あかちゃんの笑い声
空港のラウンジで休んでいたら、あかちゃんの笑い声がした。
あかちゃんは、まるで幸せの玉を転がしたみたいな笑い方をするな〜なんて思って聞いていたら、あかちゃんのお父さんが、優しく小さく
「し〜。」
と言った。
もう少し聞いていたかったなぁと思いながら、あの笑い声を止めさせなければならない
「公共」
ってなんだろうと思った。
みんな、善意で生きてる。
でも、なんだか息苦しい。
そしてその息苦しさを、正義という蓋で覆って見ないことにしている。
あかちゃんの笑い声を迷惑に思う人がもし居るのなら。
たぶん、
間違いなく、
迷惑に感じる人は心を病んでいる。
何が他人に迷惑をかけるのか。
その匙加減なんて、きっと、人それぞれなのだろうに、昭和の時代に子どもだった私は、息をひそめてまるで存在を隠すみたいにしているのが、お行儀の良い子なのだと思わされていた。
そしてその時代の子どもは大人になり、親になり、我が子に当然のようにそんなバトンを渡そうとしている。
どうか、その無邪気な笑い声を聞かせてほしい。
あかちゃんのその、可愛い笑顔はもうそれだけで、ナニモノにも代えがたい宝物だと思うから。
笑い声を、笑顔を、もしも許さない大人が居るのだとしたら。
その大人こそが、笑うことを許されずに育ってしまったという、悲しい記憶に突き動かされている証に過ぎないのだと思う。
あなたは、見ず知らずのあかちゃんの笑い声を、どう感じていますか?
あなたももう、あんなふうに無邪気に笑って良いんですよ。