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「幸せ」を定義し直す、2022夏

先日数人の集まりの中で、「幸せってなんですか?」という話題になった。

2019年にコーチングの学びを始めてからというものの、意識的にも無意識的にも、周囲にいる人はコーチングやカウンセリングなど対人支援の生業をしている人や自己探求や自己成長などに熱心な人たちばかりになっていった。

こういった方たちはみんなそれぞれに自分の「幸せとは」がある。

「幸せ」だったり自分の大切なものに少なからず一度は向き合い言語化するフェーズを通ってきて、その人なりの定義を持っている。

もちろんわたしもそうだった。

「幸せ」についてとても考えてきたし、これをテーマに設定しセッションを受けたこともある。

ただ、今回の場はいつもと違った。



1

まず、「幸せとはなんですか?」と問われた時、いつも答えてきた私の解を述べた。抽象的な表現ではあるが、「頭と心と体が一致している状態である」と。そして今回はそれに加えて「魂」や「統合」というキーワードも出てきた。

だけど、私はこれを口にした時、なんとなく腑に落ちなかった。
「あれ?いつも言ってたけど、そうなのかな?あれから月日が経って、もっと自分の中の芯に近付いたのに、なんかこの言葉でいいの?」

心理学的にいうと、フォーカシング思考心理療法でいう、フェルトセンスが私のなかでうまれた瞬間だった。

フェルトセンス…「フェルトセンス」とは、身体の中心部分にぼんやりと注意を向け、何かの気がかりにまつわる身体感覚の事をさします。

心理学用語の学習: フォーカシング・ゲシュタルト療法


ちなみに余談ですが、このnoteを書こうと歩きながら「幸せとは」を考えていると「ほんとうの自分」を言語化した先にも同じものがあったので、それもまた後日アウトプットしていきたいです。


-why?

「幸せとは」について考えることがどうして大事なのか。
それは、幸せだと自分で思っていたものに到達したとき、それが自分の思い込みや信念、社会通念によって違った認識の「幸せ」だった場合、自分の中で誤差が起こるからです。

たとえば「私の幸せは、年収2000万円稼いでいる人と結婚してタワマンに住むこと」だとしたとき、本当の自分の望みでなければ、そこに到達した時に「あれ?欲しかったものってこれだっけ?」ってなる。ズレが生じるのである。「これを手に入れるために頑張ってたのに、あれ〜?」となり、さらにはサンクコストバイアスによって、そこから抜け出せなくなったりもする。

だから「幸せ」はしっかりと自分の内側と向き合って自分と対話を重ね、自分の言葉で定義付けをした方がいい。

そして、それは流動的なものでもあるので、定期的に見直したほうがいい。



2

この話題になったとき、ひとりが言った。
「ん〜〜〜考えたことなかったなぁ、う〜〜〜ん、自分が楽しいとき!」

この言葉を聞いた時に、わたしは2発ほどの衝撃を受けた。
前述した通り、この数年は対人支援者や自己探求者の方達とばかりお話をさせていただいていたので、「幸せについて」を考えることはわたしの中に大前提としてあった。考えていて当たり前だと思っていた。

わたしはまた知らず知らずのうちに自分で固定観念をつくりあげていた。良い悪いはないが、視野がせまくなっていたことに少し反省した。


そして、「楽しい時が幸せ」。
目から鱗であった。シンプルに真実だなぁと思った。

幸せはもっとシンプルでいい。
人生ももっとシンプルでいい。

自分が幸せでいられるために必要な言葉や行動やマインドや思考はきっともっとシンプルなんだと思う。

というより、一回りも二回りもして、きっとシンプルなところに行き着く。
そのための、いろんなプロセスが必要なのだ。

結果的に行き着く場所なのだと思う。
プロセスの集大成がきっと「今ここ」の幸せを感じることができる結果なのだと思う。

プロセスを経る世界線と「今ここ」を感じる世界線の循環。
そのサイクルを心地よく回していけるのが良い。


発散と収束

自分のプロセスをその都度振り返り、言葉として紡いでいく。
日々のこころの移ろいや、関わるものからいろんな「じぶん」を拾い集めて大事に言語化をする。ここで自分の「幸せ」がわかる。

このプロセス自体も「幸せ」なのだと感じるひとつの要因なのだと思う。

そんなことを感じた時間だった。
この夏は自分の幸せをまた再定義していく期間になりそうだ。

ゆっくり、ゆっくり。
丁寧に時間をかけて、自分の感情のひとつひとつに寄り添い、思考も程よく働かせながら、言葉として生み出してみようと思う。

改めてこの機会を与えてくれた方たちに感謝を込めて

2022年7月吉日

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