時代の大転換期に必要なもの
コロナ感染が急速に広がる中でオリンピックや、さらにはパラリンピックが開催されている。オリンピック中止を求める市民団体を取材した新聞記者の友から聞いたけれども、オリンピック中止の判断は、オリンピックの契約関係が複雑すぎて、誰が決定できることなのか不明なのだそうだ。
ということは、もしこのオリンピック・パラリンピックで何かあった場合に損害賠償の訴訟をすると言っても、誰に対して訴訟を起こせば良いのかは分からないということだそうだ。さらに、この問題は東京だけの問題ではなく、世界のどこで開催されても同じだそうだ。
なので現状のオリンピックの枠組みを是とするならば、オリンピックは開催するしかない(誰が中止できるか分からないから)となると。それが、日本一国の問題でもなく、世界的な秩序であるということのようだ。
だけど平和の祭典の筈のオリンピックが、コロナ感染を考えれば必ずしも人々の平和を推進するとも言えない状況で開催されているのを見ると、オリンピックの理念は形骸化していて、商業化しているというのは本当なんだなと分かるし、そのことを恐ろしく思う。どうしたらこの状況を変えて行けるのかと考えた時に、政治に思想・哲学があること、そしてその思想が本当に実施されることが大事なんだと分かる。
江戸時代末期、明治維新前夜に活躍した横井小楠は、「世界一等の仁義の国になる」と言った主張のもとに、古代中国の名君が行った優れた政治への復帰を唱え、自らも熊本藩で庶民を富ませる税制、農業や商業の仕組みづくりをして成功を収め、その上で参勤交代の廃止、江戸にいる大名の妻は各藩へ戻すこと、家柄に関わらず人材登用することなどを含む提案を幕府に行った。
これらの提案は全て江戸時代の常識からすればもちろん考えられないけれども、思想に基づいて転換を構想するとこうなるということで、横井が幕閣を説得してその重要性が理解されるようになったというけれども、一体どうやったんだろう。やっぱりその根本となる思想から、説き起こしたんだろう。
横井は農業や商業で末端の国民を富ませることを重視しているけれども、その考え方に政治が基づいているならば、今の日本でやるべきはオリンピックだろうか。
コロナ感染対策でテレワークの推奨は私は良いと思っているけど、そしたら国会とかもオンライン開催したらいいのに。自分はやらずに下々の者はやりなさいというのは実に迫力がない。今までの常識だったらオンラインで重要な会議をするのはいかがかということだろうけど、非常時だし、変化が必要な時なのは誰の目にも明らかだ。
今の社会を見ていると、変化に必要なのは思想哲学なんだと腹落ちする。
理念を持って愚直にそれに沿って実行するのがリーダーシップなんだと。