蒼子

某JTCアラサー限界総合職女子の脳内記録です! 中華圏🥟と万年筆🖋️と映画🎞️と異国の食べ物が好きです。 大阪ミナミの方に生息中。

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  • 万年筆日記

    万年筆について書いた記事のまとめになります。

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自己紹介(2回目)

この2週間ほど立て続け意図せずして自分が書いたものが広くいろんな人に読まれる体験をしました。 このnoteも元々はフォロワー70人くらいだったのが倍増どころか四倍くらいになったし、 Twitterのフォロワーも爆増してしまい、初めましての人が増えたので改めて自己紹介をしていきたいと思います。 嘘です、やりたいだけです。 楽しいですよね、自己紹介! step1 基本情報 私は、大阪に住む20代のOLです。 現在社会人5年目です。 19歳で京都の大学に進学するために、

    • 全てのものが日々新しいそんな世界を私は信じる

      2009年。 14歳の私は日本最大の合唱コンクールの全国大会の舞台に立っていた。 その大会で私の在籍していた中学校合唱部は全国3位という快挙を成し遂げた。 中学2年生にして全国3位という快挙を成し遂げたことに対して、 同級生の仲間たちは「うちらの代では絶対全国制覇!」なんて酔いしれて。 でも私はこの表彰式の興奮に周りが歓喜にわく中で、 「よし、辞めた!!」 と、決意したのであった。 全国大会は中学2年生の秋真っ最中11月。 そう決意して実に4ヶ月後の中学2年の3月

      • 来た道のりと言葉とモーゼの杖

        大学生の頃、毎日身内が登場するブログを書いていた。 私が所属していたのは、落語研究会で、ネタにされたりイジられたりするのが好きな人たちの集団だったので、その日その日の出来事を、自分のフレームで切り取っては文字に落としていき、 それを落研の仲間たちが見に来てくれて、 「最近俺の登場シーンが少ない」 とか、 「あの日はこんなにおもろいことがあったのに、なんでそれを書かへんねん!」 みたいなことを言われるのがすごく楽しくて、 毎日3000文字とか4000文字の記事をポンポ

        • 「あけましておめでとう」ぐらい言わせてくれよ。

          コロナはクソみたいな時代だった。 アルコールダメ ライブダメ 海外旅行ダメ 飲み会ダメ なんかあったらすぐ緊急事態宣言。 大量繁殖するマンボウ(まん延防止措置?) もー何もかもがうんざりだったけど、 一番嫌だったのは海外に行けないこと、というか中国に行けないことだった。 コロナ前は最低でも3ヶ月に一回は中国に行ってどこそこ遊びに行っていた私にとって中国渡航は一つの大切な習慣のようなものになっていたような気がする。 中国の空港に降りて、ちょっと日本より埃くさいような空

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        • 万年筆日記
          3本

        記事

          83歳とソルティドッグと大阪の夜

          大阪に住むようになって5年目になる。 最初は捲し立てるような関西弁にはビビったし、 梅田では案の定迷子になり商談に遅刻したし、 仕事で車を運転してみれば、環状線の車線変更ができずにぐるぐると回り、半べそになりやっぱり商談に遅刻した。 それでも5年も住めばいろんな出会いがあったり、別れがあったり、この大阪を舞台に世界の端っこの私の物語も山あり谷ありで更新し続けている。 そんな今の私の舞台の大阪で、 大阪の人たちと話しているとある程度会話が弾むとどんな人でも必ず聞いてくる質問

          83歳とソルティドッグと大阪の夜

          284番目からみた未来

          誰か1人、抱きしめてもいいならば、 高校三年生の私を抱きしめてあげたい。 と、28歳になって高校卒業してちょうど10年経った私は思う。 私はとある九州の田舎で生まれて育った。 公立の中学校では450人の同級生の中で成績は10番に入って、堂々とした顔でその県で1番の進学校に入学した。 医師である父も薬剤師である母もその高校を卒業して、地元の国立大学でしっかり学び、職につき私を育ててくれた。 私もそんな未来を歩めると信じて疑わなかったものの、、、入学してみると私は中学生

          284番目からみた未来

          王将のおっちゃんと広東のおっちゃん

          2018年11月。 一年の中国滞在を終えて帰国した私がいちばんに向かった場所は大学でもなくて、バイト先の王将だった。 大学一回生からバイトしていた京都の学生街にあるそのフランチャイズの王将を営むご夫婦と息子さんにはいたく可愛がっていただき、私はこのバイト先が好きすぎて名残惜しすぎて渡航前日までアルバイトを詰め込み、いつもより豪華な賄いを食べさせていただき中国へ送り出していただいたのだ。 だからこそ、帰国したらまず真っ先にバイト先に行ってまた働かせてもらえるように頭を下げに

          王将のおっちゃんと広東のおっちゃん

          最後のカラオケ

          友達が少ない人生を送ってきた。 でも、同時に友に恵まれた人生も送ってきたと思ってる。 高校生の頃の私は、思春期の少女達にありがちな5-6人のグループになって互いの全てを共有し、濃厚な世界観と団結に酔いしれることは出来なくて。 だけど1人でいる勇気もない。 思う通りにいかない毎日に高校生らしく悩んで泣いて苦しんで、だけど特別になりたくて、理想の自分と現在の自分の乖離に悩んでもがいて世界に勝手に居づらさを感じてしまってる、今にして思えば典型的な高校生で。 何もかも中途半

          最後のカラオケ

          ある中国人が香港出張の夜にやること。

          「これを、楽しみにこの出張に来てる。 香港なら見れるからね。」 少し寂しそうに、でも誇らしげにその人はそう言った。 その顔をずっと忘れられなくて、これを書くことにした。 ちょっと前に香港出張に行った。 代わりゆく香港にセンチメンタルな気持ちになったり、 日中ビジネスの最前線を目の当たりにして興奮してワクワクしたり、 自分の語学力と基礎力の無さに打ちひしがれてみたり。 本当に感情が忙しい1週間だったけど、 今後の自分にとっては何者にも代え難い経験ができたと思っている。

          ある中国人が香港出張の夜にやること。

          上海渡航大作戦日記②ガイド本がない!

          にーはおにーはお。 蒼子です。 さて、前回 勢いに任せて上海行きを決めて、 航空券を押さえて、ホテルを押さえた私だったけど、飛行機とホテルが決まればいよいよ旅行の中身を考えなければならない。 「で、どこ行きたい?」 と、具体性のかけらもない質問を韓国人の同行者に聞くと、 「うーん…、てか上海って何があるの?」 と言うこれまたどうしょうもない答えが返ってきた。 「え、、まあそりゃあれだよ。 上海って言ったらさあ…」 え?待てよ上海って何があったっけ? 豫園、

          上海渡航大作戦日記②ガイド本がない!

          選ばなかった道に想いを馳せる。

          「今日自分がした仕事が、明日形になって世界へ羽ばたいていく。こんな仕事は新聞記者以外にはない。だからこの仕事を続けてる。」 某全国紙の記者職インターンシップの懇親会の席でベテランの新聞記者の方が話した言葉を今もずっと覚えている。 小さな頃から新聞記者になりたいとぼんやり憧れていた。 怒られてばっかりだった小学生時代、 唯一褒められるのが作文の授業の時で、 その時だけは小さな教室の中で自分が王様になれたような気がして嬉しかった。 家に帰って褒められた作文を両親に渡すと、

          選ばなかった道に想いを馳せる。

          上海渡航大作戦日記①発端

          「どうしても、蒼子さんに見せたい映画がある!」 と言って、映画仲間の韓国人が言って持ってきたのは、 「恋人たちの食卓」という映画のDVDだった。 どこの配信サイトでも配信されてないこの映画はDVDも廃盤なのでわざわざヤフオクで落札してくれたらしい。 台湾人の映画監督、アン・リー氏によるこの作品は作中終始美味しそうな料理が次々と登場して、 二人ともみながら涎がダラダラ止まらなかった。 こちらの恋人たちの食卓は、アン・リー監督の 「父親三部作」のうちの一作らしく、この映

          上海渡航大作戦日記①発端

          コロナ禍国際遠距離恋愛の話。

          私は2020年から2022年までの3年間の記憶を失っている。 28年の人生のうちの3年間の記憶がほとんどないのである。 人間は、本当に辛いことは忘れてしまうという俗説なのか科学的根拠がある話なのか。 私がこの3年間の記憶を失ってしまった理由について、今日は話したい。 今年の夏は暑かった。 結果エアコンをつけっぱなしにして盆中はダラダラと怠惰の限りを尽くし、冷やしすぎた部屋の中で情けなくも風邪をひいた。 咳と鼻水が止まらなくなったけど、 夏風邪なので出勤することにし

          コロナ禍国際遠距離恋愛の話。

          超えられてしまった一線を見つめて。

          どこまで責任に感じて、どこまで償えばいいんだろう。 と、ずっと考え続けている。 2018年の夏。 40日かけて中国を旅した。 当時私は山東省の小さな町で日本語教師のボランティアをしながら中国語を勉強していた。 台儿庄という抗日のアイコンのような地のほど近くにいながらも、町の人たちは外国人の私に親切で、中国語だけじゃなくて、中華料理のこと、漢字のこと、映画のこと、アイドルのこと、恋愛のこと、本当にいろんなことを教えてくれた。 そんな彼らに、 「せっかく中国に来たの

          超えられてしまった一線を見つめて。

          親中派って言われましても。

          「へー中国行ってたの?勇気あるね。すごいね」 と言われて、いつも反応に困ってしまう。 大体、笑いながら 「いやー、なんていうか成り行きで」 と当たり障りのないことを言ってみる。 中国に行く、とか行ったとか、住んでたとかそういうことを言うと決まって、 「すげー、勇気あるじゃん」 ってニュアンスのことを言われる。 確かに外国に行くとなると多少の思い切りは必要だし、 パスポートも必要だし、 でもなにもそれは中国だけの話ではないような気がする。 だけど、アメリとかイギ

          親中派って言われましても。

          映画「ソウルの春」を見た感想

          私は一年前まで映画は好きだけど、韓国映画はあんまり詳しくなかった人である。 「突然こいつは何言ってんだ?」 と言われそうなのでこれまでの経緯を簡単に説明させて欲しい。 私は元々中国語を勉強していた人で日中貿易関係の仕事をしている。 中国語を勉強するにあたって、中国の映画をたくさん見てきたが、いかんせん本国中国大陸ではあまり近代史や現代の社会問題を映画で描くことはできない環境にある。 「映画、ソウルの春の感想でなんで中国が出てくるのか!」 と言われそうなのでこれまた

          映画「ソウルの春」を見た感想