つばめの季節に思い出した、生きていくことの理不尽さをやわらげるもの〜拝啓あんこぼーろさんの記事
この記事のこと、思い出した、と書いたけれど、ここ半年以上の間、ずっとこころの片隅にあり、たびたび思い出している記事。
拝啓あんこぼーろさんが、連載していた『ドラッグストア昔話』
のあとがきとして書かれたもの。
こぼーろさんの家の軒先に巣を作ったつばめの夫婦、のびらか夫妻、青と空。その巣で無事に卵からかえった4羽のひなは、突然の命の終わりを迎えた。ひなのなきがらはこぼーろさんの手で、庭の蟻の巣のそばに運ばれ、蟻たちの働きにより分解されて巣へ運ばれていく。
ひなたちを襲ったのは、他の動物ではなく、日本へ渡ってくるのが遅れ、ペアリングできなかった雄のツバメ。
こぼーろさんは、のびらか夫妻に味方して、雌を奪おうとする雄のつばめを追い払い、のびらか夫妻は無事に2度目の子育てに成功する。
すべては自然の営みで、そこにいいとか悪いとか、正義とかはなくて。
この世界に生まれ落ちた命ある私たち全員に運命づけられているのは、いつかは必ず死ぬこと、死ぬ時期や死に方は選べない、前もって知ることもできないこと。
死が存在しない世界に、逃げ出すことはできない。
それは、まるで大雪で孤立し外部との連絡が断たれた山の中の別荘に閉じ込められ、姿のみえない殺人鬼におびえるホラー映画みたいに、理不尽。
その人がどんな人か、どんなに誰かにとってかけがえのない人だろうが、死は逃してくれない。
生きることの理不尽さの前に、人はあまりに無力でちっぽけ。
私は時々、生きていても何になるのだろうと、思ってしまう。
こぼーろさんの小説を読むと、そんな思いがやわらぐ。
今、連載中の小説『つくね小隊、応答せよ!』は
太平洋戦争中の東南アジアの島で、取り残された若い日本兵3人が主要な登場人物。戦争中という生きることの理不尽さ、まっただ中な場所が舞台。
日本兵3人は次々と緊迫した場面に会うのだけど、そんな中、彼らが話しているのは、食べものの話や、ふるさとのむかし話。
彼らに起こっていることは、命の危機の連続で、もちろん大変な出来事。だけど、読み進めるうちにだんだん、今、何が起きているか、より、彼らが何をしゃべって、どんな風に笑ったり怒ったりしているのか、何を食べて、どんなことを思ったか、そちらの方がもしかして本筋、重要なのではないか、という気がしてくるのだ。
こぼーろさんは、日本兵だけでなく、彼らの味方も、敵も同じように描いていく。お話は今では連載50回を超えている。
この小説は、
こぼーろさんが、去年出会った
ツバメの夫婦に、のびらか夫妻と名前をつけて、でも、彼らの生きることの理不尽さ、自体には余計な手だしをしないで見守り続けたのにどこか似ている。
つばめの夫婦に名前をつけたように、
太平洋戦争中の日本兵3人、を、
仲村、清水、渡邊、と名前をつけて話が始まった。
もしかしたら、
集団の匿名性から離れて個を描く、個を表現することが、生きることの理不尽さへの対処法なのかもしれない。
いつか生が突然に終わろうと、現実の世界がどんなに理不尽だろうと、
私たちは毎日ご飯を食べて、いろんな話をして笑ったり泣いたり怒ったりして、多分、その繰り返しのほうが、重要なのじゃないかな。
小説『つくね小隊、応答せよ!』、ただ今連載50回以上だが、途中から読んでも大丈夫!(私調べ)
ちなみに最新話の第50話
場面ごとにメインの登場人物が違うので、それぞれ独立したお話みたいにも楽しめると思う。
『つくね小隊、応答せよ!』を読んで、
生きることの理不尽さ、やわらげてみませんか?
第1話はこれ!
(5月31日21:16、引用記事のコピペミスがあったので削除しています。)