私たちは我慢が当たり前の世代だけど、子ども達はそうじゃなくていい
自分は好きに生きていたいと願うのに
子どもには「普通」に学校へ行ってほしいと思うのはダブルスタンダードだ、と先回のnoteで述べました。
「すごくわかる!」
「頷きながら読んだ」と感想を伝えてくださる方々がいて、嬉しかったです。
しかしながら、もしかすると、というかおそらく、
「子どもが学校行くのは当たり前だ」
「子どもには教育を受ける権利があるんだから」
「今まで頑張ってきた大人たちが各々の幸せを求めるのとは訳が違う」
と思われる方も、きっといらっしゃったことでしょう。
かく言う私も、ともするとそのような考え方にとらわれることがあります。
でもそれは「私が感じていること」ではないのです、私の場合。
一言で言うと、
「世間の常識から外れて大丈夫なのかという怖れ」
なんですよ。
わー、言っちゃった!
現在40代の私の子ども時代は
「学校は行くのが当たり前」
「いやなこともつらいことも我慢するのが強さ」
「いやなことから逃げていては弱い人間になる」
とされていました。
多少いやなことがあったって我慢し、熱があったって這うようにして学校へ行くのが当然、でしたよね。
でもそのようにして小1から高3までの12年間を過ごしてきた結果、何が残ったのかというと
自分の気持ちを自分のものなのに抑え込むくせや
自分の体の不調を自分のものなのに無視する傾向や
そのほか、いやなことも我慢して抗議しないとか
他人の気持ちを優先して自分のことは後回しにする(しかもそれが「いい人」とされてたし!)
などなど、自分が本当に望む生き方をしたい今となってはそんなの通用しねえ!ことばかりなんでございますよ。
12年間をかけて培ったものが、むしろ今や私たちに生きづらさを感じさせる習慣ばかりなんですよ。
そうじゃありませんか?
「私が我慢すれば終わる」「揉めるのが嫌だから黙っておく」
自分のことを後回しにするあまり、自分の意見を言うこともできなくなっている大人の私たちです。
(念のため書くと、SNSでひとを槍玉に挙げるのは、意見を言うのとは違います!そんなのは普段の生活で自分の意見を伝えることをしていない人でしょう。普段から自分の意見を大切にできている人なら、SNSなんかでせいせいしようとしないはずですわ)
だからさ、自分の子どももそんな生き方でいいのか、ってことなんですよ。
"そんな生き方"から脱却する、一歩抜け出すには、「自分の気持ちを尊重する」しかない。
これ一択なのであります。
子どもが「学校に行くのがいやだ」
「学校に行くと自分が自分らしくいられなくなる」
と言うのならば、その気持ちを尊重してあげないと、
自分の気持ちを押し殺し続けて、いつか自分の意見も言えないし自分の気持ちも分からない大人になってしまいますよ。
私がそうでした。
あなたもそうじゃなかったですか?
自分の気持ちを尊重して生きようと願うのならば、子どもの気持ちをも尊重してあげなくてはいけないと私が述べるのには、このような理由があってのことです。
娘は現在午後から登校をしていますが、それは友達に会いたいためです。
午後の授業はだいたい受けずに相談室で自由に過ごして、友達と一緒に帰ってきて、その後もたっぷり遊んでいます。
いまはみんなでザリガニ釣りに夢中になってて、だいたい誰かが泥だらけになったり、膝こぞうを擦りむいたりするので、ばんそうこうを貼ってあげるのが私の楽しみです。(可愛い)
午前中はというと、とことんのんびりしたり、不登校児の居場所で過ごしてから登校しています。
この過ごし方で娘は満足しているので、それを尊重し、
「学校行ったなら授業を受けてきな」と迫ることなく、見守ろうと思っています。
と同時にですが、学校にもっと柔軟に受け入れてほしい、とは要求しません。
なぜなら自分が教師だったので、普通の公立小学校で、充実した個別の対応なんて不可能だと分かっているからです。
学校ってあくまでも、教師1人 対 生徒35人でできているというか、構成されているところなんですよね。
娘の場合、教頭先生が対応してくださっています。
学校でいちばん忙しいのは教頭先生なんです。(注・校長先生ではありません。)
そんなお忙しい中、枠にはまらない娘を気にかけてくださっているだけでも感謝しています。
一方で、学校にお願いできないことも多く、家庭でできることはしなくてはいけない面もあります。
学習面とか、子どもに時間を取られることとか。
でもそれは考え方を変えて、プラスに捉えるしかないと思っています。
またの機会に述べますね。
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