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映画「ソウルの春」を見た感想

私は一年前まで映画は好きだけど、韓国映画はあんまり詳しくなかった人である。

「突然こいつは何言ってんだ?」

と言われそうなのでこれまでの経緯を簡単に説明させて欲しい。

私は元々中国語を勉強していた人で日中貿易関係の仕事をしている。

中国語を勉強するにあたって、中国の映画をたくさん見てきたが、いかんせん本国中国大陸ではあまり近代史や現代の社会問題を映画で描くことはできない環境にある。

「映画、ソウルの春の感想でなんで中国が出てくるのか!」

と言われそうなのでこれまた説明すると、
私が初めて出会った外国は中国であり、私は以後全ての日本以外の国を中国を基準に見てしまっているという悪い癖があって。

元々韓国に興味がそんなになかった私は、
一人の映画好きの韓国人との出会いをきっかけに韓国映画の自国のさまざまな瞬間を捉える表現の巧みさやその自由さに夢中になってしまったのである。

そして、映画を通して韓国の近代史を学んだ。

出会った当初「朴正煕って、光州事件を弾圧した人でしょ?」という頓珍漢なことを言う私に、彼は韓国の近現代史を解説しようとしたが、

いかんせんキムさん、イさん、パクさんと似た名前がずらりと並び、これまた同じぐらいの年齢のおじさまたちがずらりとならぶ韓国近代史の解説をされて頭の上に大量のハテナマークを浮かべている私に、彼は書籍や口頭での解説を早々に諦めて、映画で自国の歴史を辿ることを選んだ。

この手法は、元々映画好きだった私に多いにハマり、彼は映画を通して私を韓国近現代史の旅に連れていってくれた。

ユゴ、タクシー運転手、ハント、キングメーカー、JSA、黒金星、1987ある闘いの真実、南山の部長たち、、

幾多の映画と、年表片手に韓国の近現代の激動の歴史の表面をなぞることしかできなくても、それは私にとって素晴らしい体験で、多くのことを教えてくれた。

さて、前置きが長くなったが、
この彼がある日突然、

「絶対に見に行かなきゃいけない映画がついに日本に来る!」

と興奮気味に私に言った。

そう。
一時帰国で韓国に帰った時に彼が見て、怒り狂い、涙を滲ませたその映画が、

「ソウルの春」だったのである。

韓国語がほとんどできない私にその映画を見せたくて、彼は日本での買い付け状況をリサーチし、そこから逆算して指折り数えて8月23日の公開日を待っていた!

この映画を見に行く前日に、「KCIA 南山の部長たち」という映画を予習で見るように言われて、言われるままに見たのだが、

朴正煕大統領の暗殺をした人物にスポットライトを当てて、どんな心理状況で彼が大統領暗殺という大きな行動に出たのかを丁寧に見せてくれるその映画も素晴らしかったが、その映画の感想はまた別の記事に譲るとして。

この映画は、ラストで大統領が暗殺されたということで混乱に陥った大統領邸のなかから一人のハゲた狡賢そうな男がニヤニヤ笑いながら金庫を開けて大統領の財産の金延棒や、札束をボストンバッグに詰め込んで持ち去るシーンで終わる。

見終わった後、

「なんだこのコソ泥は!」

と憤慨する私に、

「これが、全斗煥だよ。

君が見た「タクシー運転手」の光州事件とか、
「1987 ある闘いの真実」で民衆を弾圧したのが紛れもなく彼だ。

韓国史上最低最悪の独裁者。

ソウルの春は、このハゲについての映画だよ」

と教えてもらった。

この朴正煕が暗殺された事を皮切りに、さまざまな要素が重なって民主化ムードに沸いた韓国のこの時期ををプラハの春となぞらえて「ソウルの春」と呼ぶらしい。

そして、それをそのまま映画の題名に添えた「ソウルの春」というこの映画は、タイトルからは華やかな民主化の物語を想起させるが、その実その輝かしいソウルの春がどうやって終わってしまったかを一人の独裁者の不当な軍事クーデターを時系列に追いかけていく事で描いていく映画だった。

さて、ここからはネタバレが入るから見てない人はさっさとチケット買って見てきてね!

映画や書籍、そして韓国人の彼の話からも全斗煥という人物がどうしようもない韓国史上最悪な独裁者だと言うことはひしひしと感じていた。

オリンピックや経済のところから、呑気な日本人から見れば、全斗煥という人物を朴正煕と同じように誤り5功績5みたいな総括をしそうになるけれども、この二人は全く違う。

全斗煥、てめーはダメだ。

その一言で片付けた方がいい。
どうしようもないやつである。

てか、こんだけのことしといと恩赦で死刑にならなくて挙句の果てに天寿をまっとうしてまあまあ長生きして、「タクシー運転手」の映画まで見にいって「全部嘘っぱちだあ」って文句までつけるって、どんだけ神経太いんだこのハゲは。

この独裁者に映画見にいって餅を食って、という優雅な老後を許して92歳まで生きさせてあげた韓国って世界で一番寛大な国なんじゃねえか?

とかとか。

色々思うことはあるものの、、話を映画に戻して。

この映画が描くのは、

全斗煥が、朴正煕亡き後、どんどん力をつけていく中でこれを危惧して彼を必死に止めようとした人たちの物語でもある。

現場の人間が、常に最良の判断を下していくのに上の立場の人間が揃いも揃って無能なばっかりに、全ての選択を間違えて、全斗煥の思った通りにことが運んでしまうのが見ていて悔しいのなんのって!

そして、この全斗煥を演じるファンジョンミン様の素晴らしいことよ。

言葉を選ばずにいうのなら、
ファンジョンミン様が演じる全斗煥は、今まで観てきたどの全斗煥よりも魅力的だった。

いや、ハゲなのよ。

ファ、ファンジョンミン様あ。
黒金星の時のイケオジムードは何処へ…

でも、魅力的なハゲなんです。。

なんで言えばいいんだろ。
人間的にめちゃくちゃチャーミング。

軍事クーデターを起こしていく中で、それを止めようとするイテシン(陸軍ソウル防衛のトップ責任者 全斗煥がヤバいやつだと気がついていて、クーデターを止めようと筆頭に立って奔走した人)がめちゃくちゃ有能だったこともあり、瞬間瞬間で全斗煥を追い詰める。

全渡韓の軍事クーデターを必死で止めようとしたイテシン様。やばい。イケオジ…


で、イテシンはその時その時全斗煥のクーデターを止めるために全斗煥にとって一番嫌なことをやるから、全斗煥もピンチに陥るんだけど、この時クーデターを手伝って一緒に実行してる仲間たち(ハナ会)のおっさん、爺さんたちが情けなくおどおどパニックに陥る中では、大袈裟なように明るく。

「ゼッテー大丈夫だからな。俺についてこい。
なあにこんなこと想定ないだろ?大したことないさ!」

って言い放って、周りを圧倒するし。

ほんとの本気でヤバい時は、部下の前で

「だから、助けてくれよ。。頼むよ…」と涙を流す。

これ全部が全斗煥による演出だったとわかるのは、この映画のラストでイテシンやチョン総長が拘束されて、
クーデターが完全に成功し、トイレで誰も観ていないところで狂人のように笑い狂うシーンが私たち視聴者にだけ見せられるところなのである。

この全斗煥は話法も巧みで、
プライドは高くて、でも実力はそこそこで。
でも、今の立ち位置に不満があるハナ会のお仲間に対して、

「お前たちはソウル大に行けるくらい優秀だったのになんの後ろ盾もなくて陸軍学校に来るしかなかったんだろ?そこで必死に頑張ったのにまたその横からあいつらに結果を横取りされてもいいのかい?」

なんて囁くのだ。

自分たちが手に入れられなかったものの存在を見せつけ、そして敵対陣営に対する憎しみを煽るその手法はあまりに巧みだ。

いや、ほんとごめんなさい。
なんとなくなんだけど。

この全斗煥、その後の悪行を知ってる未来人の私から見ても、

「こいつについて行きてえ…。こいつなら俺たちの碌でもないつまんない人生をなんとかしてくれるんじゃねえかな。俺、こいつに賭けてみるよ!」

って言いたくなる人が出てきてもギリギリ理解できてしまうくらいには危険で魅力的だ。

いままで、タクシー運転手しかり1987しかり、なんでこんな酷いことする奴が。

それもハゲが。

どうして韓国のトップの権力の座に収まることができたのか。

ってところが不思議で仕方がなかったけど、
なるほど人間的にある意味でそれが良いか悪いかは置いといて、一種のカリスマを持ち合わせてる人間ではあったということが描かれることによって、このクーデターが成功してしまうことに無理矢理感がなくなり絶望感が増してしまうのだ。

そして、この時の全斗煥のクーデターを止めるためのあらゆる決定権を持ってたジジイどもが揃いも揃ってどーしようもない無能だったことが、私のイライラボルテージを加速させる。

何度も劇場で立ち上がって、

「おいジジイ!てめえ今すぐそのポストを、地位を、私に明け渡せ!私が全部イテシンの言うこと聞いてやる!
今から私とお前で歴史変えちまおうぜ!」

と叫びたくなったものだった。

全斗煥のクーデターを止めるため、イテシンが放つ巧みな一手が、意思決定層が無能すぎて、一つ一つ潰されて、その度に全斗煥がニコニコしてるのにただただやるせなくて腹が立った。

絶対的な悪の全斗煥と、軍人としてソウルを守りたいイテシン。

観客から見ても、歴史から見ても

どちらが正義でどちらが悪かは確かなのに、
映画の中の現実は運も人も全て全斗煥のいいように動かされて。

自分の国の民主と自由が破壊を必死に止めようとした人たちは砂塵のように無力に踏みつけられてしまう。

「お前たちは、大韓民国史上最も無能な上官を持ったな…」

と、ソウルの真冬にちらつく雪を顔の上で溶かしながらため息を白く染めて呟くように吐露するイテシンの姿に、深い深い絶望と無力感を感じて悲しくて泣きたかった。

8月の真夏に見たのに、その日この瞬間だけ大阪のシネマート心斎橋が12月の真冬のソウルに変わった。

それくらい迫力のある表情だった。

だってこの全斗煥の勝利の瞬間に、光州事件や、長きにわたる弾圧の歴史を辿ることが決まってしまったのだと未来人の観客にはわかるのだから。

必死に止めようとしたイテシンが正しく、悪が正義を鮮やかに踏み躙った決定的瞬間。

一つの国の歴史が弾圧と独裁に向けて民衆の知らないところで走り出してしまった瞬間を見てしまった。

感情の処理が追いつかないままに、
ハナ会と全斗煥の華やかな宴会、そして記念撮影。

憎たらしいハナ会の一人一人がその後輝かしいポストに就いたことが明記されるラストはあまりに巧みで怒りでわなわなと歯が震えた。

成り行きで見に行った金大中のドキュメンタリー映画でも全斗煥との長きにわたる戦いが描かれた。

拘束されて、酷い目にあってるであろう無惨な姿なイテシンたちの顔は絶望に滲み。

それでもその後の韓国には全斗煥と命を賭けて戦っていく人たちがたくさんいて。

いろんなことをたどりながらも、韓国人は最後までやり切って、最後には彼を権力の座から引き摺り下ろして、イテシンが守りたかったソウルは、彼が守りたかった姿で今度は韓国国民全員で取り返すことになるってことを。

それを、映画館の中では観客である我々だけが知っているというのがこの映画唯一の希望なのだろうか。

とにかく、韓国の歴史を深く知ってても、
私みたいに韓国映画を映画を何本か見た程度の人間でも、

何かを感じ取れる映画だったと思う。

もしも私がもっと韓国の歴史を深く知ってれば、
感じ取れることはもっとあったかもしれないし。

韓国の歴史を全く知らずに見に行って、歴史によるネタバレがない状態で「いや、ゆーて正義が勝つやろ」ってノリで見てて、全斗煥が勝って終わるラストに呆然とした人は、これが韓国を知るきっかけになるかもしれないし。

全ての人が見ることで何かを感じて、何かを得られる映画だったと思う。

これからも近くて遠いお隣の国のことを知ったり、時には美味しいものを食べたり。

更にさらに近づいて行きたい、そんな私にとっては本当に考えさせられることが多く、もっともっと詳しくなってからまた見返して行きたいと思える素晴らしい映画でした。

自国の歴史や物語を民衆が自分の言葉で紡いでいく韓国の映画界をこれからも見守るファンでいたいと思う。

そしてこれからは、中国と挟むのではなく、
韓国のことは韓国として、ダイレクトに向き合って行きたいと思った。

シネマート心斎橋が締まるまで後2ヶ月を切った。

後何本ここで見れるか。

できるだけたくさんの感動をシネマート心斎橋から吸い尽くして残された時間を走り切りたいと思うとある、映画オタクの大阪OLの戯言でございました。


映画オタク限界韓国人はこの記事にも登場するよ。

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