今まさに決戦さる 三里塚闘争は2023年現在も激化している
三里塚闘争の激戦が続いている。
三里塚芝山空港反対同盟(反対同盟)は、1月22日に「15日間決戦」として、三里塚現地への結集を呼びかけ、2月5日の現地集会までの15日間を強制執行と闘い抜く方針を確認した。成田空港の軍事空港化に対する危機感の高まりと、強制執行への切迫した情勢の中、多くの住民が緊急署名に協力した事に続くような決戦宣言だった。
15日間決戦への突入を宣言した天神峰現地では、連日の早朝行動が闘われている。24日の早朝においては、事務局の人より「戦争に向かう時代の閉塞感を三里塚から打ち破ろう!」と言う、力強いメッセージも見られた。
当会においても、半世紀の間を一貫して三里塚連帯として闘って来た。2023年1月31日現在、強制執行は阻止されている。
だが、準備作業が日々進んでいる。入れ替わり立ち替わり、皆で天神峰の地にいることが重要だ。(2面へ続く)
当会においても、青年労働者としての三里塚連帯が行われている。
1月30日にも、当会・反戦委員が天神峰現地への監視活動へ参加しており、この日については参加の公表も行われた。
弾圧当局においては、2023年突入以降、権力=警察投入の為の準備の動きが活発化されている。敷地内においても警察の拠点が存在するが、その拠点の位置は農地収奪の危機にある、市東さんの畑の目と鼻の先だ。その目鼻の先に、工事用のフェンスを隔てているに過ぎない。そのフェンスの向こうでは千葉県警がたむろしている状況であり、さながら強制代執行の兵員の駐屯地と化しているのが実情だ。
また、当局がフェンスに突如として取り付けた鉄扉(代執行時に警察が素早く突入出来るようにする為だと思われる)を筆者が詳しく調べた所、扉の取り付けは簡易な工事で行われたようだった。扉は自体は2重以上の塗装がされているようだった。だがその扉にかかるのはフェンス板3枚分に過ぎないにも関わらず、板を取り換えないで既存の板を切断しているようだった。それも、サンダーを用いてフリーハンドで切ったようなラインを描いている。切断時にラインを引いた形跡も無い。挙げ句の果てには、フェンスと扉の隙間を埋めるコーキングすら全くされていなかった。長く使うつもりなど無いと言う事なのだろう。収奪当局が、さっさと事を終わらせたい事が伺える。
【2・5三里塚現地へ】
おい、田村! お前の描いた絵図は、今この瞬間にもズタズタに引き裂かれているぞ。
お前はNAA社長・田村明比古として、現在の三里塚闘争における最前線となった市東さんの農地を収奪し、三里塚闘争を過去の歴史への収蔵を進めようとしていたのだろう。だが、それは出来なかった。
我々が支援しているのは北原派だ。真に闘い続ける事を選んだ北原派だ。
今この瞬間も、市東さんを支持し支援する者達が24時間居続けている。ハマコーの息子も成田の軍事利用を隠せていない。三里塚闘争は現代の闘争が、そちらの心臓の鼓動が続く限り、我々は徹底して闘うぞ!(無署名)