わたしはじぶんにじかんをあげる
レディーダックさんのご著書のタイトルは、「私は私に」なんだけどね。
(『私は私に時間をあげることにした』SBクリエイティブ)
父に、自分の思うところを伝える(ぶつける)の続きである。
「お父さんとのやり取りは…嫌なんだ」
私が異議申し立てをしたのを皮切りに、始まった父娘のラリー。
私が父とのやり取りにおいて、一体何が嫌だと感じているのか、言葉を尽くして説明をしているんだけど、どうも伝わっている感じが得られない。
私はそんなに説明が下手なんだろうか。
父は『興味あれば』と、何かしら関わりを持ってきてくれるんだけど、私は関わりを持って来ておいて、何も言わない、というスタンスが嫌だ。
父は、正か間違っているか、という両極端なカードしか持っていない。
自分の解釈は間違っているかもしれない、だから押し付けてはいけないんだ、という『正しさ』に則って、何も言わない。
昔から言い聞かされてきて、知ってる。
だけど、それをされると、私は寂しくなるんだ。
父は、こちらが好き勝手に送っているんだから自由にしていい、と言うんだけど、その裏には(自分には、聞かれても答えるつもりがありませんよ)がくっついている。
そんなものだと、受け入れたらいいだろうか。
だけど私は諦め切れなくて。色々送られてくるたびにいつも、自分の方から父の想いを推し量ろうとして、何も読み取れないことに疲れ果て、傷ついてきたみたい。
父は自分だけで「閉じて」いる、自覚も無いだろう。
だけど私にとっては、父とのやり取りは開かない、強固な扉をこじ開けていくようなイメージ。
天の、岩戸のようだ…!
天の岩戸は結局開けられたけど、私は未だに、父の岩戸が開いたところを見たことが無い。
あとね、父の岩戸が開かないのには、いくら私がぷんぷんすかすかと訴えても、いつだって『まぁ、お父さんも一生懸命送ってるんだから、上手いこと受け取ってやってください』と微笑んで言い添える、母がいるからだ。
もうすっかり、詰んでる。
この閉塞感には、出口というものが存在するんだろうか、否。
何度も言われてきたんだけど。
『お父さんとお母さんの価値観は、決して揺るがないから、頑張って乗り越えていってください。それが我が家の教育方針であり、自立だと、私たちは考えています』
って。
我が家は、話し合いで、一緒に結論を出す、ということはしない、と宣言されてるってことじゃないか。
私は、何でも親に相談したがった。自分で決めるのが、怖かったからだ。
子どもの『調べる』なんてたかが知れていて、浅慮だって、本人も分かってる。
だから、大人の力を借りる、というのも時にはアリだと思いたい。
だけど、うちでは「決めたことを言ってくれたらいいから」と返されるのだった。
自分で決めるのは、怖い。
それでも自分なりにエイ、と勇気を出して決めたのに、結局は親の価値観にそわなければ、却下される。
それは「会話」じゃなくて、「通達」だったと思う。
お父さんとお母さんは、
正しさの国に、住む人。
何度も何度も自分に、そういう人なんだ、受け入れたらいいって言い聞かせるんだけど。
私はその揺るがない壁を乗り越えることができなくて、逃げた。今もそんな気がしている。そして逃げといてなお、対話を求めてしまう。
お願い、開いて、と求めることをやめられない。
なぜかというと、前回の記事でも書いているんだけど、とてもとても、愛されたいからだ。
彼らに。
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父からの超超長文メールに、うぉりゃー!って超超長文で打ち返している私だが、すごく重要なことを言い忘れている。
自身がコロナ陽性となり、あとちょっとで隔離期間も明けるね、というタイミングでラリーを始めてしまったのだ。
私は本当に、父の「岩戸感」が嫌なんだな。
じんましん…元々出やすい体質ではあるんだけど。
メールを送ったり受け取ったりする度に、目の周りがパンパンに腫れ上がったり、ピンクの腹巻かってぐらい腹回りにまでかいかいが出たりして、もうこれ病み上がりなのに調子に乗ってカレー(=スパイス)を食べたからかなー、なんてのん気な理由じゃない、明らかに父とのラリーが原因だった。
だから私は、何も返信を作らず、一旦パソコンを閉じることにした。
わたしはじぶんにじかんをあげることにする。
つまり。
今回は、自分には珍しく、『戦略として自分を休める』と決められた。
今まで、ストレスに対して、対処する方法を持ってなかった。
自分が繊細で、神経質だからいけないんだ、自分の受け取り方を変えたらいいんだ、としか考えられなかった過去と比べると、すごく成長を感じる。
繊細でも神経質でもいい。ただそれを、自分でも取り扱いに困っている、という状態から「自分で自分のことを理解しよう」とし続ける、努力が必要なんだと思う。嫌と感じたことを、嫌と伝え続ける努力と、セットで。
わたしはじぶんにじかんをあげることにする。
夫から、『あなたは自分で決めたら、テコでも動かない部分とガツガツ動く部分が徹底的になる。振り切れるって言うか』と言われたことも思い出す。
何だそれ、風林火山みたいだ(笑)
しかし、その時が来たのをすごく感じる。
体と心を休ませながら、おとっつぁんとのやり取り、根本から見直そうかね…
はー。
ため息をついてしまうのは、私だけが、この問題の構造を分かっているからだ。このことを、ものすごく端的に説明してくれてる、文章を引用する。
女性→こども
男性→親
と置き換えると、私が疲労困憊している理由がよく分かるだろう…
つづき そしてラスト。