人と関わるうちに、「都合のいい相手」を求めるようになってしまった話
まさに「諸刃の剣」。
先日、Twitterで話題になっていたこちらの記事を読んだところ、
作家側にも、読者側にも、どこか身に覚えのある恐怖を感じた。
それは、
「かつての自分が強く持っていた欲求がエスカレートしたら、
最悪このようなケースに至る場合もあったのではないか?」
とも考えられたからだ。
身も蓋もない事をぶっちゃけると、今までの私は、
「自分に都合よく変わって動いてくれる相手」を求めていたところがあったのだ。
今だからこそ気付いた、あの時の気持ち
今年になってから、
やはり人と関わる事は「諸刃の剣」なんだ……と、改めて気付かされる事が増えた。
ここ数年の間に、ネットを通じて、共通の趣味を持つ人や、自分好みの作品を作られている作家の存在を知る事が出来るのは嬉しかったんだけど、関わっていくうちに
「自分の事も、もっと見て欲しい!」
「応援している人に気に入られて、対等な立場で話せる同業者になりたい!」
と考えるようになる事が何度かあった。
しかし、その気持ちを意識するようになると、次第に
「自分はもともとどうなりたかったのか?」
「本来は何をやりたかったのか?」
といった、当初の目的を見失ってしまう恐ろしさにも気付いた。
「自分がしてあげたのに」を意識するようになると、結局行き詰まる
今にして思えば、あの考え方は、
「あなたのおかげで」と感謝される恩人になる事で、
「推しを自分好みに変えて、同好の士を増やしたい」という欲求に由来するものだったのかもしれない。
特に心身共に疲れていると、
「いつも感想を送っているんだから、自分の話も聴いて欲しい!」
「これだけ頑張って文章を書いたんだから、もっと褒めてよ!」
と、次第に「自分がしてあげたのに」という考え方に固執するようになってしまう事が、当時の自分でも怖かった。
自分のした事に見返りを求めるようになると、やがてそれ自体が目的になってしまうので、むしろ逆効果だった。
しかし、そうだとわかっていても、
「君がッ 仲間に入れるまで 贈るのをやめないッ!」
と、余計に期待と苛立ちを繰り返して、心身共に疲れ果ててしまう……という悪循環に陥っていった。
……今思うと、ストーカーよりもタチの悪い発想だな。
そして、どうしてあの時気付かなかったんだろう?
「その人の趣味嗜好は、本人次第」だという事に。
どんなにお金や時間を掛けて応援しても、ファンレターやプレゼントをたくさん贈っても、
有名人と付き合えるようになれる訳じゃあないのにね。
「ガチャで爆死した人」って、こんな気持ちなの?
もしかしたら、
「ガチャを回し続けて爆死した分を取り戻そうとする人の心境」
って、こんな感じなのかもしれない。
これまでにつぎ込んだお金や時間が勿体なくて、ガチャのやめ時がわからなくなるように、自分も、
「次こそは、あの人達の仲間に入れてもらうんだ!」
と、「自分が相手の趣味嗜好に介入する余地」を求める欲求から離れられなくなってしまったのかもしれない。
検索してみたところ、これは「サンクコスト効果」や「コンコルド効果」と呼ばれる現象で、
ソシャゲの課金に縁の無い自分でも、十分なりえる精神状態なんだな…と、改めて怖くなった。
「一旦離れる」「見ないようにする」という選択の大切さ
その一方で、半年くらい前から、発達障害に理解のある心療内科での診察やカウンセリングを続けていくうちに、自分の中で起きた変化もある。
それは、「一旦離れる」という概念を知り、「見ないようにする」という選択が出来るようになった事。
……具体的にどうするかというと、
1.嫌でも目に入ってくる存在が気になってしまうなら、
物理的に視界から遮断して見ないようにする
(※もしくは、別の部屋に移動する)
2.相手の考え方や作品の内容にどうしても納得がいかなくて、
自分好みに変わってくれる事を求めずにはいられなくなったら、
作者や関係者のアカウントのフォローもやめる
この二つを実行するようになってから、一年前では考えられないほど、心身共に落ち着いて過ごせるようになれた。
そして何より、高嶺の花に気に入ってもらう為に、無理やり背伸びをする必要もなくなったので、
自分の手の届く範囲で出来る事にも、少しずつ目を向けられるようになったのである。
また、自分の趣味や考え方についての記事を書く事の面白さに気付いてからは、
小さい頃から手放せなかった欲求についても、少しずつ客観的に捉えられるようになってきた。
専門家の力ってすごい、改めてそう思った。
だからこそ、ブレない人はカッコイイ!
だからこそ、今では
「他人の評価に左右されずに、自分が本当にやりたいと思える事を続けて、創作活動が出来る人はカッコイイ!」
と、改めて思うようになった。
今の自分ではまだ辿り着けない境地かもしれないけど、自分の考え方や価値観と向き合う事は少しずつ出来るようになってきたので、
これからも、「自分のための自分語り」を書き続けていきたい所存です。
欲求との適切な距離感も、大事!