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耳に棲むもの
■ 感想
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亡くなった父の耳に棲んでいた四つの真白な骨。形見となった耳の骨たちが奏でる5つの音に込められた、父に纏わる記憶の連作短編集。
言葉や文字で気持ちを伝えることはできても、家族、友人、恋人のような親密な関係だとしても、人はどれだけの想いや過去を共有できているのだろうか。記憶のさざ波に静かに包まれていくような不思議な浮遊感と共に展開していく、知らなかった父の過去たち。
長らく補聴器のセールスマンとして出張続きで留守ばかりだった父はいつも缶を持ち歩いていた。鞄の中でカラカラと音を立てる缶の中身を尋ねても「あちこちの旅先で拾った、名づけようもないささやかなものだ」とはぐらかすばかりでとうとう中身を知ることのないまま、不思議なことに亡くなった父の遺品を整理してもその缶は出てくることはなかった。
その缶の話に「なるほど」と父と長年の付き合いだった耳鼻咽喉科の先生が骨壺から取り出してくれたのは、四つの真白な耳の骨。「心に浮かんだ言葉は、耳に棲むものたちによってこそ、音になるのです」そう語った先生の言うように、静かに缶の中で触れ合う父の骨のカルテットは、知りようもなかった父の人生の側面を缶に代わって奏で始める。
ある収穫祭でのひとこまを描いた「耳たぶに触れる」は、太宰の「満願」を読んだ時のような、得も言われぬ美しい景色が立ち昇る。「早泣き競争」という早く涙を零した者勝ちのプログラムで、”あの人は本気で泣こうとしている”と確信した少年は、零れた涙を撮ろうとインスタントカメラ越しにその彼を覗き続けた。少年が捉えた男の涙、その写真を見た縦笛演奏家は「ちょっと、よろしいですか?」と写真を手に取り、涙の写真の上に五線譜を重ね、光にかざした。
五線譜越しに涙は微かに透けて見え、その影をなどってできた音符たちは、少年と男の一小節目になった。二小節目は梢から飛び立つ野鳥たちの影、三小節目は今にも消え入りそうな木漏れ日。そうして出来た三小節の小さな小さな音楽を、縦笛演奏家は繰り返し奏でた。五線譜に透かし取った男の涙から生まれた音たちは風に乗って軽やかに運ばれ、読者である私の耳朶にも響き渡る。
しかし、ただ美しいだけで終わらないのが小川洋子。人の人生は清らかな側面だけではなく、知られたくない想いや過去を大なり小なり内包している。秘めたる思い出に静かに耳を澄ます、美しくも恐ろしい四重奏の物語。
■ 漂流図書
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■薬指の標本 | 小川洋子
クッキーの缶は人生の縮図を濃縮した標本のようでもあり、またこの作品に帰りたくなった。
静かな狂気を孕む小川さんの作品は安全なようでいて、青髭の館のようにひんやりとした焔に包まれている。