ひたすらに、特に何かの感情に揺さぶられることもなく、仕事として淡々と日々記事を作成している。
のだけれど。
以前取材させていただいたとあるお店から、Instagram経由でDMがきた。
わたしの書いた記事の影響で、そのお店のInstagramのフォロワーが激増したらしい。嬉しい。ちゃんと反響あったんだ。嬉しい。しかもこうやってわざわざお店の方がわたしにご連絡くださったのも嬉しい。総じて嬉しい。嬉しい嬉しい!!
やっぱり、記事の向こうにはちゃんと読んでくれる誰かがいるのだな、と実感。そして、それが少なからずあらゆる方面に影響するのだなってことも実感。正直、毎日同じことを繰り返していたら、記事を作ることも作業化してしまっていたのだけれど、このDMをいただいていたことで、ちゃんと血の通った記事を書いているのだと思うことができた。
こうしたひとつひとつの積み重ねが、わたしの経験になっていくのだろう。ライターとしてのキャリアはまだ短いのだけれど、これからたくさんのこうした嬉しい経験が待っているのだと思うと、楽しみで仕方がない。
今日も明日も明後日も、わくわくしながら書いていこうと思った。