子どもが「学校行きたくない」と言ったとき③
子どもが「学校行きたくない」と言ったとき①
子どもが「学校行きたくない」と言ったとき②
の続きです。
子どものことを親が勝手に書くのはいかがなものか、と思われる方もいるやもしれませんが、このシリーズはなんと、娘本人の許可を得て書いています。
というか、そういう細かいことにこだわらない娘、おおらかというか大陸的というか…そこがほんとうに面白いです。
娘はフレンドリーというか誰にでも懐くタイプなので、近所のお年寄りや、サービス業の方々にウケが良く、自営業の夫のところに遊びに行っては、常連さんにお小遣いをもらうちゃっかり者。
スーパーに行くたび、ご意見箱にお店への褒め言葉を書いて入れるのが好きで、それらがいつまでもご意見箱コーナーに「お褒めのことば」としてずらっと貼られておりまして、読んでみると
「ざっしコーナーはいけてる本ばかり並べられていて、おもしろいオーラが出ていました!」なんて書いてありました。
「だって、もんくばっかり書く人が多いから、お店のひとに元気出してほしくて」と、エールのつもりのようです。めんごい(かわいい)です。
そんな自由闊達な娘も、とうとう学校の雰囲気に耐えられなくなってきて、2ヶ月余り、「無理のない範囲で登校する」生活を送りました。
娘の気持ちが楽になってきたかと思いきや、そんなこともなく、むしろ「学校は中間休みまでがちょうど良い」などと言うように。
中間休み終わり = 10:30 です。
そんな日が続くと私の方も欲が出てきて、そこまで毎日行けるのなら給食までなんとか…と考えるようになってしまいました。というのも、平日の私のお昼ご飯といえばそれは偏っておりまして、毎日納豆ごはんとか、そうめんとか、そのときのブームのメニューを食べ続けるのですが、娘がいるとそれもままならず…。娘は同じもの食べ続けられないタイプ(当たり前か)。
しかし、結論から言うとそれは間違いでした。
娘が学校に行きたくないのは、教室に居づらかったからなのです。
娘は女の子同士の決まったグループで動くことが苦手ですし、友達のトイレについて行く等のグループ全員に合わせるのが是、とする空気も解しません。
その時の気持ちでしたいことをする娘の言動と、女の子仲良しグループは相容れない関係です。
昨年度まではなんとなく済まされていたことも、3年生になって、相容れなさ加減は明確になってきたようです。
…ところでこの話をすると、「元・女子」の大人の友達は、みんながみんな、
「わかるー」「女子ってめんどくさいよね」
と言ってくれるのですが、本当にそうだとすると、女の子仲良しグループ化現象は肝心の女の子達がだれも楽しいと思ってやっていない、ということなのでしょうか?
ではなぜグループでわざわざつるむのか?
ハテナ?がいっぱいになる私です。
私も「元・女子」ですが、島育ちでそもそも子どもが少なく、学校の子どもほぼ全員が幼なじみという特殊な環境で育ちました。
小・中と、仲良しグループでつるむことを一切やっていなかったので、高校へ上がった時たいへんに苦労しました。(大学は、女子大だったのが却って良くて、懐の深い友達ばかり。私のそんな一匹狼傾向を受け止めてくれ、いろんな人と仲良くしたいならそれでよし、としてもらえたのでとても嬉しかったです。)
娘の話に戻すと、娘が学校に行きたくないのは、「居づらいし、ほんとは行きたくない。」
そんな本音をある金曜日の眠る前に伝えてくれました。
「すこしでも変なことすると、なにか言われる。
私がおかしいの?」
って言うんです。
おかしくねー!いちいちこうるさく言う方がおかしいんだ!と憤る母。
「もしかして、ほんとは学校に行きたくなかった?」と聞くと、…うん、と頷く娘。
私が「学校に午前中だけでも行ってもらいたい」とひそかに思ってた気持ちを汲んで、毎日無理して行ってたことも話してくれたのでした。
私は、子どもが「学校行きたくない」って行ったら「行かなくてもいいよ」と言える親でありたい、と思っていたのに、実際は全然違っていました。
なりたくなかったはずの、子どもに無理をさせる親でした。
落ち込みましたし、自分を責めました。どれぐらい落ち込んだかと言うと熱まで出しました。
と同時に、「不登校の親というものは、なってみないとわからないものである!」ことを腹の底から理解しました。
自分の子どもが、ある日突然、学校へ行くのが苦痛になる。
それまでのびのびしていた子どもの表情が固くなるのでそれと気づく。
子どもが、自分の言動がおかしいと思われないかつねに不安で、悪口が聞こえてくると自分のことではないかと心配になってしまう。
そんな子どもの姿を見るのは本当に辛いものです。
娘は社交的で人が好きで、友達のことも好きなので、学校にいる時間などの心理的負担を減らせば少しずつ元どおり明るくなれるのではないかと思いましたが、結論は大間違いでした。
今度こそ、もう今度こそです。
心を入れ替え、また夫とも話し合い、親としての腹を括って、
「前向きな気持ちで学校行きたい、と思えるまで学校に行かなくてもいいよ」
と娘に話したところ、すごくホッとして
「やったぁ」
と呟いていました。
それが実はつい最近の話でして、今は平日もずっと娘は家にいます。
とにかく絵を描きまくっていて、この短期間に明らかに上達しています。過集中の凄み、見せつけられています。
娘は、絵を描くことについてはきっと才能があるでしょう。上手い下手以前に、無心になって何時間もできること自体が才能だなぁ、と感じさせられるのです。
好きなことなら寝食忘れて何時間でも取り組めるゆえに、周囲に合わせられない特性がありますが、それも全部、娘の良いところだと思っています。
今はとにかく、娘がまた、のびのびした楽しそうな表情を取り戻すまで、見守るのみ…。
と、家にいるので、毎日一緒に犬の散歩に行けるようになったのですが、昔みたいに即興の歌を作って歌いながら楽しそうに駆けています。
子どもが自由にのびのびできない学校って、そりゃ一体なんなのでしょうね。学校ってそんなにつまらないところでしたか?
島育ちの私は本当のところを理解していなかったようです。だって私の幼なじみといえば、朝から親と喧嘩し家出して捜索されたり、授業中に「死んでやる!」と2階から飛び降りようとしたり、まったく宿題をやらないので罰の廊下掃除が250往復まで溜まってたり(私はマックス50往復)
そんな子どもばっかりだったからなぁー。
実は、この流れで、私の古民家カフェ兼コミュニティハウス構想は、古民家フリースクールへと大きく舵を切ることになりました!
そこのところは次回へ続きます。