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拒食症と親との確執

こんにちは、YouTubeで主婦系チャンネルを
運営しているみぃ子こと、あやです。

よし!やろう、と意気込んだものの、
2記事目はどの調子で書いていこうか...と
悩みすぎて中々筆が進まずにいます(正確には筆ではない)

タイトルにあるように、こちらのnoteでは
拒食症と向き合った過去10年間を綴っていくのですが、それを語るには親子関係は切っても切り離せないというか...一番根強い部分ではないかと思っています。

・私:37才
・夫:37才(高校の同級生)
・娘👧🏻 年中(女の子)
・息子👶🏻2才1ヶ月(男の子)

《生まれ、育ち》
父:ザ・昭和男のサラリーマン
母:専業主婦→途中からパート
4つ離れた姉がひとり。

短期大学卒業後、銀行に就職するも
4ヶ月で退職...そこから職を転々とし、
27才の時に突如カナダへ留学

2年弱の留学を経て帰国し
現在の夫と結婚、出産→今に至る

拒食症は18才で発症し、
完治したと自覚するのは30才頃

上記の期間で学生→仕事→留学と経験を
しましたか、どこへでもついて回ってきたのが
拒食症という悪魔。
仕事を変えたところで、カナダに住んだところで、治るはずがありませんでした。

私を苦しめていたのは人一倍低い自己肯定感と、何をしても認めてもらえないという劣等感。

この部分にメスを入れないと
どうにもならないと頭のどこかでわかっていたものの、ハタチを過ぎても“親“という縛りから抜け出せない私は、何もアクションを起こすことができず、ただただ体重が減り、肋骨が見え、真夏でも長袖を着て、通りすがりの人には振り返られ...
そんな毎日を送っていました。

一番認めてもらいたいのはやはり母親で、
当時は一番の味方であり、一番の敵でもありました。
それについては後ほど...


幼少期は何をするにも父と一緒が良くて、父が仕事を終えて家に帰ってくれば、その大きな胸に飛び込み、絵本を優しく読んでもらってそのまま寝る...という生粋のパパっ子でもありました。

もちろん母のことも大好きで、
母が録画したはなまるマーケットを一緒に見て、
番組で紹介されていたレシピを夕飯のメニューにして一緒に作る...
そういう方が友達といるより楽しくて、恋愛やファッションにはあまり興味が湧かず、早くお母さんになりたい。
そう思っていた10代前半でした。

一方で、「普通」にこだわる家庭ではありました。

思春期に入ればそれなりに自我も出て
少しレールから外れることもしたくなる年頃。

部屋にテレビがなかったので、
別の部屋でドラマを見ていたら
こんな時間まで見てるんじゃない、(まだ21時)と
目くじら立てた父が飛び込んできて、

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