キミは失礼な人間だね
絶望の世界に人は何を思う
ーvan Gogh ALIVEー
ゴッホについては「独特な色彩感覚の油絵画家」という教科書での知識と記憶しかなく、一緒に行ったのはいつもの元油絵画家の人だったのでゴッホのことを聴いてみたが返事はなんだか適当で「ラッセンがいいと思う」と言った。
と彼女は言っていた
そこで見た絵たちは、すさまじかった。思わず「何これ…」と声に出してしまうほどだ。
すべての絵に絶望が混じり、「独特の色彩」ではなく「こうなってしまっただけではないのか」と思うような
私が以前読んで吐き気のした太宰治の人間失格のように、生より死に近い、そんな作品たちが並んでいた。
彼女は何も解っていない
人の感じ方は様々であり、その感情を否定するつもりは無い
しかし、彼女は何も解ってない
としかわたしには思えなかった
吐き気のした太宰治の「人間失格」
そうかも知れない
彼女はそれを「生」より「死」に近いと
表現している
わたしはそうは思わないよ
人間失格は人間の「生きる」全てがそこに集約されている太宰にしか書けなかったであろう
「醜く、一番人間としてあるまじき姿」そのものを描いている
「死」に近いのでは無い
「死」に葛藤し、死に抗い、死を望む
その絶望とも言える中で生きる人間の
「本能」と「性」がまざまざとこれでもかと
描かれている「生」の物語である
結局結末は「死」に終わり
何一つ「人間の良い部分」は描かれていない
太宰が最後に命を賭けて書いた作品
「人間失格」は
「人間は生きる事自体罪であり
そして死は罰である」
わたしはだからtitleが「人間失格」
なのだと考えている人間だ
人間失格、それでも人間は生きるのだと
言う彼の最後のメッセージであり
そんな罪深き人間である太宰は
最後に罰である死を自ら選択したのだろう
「選択」したと言ったが実際の所は
知れない、人間とは死にたくなっては
死を、直前に生きたいと願う相反する生き物だ
それ故、「選択」しかのかも知れないが
死にたかった訳ではきっと無いのだろうと
わたしは推測する、しかし、結果として
死んだ、これが事実だ
もう太宰の身体はボロボロだった
死ぬと解っていた
だからこそ太宰は最後に
「人間失格」それを残したのだ
人間はいかに愚かであり、罪を犯す事を
やめられないし、どうしようも無い
しかし、そんな人間の中にもそれとは
相反する気持ちは存在し、葛藤する
自分に打ち勝とうとしても打ち勝てずに
堕落して行くだけの自分をどうか許して
くれと妻である女性に捧げた
太宰治と言う人間の生き様であり
それはまた「遺書」にも近く
わたしは太宰が描いたのは人間の「死」
では無く「生」であったと感じる
文学を読まない者、そしてこの様な
一般的思考を遥かに超えた世界に住む
人間の考える事など解る訳も無い
わたしは彼女に言いたい
「生」と「死」は表裏一体であり
あなたの中にもそれは存在しているのだと
そしてそれはゴッホにも言える事だ
すべての絵に絶望が混じり、「独特の色彩」ではなく「こうなってしまっただけではないのか」
やはり彼女は解ってない無い
全ての絵に絶望?逆だよ
ゴッホは全ての絵に希望を描いた
「独特の色彩」は彼の象徴であり
彼の世界から見えたそれは「現実」だ
つまり彼は彼の見える「現実」の全てを描いた
自分の技法で、それはその時代
到底「受け入れる事の出来ない突飛で奇妙な作品」であり、人々は皆ゴッホをおかしな人間だと
判断しただろうし
実際に誰がどう見てもそれは「異常」である
としか言いようが無い
では、彼は本当に「異常」だったのか?
答えはNoだ
違う、それが「また、誰にも理解されない人間であるわたしには解るのだ」
「こうなってしまっただけでは無いか」
実にnonsenseな捉え方をする彼女は
「知らない」のだ
生きるとはどんな事で
死とはどんな事か
それはその言葉の端々から感じとる事ができる
背景、色使い。その恐ろしい世界観はどの作品にも詰まっていて、ひまわりの絵ですら絶望を感じる。
「恐ろしい世界観」それは美しいまでに表現されたそれを知らない者には解らない感覚だよ
「ひまわりの絵ですら絶望を感じる」
何を言っているのだキミは?
呆れてしまうな
彼は「ひまわり」に希望を込めた
だからずっと「ひまわり」を描き続けた
ひまわりの花言葉は
「あなただけをみつめる」
「憧れ」だ
彼は黄色い家で本当はたくさんの人と
楽しい時間を過ごす事を望んでいた
しかし、それは叶わなかった
それでもその象徴であり彼の希望で
あるひまわりの絵は永遠と描き続けた
わたしはかつて夫に言われ事がある
綾嘉はひまわりの様な人間だと
わたしは素直になんで?と尋ねた
そして夫は言うのだ
「何があっても太陽に向かって咲いている」
なるほどと解釈した気持ちと
わたしは嬉しさが込み上げて来た
わたしはいつだって諦め無いし
上しか見て無い
わたしは太陽に向かって咲く向日葵
なのだ、sunflower
まさに「太陽の花」だ
しかし、夏が終われば
ひまわりは枯れて下を向く
それでも
わたしは一年中咲く向日葵らしい
あなただけを見つめる、憧れ
わたしは届きもしない太陽に向かって
いつだって手を伸ばしているのかも知れない
ゴッホにとってひまわりは
わたしと同じだよ
南仏の太陽そのものであり
太陽に恋焦がれた彼は
だからどんな「瞬間のひまわり」も描き
続けたのだ
どんな瞬間のひまわりもとは
彼の目から見える世界=現実の
「ひまわり」の全てだ
だからこそ、枯れたひまわりも存在する
元油絵画家のあの人は、「そうだろう」と言う顔をしていた。ゴッホ展に行く前に言っていた「ラッセンがいいと思う」は確かだった。
と彼女は述べている
確かにラッセンの絵は美しく
そして浄化されるようなイメージを放つ
わたしから言わせてもらうなら
「当たり前」だ
それは「誰もが見てとれ、ある意味決まりきっていて」わたしの様な人間からすれば
つまらなく感じる
これはラッセンを批判したいわけでは無い
「解りやすいよ」と言いたいだけだ
最期の最期まで絵を描くことで何かを求めていたのか、体が絵を描くことしかできなかったのか。ゴッホはひまわりをたくさん書いていたようだが、あれは、ひまわりが好きだったんではなく「ただそこにひまわりがあるから」描いていただけなのではないのか。
実にnonsenseだ
先程わたしが言った様に彼はそうでは無い
「ただそこにひまわりがあるから」描く?
キミは仮にもartistなのだろう?
少しその安直な考えと
「決めつけ」の激しさが否めない
彼女の視野と感覚はとても狭く
「自分の価値観」を
まるで人に押し付けている様に感じる
彼女の言葉と彼女の人に
伝える表現がそれを物語っている
共感覚artistと言っているが
はたしてそれは共感覚なのか?
わたしは疑問に思う
自分が感じた感覚を現すなら
それは共感覚とは言わないし
言えないだろう
わたしは何度か彼女を見てそう感じた
それは「自分の中で発生した感覚」と
感じる色、見える色を表現しているのであって
うーん、言ってる事が腑に落ちないよ
(アンチな訳では無いから誤解しないで)
素直に、ん?それおかしいよね?と
思っただけ
手入れの行き届いてないひまわりは、花瓶に入っていても枯れているものもあり、枯れたものだけの絵も多くあった。部屋にあるひまわりをただひたすら眺め、描く。新しい花を選ぶ気力も発想もなかっただけなのではないだろうか。
この文章からも読み取れる様に
彼女はゴッホを理解してはいない
そもそも、浅い知識で観ている訳だから
解る筈も無いよ
言ったでしょう?そのひまわりのどんな瞬間も
彼は描いたのだと、それが「生」である事の
最も重要な根拠だ
生きるものはやがて枯れ果て
死を迎える
だからそこにあるのは「生」
の表現の全てであり「死」では無い
彼もまた太宰の様に「生」と「死」の狭間で
揺れ動きながら葛藤した人物だ
だから人々は彼を狂ったと言ったし
精神病院にも入れられた
耳を切り落とす行為は狂気か?
いいや、違うよ
これは人間研究者として心理学者として
1artistとして、全ての観点から言わせて頂く
人間ってね、キミが思ってる程
easyじゃ無いんだよ
そしてキミみたいに「自分の狭い世界」
に住んでいる住人には彼の事は余程理解に苦しむのでは?とわたしは感じる
後一緒に言った人間も
そんな言葉を言ってる時点で
「解らない」人間であり
そして「解りやすく」美しいものを
好む人間だと見てとれた
artとは美しさだけでは無いし
artは自由だよ「決まり」なんて存在しない
しかし、キミにはキミのルールがあって
「決まり」が存在する
それが狭さの原因だ
(否定はしないよ、事実を述べただけ)
決まりにこだわる人間は実にnonsenseであり
芸術の世界を「変える事は出来ない」
と言うより「自分を超えては行けない」
とわたしは感じる
何かしらの「枠」に囚われている時点で
可能性が無限大でない事は確かだからね
artは進化し続けるし
「概念」なんてものは存在しない
その人間が唯一無二の「概念」を創造する
それがconceptだよ
少なくともわたしはそう考えている人間であり
これと真逆の考えを持つ人間もいるだろう
どれもこれも不気味で絶望的なものだったが一番は、ゴッホが自殺する直前の絵だ。もう、絵が絵になっていない、らくがきのような作品で、私はまともに観れず、次の部屋へ向かおう、と言った。
「絵が絵になってない落書き」
それはキミの価値観だ
絵が絵になってないなんて事は
現実的にあり得ないよ?
どんな形でどんなモノでも
描いたものはすべて「絵」だ
だからキミは視野が狭い
「絵」を絵として認められず
ましてや絵になってない?
キミはかなりの傲慢なタイプなんだね
なら、キミの描いたものは「絵」で
落書きは「絵」じゃないとでも
言いたいのだろうか?
笑ってしまうよ
nonsense過ぎて
キミはよっぽど自分に「自信」があるんだね
しかしその次の部屋がさらに絶望を掻き立てるものだったのだ。部屋一面をスクリーンにし、ゴッホの絵が次々と映し出される。悲惨な音楽とともに。座り込んで観ている人もいたがここで、私の笑顔は完全に消え去った。
キミの「感情」が負の感情に支配されているわけだから、その先何を観ても、何を聴いても
そうなるのは至極当然だと思うけど
だから何だと言うのだろう?
ではキミと同じ感覚を味わって欲しいとでも?
他の人は楽しいんでいる人もいるんだよ
人間の感覚と
それをどう受け取り
どう感じるかは自由だよ
キミが決める事じゃ無い
「キミの押し付けがましい所が
わたしはあまり好ましくないね」
キミがどう感じるかは自由だよ
しかし、人にそれを強制するのは如何なものか?
だって、同じ様にどう感じるかは自由だからね
こんな絶望の世界を一面スクリーンにして流すなんて、どんな気持ちで企画しているのだろうか。この絵たちに価値が付いたのは、自殺後だというじゃないか。そんな悲劇しかないものを、どうしてこんな風に観せられるんだろう。
悲劇ね...
この絵たちに数百億の価値をつけた人間は、精神に異常を来たしていたとしか思えない。すぐに病院に行くべきだったのではないか。表情、背景、瞳の描き方。私は詳しい技法まではわからないが、どれをとっても苦しみしか伝わってこない。
それはゴッホに対してとても失礼だよね
まるで彼の作品には価値が無いとでも
言いたいのだろうか?
どちらかと言ったらその認知の歪み?
病院に行った方が良いのはあなただと
思うけど?
誰かの苦悩がアートとなり、価値を見出す不思議な世界。耐えられないほどの絶望が流れる映像と、それを助長するような音楽をニコニコとしながら見る人々は、一体なにを思っていたんだろう?
「誰かの苦悩」ねキミに何が解るの?
本当に決めつけが激しいな
ALIVEではなく限りなくDIEに近いものを私は見た。「生」なんてどこにも見当たらなかった。
ならあなたは今「生」ではなく「死」を
観ているのでは無いだろうか?
自分の世界が「死」に近い所にあるから
そう感じる
わたしは全ての人間がキミと同じ様に
感じるとは到底思えないな
私も苦しい時に描きなぐった絵を「素敵だ」と言われることがよくある。人の感性は不思議だ。描き手の感情を超え、芸術となってしまうのだから。
何?観る者がどう感じるかは自由だよ
キミがゴッホに感じた様にね
それにケチつけるの?
しかも「素敵だ」この言葉にどれだけの
意味があるかなんて解らないじゃない?
それともキミはそれについて聞いたの?
知ってるの?
ゴッホの絵というより、ゴッホの感情を観すぎてしまい苦しくなった。私が心がしんどい時に絵を描けない。と思うが、ゴッホは描き続けたのだ。そんな中で生まれる芸術もあるのだろうが、私の目指すところではないと感じた。
目指す必要性ある?ないよね?
あなたはゴッホじゃないし
ゴッホは描き続けたって言うけど
あなたはゴッホの気持ちの何が解るの?
彼に聞いたの?
全くキミの言っている事は理解不能だし
ケチしかつけてないよ
勝手にラッセンの光でも浴びてれば良いよ
ああ、実に不愉快な記事だったよ
ゴッホに対して失礼だ
キミは「絶対的透明性」についても
語っていたけど絶対的って何?
キミのartって凄く狭い
もう天井あるじゃん
しかも何なら
四角い箱の中だよ
キミはキミらしくあれば良いとわたしは思う
誰かに「自分が見える」モノの価値観を
押し付けるのって良く無いと思うよ
キミは共感覚って言うけど
キミはキミの感覚と見える色に囚われてる
気がする
だから苦しいんじゃ無いの?
でも、そこら辺についても
前にキミに聞きたい事があって
尋ねてみたけど
キミって本当に「ビジネス」なんだね
最終的に無視、結構最低だよ?
わたしなら普通に答えるけど
だから嫌なヤツって思った
それなのに伝えるんだって
一体?何を?
ふーん、あっそう
頑張ってね
後、もう少し人には優しくした方が良いと
思うよ(余計なお世話かもだけど)
そして何故わたしがこの記事を書いたか?
それは太宰とゴッホに失礼過ぎるからだよ
しかもわたしは太宰と同郷でね
そして、同じく同郷である棟方志功の
影響を多大に受けている人間だ
その棟方はゴッホの絵に感銘を受け
同じく表現する人間でありたいと願い
努力した1人のartistである
そんな良く解りもしない
浅い知識で感じた事をさも
「それが全て」の様に語られたら
たまったものでは無いからね
どう感じるかは自由だけれど
わたしとしては、良く知りもしない人間に
そんな「決めつけ」の「押し付け」な記事
なんて御免だよ
腹が、立つのも至極当然の感情だ
そして何より、前にその件があるからね
嫌なヤツだとは思っていたけど
いやいやそれは無いだろ?
少しは記事を書く前に
勉強してから書きなさいな
キミがどう思ったはさて置き
失礼なんだよ
ただそれだけ
それが言いたく書いたのさ
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