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《美術史》ヴェネチア派3大巨匠

こんにちは。
Ayaです。
前回までの4名(レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリ)はフィレンツェやローマで活躍していたので、『フィレンツェ派』と呼ばれます。一方で''アドリア海の女王"と謳われたヴェネチアでも独自の美術が発展していました。彼らは『ヴェネチア派』と呼ばれます。『フィレンツェ派』がデッサン重視でしたが、『ヴェネチア派』は色彩を重視したという特徴があります。『ヴェネチア派』では
・ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488?〜1576)
・ティントレット(1518〜1594)
・パオロ・ヴェロネーゼ(1528〜1588)
の3名が''3大巨匠"とされます。今日はこの3名についてまとめます。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488?〜1576)

ティツィアーノは正確な生年がわかっていません。生前から年齢を詐称して年金を多くもらっていたという人物だからです。近年の研究では1488年生まれが妥当だろうということになっています。今まで取り上げた中ではラファエロ(1483生)が一番近い年代といえるでしょう。
12歳ごろ当時有数の画家ベリーニのもとで修行を始めます。成長すると、先輩にあたるジョルジョーネの助手としても働きましたが、ただの助手ではなく切磋琢磨する関係でした。1510年にジョルジョーネが急逝すると、その仕事を受け継ぐなどで独り立ちします。
ヴェネチア共和国御用達の画家として、政府や教皇、貴族からたくさんの注文を受けました。31歳のとき、ライバルのラファエロが亡くなると、事実イタリア一の画家となり、海外の貴顕からの注文も受けるようになります。(当稿でとりあげたカルロス1世などです)
デッサンからの着色ではなく、絵の具を塗り重ねることでリアリティーを追求した画風は、後年のルーベンスやレンブラントにも影響を与えることとなります。
1576年なくなります。享年88歳(推定)

『ダナエ』
ギリシア神話でゼウスが黄金の雨となって交わり、ペルセウスを生ませた女性。黄金の雨をコインで表現する商都ヴェネチアらしい変更。

ティントレット(1518〜1594)

ティントレットは1518年生まれました。生まれた家が染物屋だったため、『ティントレット(染物屋の息子)』というあだ名がつきました(本名はヤコポ・ロブスティ)。父親のツテでティツィアーノに弟子入りしますが、すぐ追い出されます。生意気だったからといわれますが、ティツィアーノからは画家の技量を認める署名をもらっていました。ヴェネチア政府や貴族からでなく、同信会(信者同士の互助支援組織)からも多くの注文を受けます。
師匠ティツィアーノの色彩とミケランジェロのデッサンを組み合わせた独自の画風は、後世のバロック絵画に影響を与えます。
生涯のほとんどをヴェネチアで過ごし、1594年亡くなります。享年75歳。

『天の川の起源』
息子のヘラクレスを不老不死にするため、妻ヘラの乳を飲ませようとするゼウス。このときに滴った乳が天の川(ミルキーウェイ)になった。

パオロ・ヴェロネーゼ(1528〜1588)

ヴェロネーゼは1528年生まれます。彼も本名ではなく、生誕地ヴェローナからのあだ名です(本名はパオロ・カリアーリ)。マニエリスム様式(ルネサンス期の技巧をより先鋭化させた様式)を学びましたが、ヴェネチア派の色彩感覚も取り入れました。
特に饗宴を得意とする画家でしたが、『最後の晩餐』を異端審問にかけられ、題名を変更するなど苦労もしています。(結局『レヴィ家の晩餐』に変更しました)
1588年なくなります。享年60歳。

『カナの婚礼』
キリストがワインを水に変えた奇蹟のシーン。当時の主要人物も描かれている。ナポレオンの遠征でルーブル美術館にもたらされ、現在ではルーブル美術館一の大きさの作品。

『ヴェネチア派3大巨匠』、まとめて終わりました。このようにイタリア各地で繁栄したルネサンス美術でしたが、ローマ略奪やメディチ家の没落、ヴェネチアの衰退などで勢いを失っていきます。しかし、その精神はアルプスを超え、北ヨーロッパに広がっていきます。

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