小1娘から "学校で体型をバカにされた" と聞き、よく考えた上で 「そんな酷い人は地獄に落ちる」 と伝えた話。
小1ほんわか娘のお腹は、ポッコリ している。
キューピーさんを想起させる。
たまに、私は「ポヨンポヨン」の愛称で呼ぶ。
一方の彼女は、私を「ぴょんぴょん」と呼び返す。
バカップル具合がくすぐったく心地良い掛け合い。
我が家では "可愛いの象徴" なのだが、
学校でね、「お前のお腹の中、赤ちゃん入ってんのか?」って言われたの
と、言うではないか。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
即座に感じたのは
ーーそんな奴、地獄に堕ちろ
でも、それでは大人気ないので発言前に再考。笑
真面目に考えてみて、
ーーそんな態度を続ける人は 地獄に落ちるわ
と心底思えたので、そのまま伝えることに。
ちょうどお母さん、昨今のSNSの様子を見ていて、
人の発言を制御するのは諦める時代に入ったのかも...なんて思っていたところなの。今日は、そのまだ形成途中の思考備忘録も兼ねた記事です。
_↓introduction________________________
私は、30代専業主婦。
小学4年生トンガリ息子と小学1年生ほんわか娘がいます。いつも2人の子育てで頭をいっぱいにする事がライフワークです🌷
娘は、甘え上手な甘えん坊。私と似ている価値観をもち、基本的に いつもハッピー。たまに癇癪を起こしますが、すぐに謝ってきて「ママ、大好き!」と言ってくる切り替えの早さ。兄の影響を受け、お調子者になりつつあります。
_______________________introduction↑_
■娘が話してくれたこと
就寝前の絵本の読み聞かせ。
以前は 息子もいたけれど、いつからか彼は卒業。
だから、私と娘の二人きり時間。
お互いの頬をくっつけ、仰向けで絵本を読む。
娘はストーリーを、私は彼女の温もりと肌の弾力を満喫する。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
そんな幸せ時間に ほんわか娘に聞かれた。
ーーママ、私のお腹って太ってると思う?
えー?可愛いじゃない♪と気楽に返答すると、
ーークラスの子にね、
「お前のお腹の中、赤ちゃん入ってんのか?」
って言われたの。
だから、ぺったんこなお腹になりたいの。
えっ??と殺意すら抱く私の横で、
ありったけの息を吐き、ぺったんこお腹を作る娘。
なんとも健気な姿だ。
この素直さは、彼女の素敵なところ。
■実は、"地獄に落ちる" は比喩
私は娘から話を聞き、よく考えた上で伝えた。
ーーそんな酷い事を続ける人は、地獄に落ちる。
だから、何も気に掛ける必要なんてないよ。
娘は、笑って聞き返した。
ーーえー?地獄なの?
私は至極真剣に答える。
ーーそうだよ、地獄だね。
悪意多めの言動は、ほっとくのが良いよ。
時間は 自分が楽しいことに使うべき。
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
ほんわか娘は、小学1年生。
難しい言葉や論理は、まだ難しい。
だからこその、『地獄』は比喩。
ーーどんな比喩かって?
社会的制裁。
なんとも 破壊力の強い文字の並び。笑
でも、私は かなり真面目だ。
世界は そう成り立っているって信じてきたし、最近も再認識したところ。
■SNSの様子を見て思うこと:マイクロアグレッション
社会的制裁に話を広げる前に、
学校外のコミュニケーションへ視野を広げてみる。
現代社会には、SNSというコミュニケーションツールがある。
今の私の発信は ほぼnoteのみで、立ち位置としては外野といえそう。外野的な私でも、SNS社会の楽しく大変な模様はよく実感できる。特に 炎上関連ニュースは、触れやすい位置に情報が配置されてくるので、恐れ慄きながら様子を拝察している。
炎上のニュースは、苦しくなる。
ーー批判する人、批判される人。
大概 どちらの気持ちも分かる気がするから。
表現の仕方に問題があるのも分かるけれど、甲乙つけ難い気持ちになる。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
人はみんな違う。
考え方は違うし、例え似ていても 優先順位が違う。
同じ事柄でも、人によって正解の形状が異なる。
個性違う2人の子どもを育てていて、心から思う。
けれど、
SNSの世界は、物事には正解があると感じさせる。
正解の基準が どこかに明記されいるかのよう。
SNSの価値基準は 複雑で難解すぎる。
私には難しすぎる。
ただ漠然と、
ーー正解の範囲が見えるといいのになぁ
と眺めていた。
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そんな頃、『マイクロアグレッション』という言葉に出会った。そして、SNSの基準を理解するのに近づけた感覚を持った。(二つの文は 下記サイトより抜粋)
差別は時に、あからさまな形ではなく、無意識的に見えにくい形で行われ、それが重大な結果をもたらしているーー。マイクロアグレッションは、そういった差別をさした用語です。
特定の個人に対して、その人が属する集団を理由に、おとしめるメッセージを発する日々のやりとりのことです。障害者、高齢者、女性、セクシュアルマイノリティ、人種・民族的少数者などが日常的に経験していることです。
ようやく、
上下右左にありったけの糸を張り巡らされ「触れずに生活しなさい」と言われているように、避けるべき表現が存在するのだと理解した。
同時に、人が問題発言の根拠にする「集団」を捉える概念が 無限に存在する気配を感じた。
人が属する集団は 分け方次第で無数にあると思う。
さらに、1人が複数の集団に所属する状況だろう。
--ある集団では不遇でも 別の集団では厚遇。
--同一集団でも 見方次第で不遇にも厚遇にもなる。
そんな調子で、
既に言語化される集団の数
×
その瞬間に生まれた捉え方の数
‖
それら以上の集団数
が存在し、どの集団のマイクロアグレッションにも触れぬよう 気を払うべきマナーを求められているのかもしれない。
ーー張り巡らされた糸は、見える箇所だけではない
なんて、超絶的難解さ。
個性だ!発信力だ!と差別化を求められる時代。
まさに、「張り巡らされた糸に触れずに 大胆に踊れ」と強要されている気分。
途方に暮れていたところ....ふと気がついた。
大変な時代だけれど、裏返すとコレ。
強い悪意を向けられた時には、
助けて貰える仕組み。
ともいえる?木漏れ日が差し込んだ。
実際に、
一般人の困り発言が話題になり、社会現象になったニュースがあったなぁ。そういえば、我が家のトンガリ息子もSNSにはお世話になっていて、息が詰まりそうになるのを救って貰う...こともある。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
対面相手に 発言訂正を求めることは 可能。
でも、人が真に感じる事を変えさせるのは 不可能。
SNSでは 自由な発言が 可能。
でも、その発言を止めさせるのは 不可能。
---自分にも目を向ける。
人を傷つけないように配慮するのは 可能。
でも、人を絶対に傷つけないなんて 不可能。
自分の発言の制御だって不可能なのに、
相手にそれを可能にしろと求める。
ーー改めて考えると、なんとも不思議な構図だ。
人の発言を注意する程度で 制御は出来ない。
■つまり、何が言いたいのか?
今の小学生の社会では、
---嫌なことを言われたら 相手に伝える
---相手に辛い気持ちを分かって貰い、止めてもらう
というのが、模範解答とされている(と思う)。
この解答は、私自身が子ども時代に教えてもらった事だし、私の親も そう言われて育ってきたと思う。ずっと、粛々と続けられてきた教え。
ーーこの解答で 悪意ある言動は止まった?
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この模範解答を守ってきた結果、
『体型をからかう』なんていう、分かりやすい悪意すら根絶されていない。
体型をからかってはいけない。
誰もが、未就学児時代に既に学んだこと。
既に答えを知る相手に 勇気を絞り「辛い」と訴える.
ーー本当に この過程は必要?
体型をからかうのは、卑劣だ。
"見た目"は、視覚的に確認できる。
自分が絶対的な安全圏にいながら 振りかざせる悪意.
言われた側は、すぐには変えられない。
変えたいと思うか以前に、変わるという選択肢をその瞬間は持たないのだ。
ーーそんな状況で、相手の良心を育む行動を迫る?
こちらには、
言われた瞬間の不快な気持ちが残る。
---相手の言動を気にしない、
---相手の言動は忘れる、
---相手を許す、
どの平和的な解決に着地しても
言われた側には 嬉しい結果 が残らない。
残るのは、
相手が望まない良心を育むために使ったエネルギーと時間。
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
そんなの歪。
だから、私は 娘に伝える。
ーーそんな酷い事を続ける人は、地獄に落ちる。
だから、何も気に掛ける必要なんてない。
現代社会には、SNSというツールがある。
いわば、無数の考えが錯綜する大海。
この大海は 広大で渦の発生が不規則で頻回で荒い。
今は 未曾有の領域。
少しずつ開拓され 穏やかな領域ができてきた所。
私が親しむnoteは、開拓済みの安全域と思っている.
多くの今あるSNSは 疑問の残る社会的制裁を下す場かもしれない。
でも、おそらく少しずつ改善される。
技術や人は 進化する。
次第に SNSも安心安全領域が増えていく。
ますます 多様な意見を知れる場が身近になる。
すると、
強い悪意を発し続ける人は 反省する機会に溺れる。
「意地悪な人」という判断基準の材料が、誰かに発信する度に蓄積されていくのだから。
ーーこれが私の妄想する
---社会的制裁
既に 小学校生活にも似た法則があると思う。
強い悪意を 無防備な人に向け続ける子は、周囲は「意地悪な子」と認識し離れていく現象が起きるのでは?先生の当たりも強くなるだろう。
ーーこれが娘に伝えた地獄
---社会的制裁
この流れを念頭に置くと、仮説が立つ。
強い悪意には、
---理解を求め反論より 無防備で居続ける方が強い。
相手が変わるために時間を割くより、
---自分の楽しいに時間を割く方が 嬉しい時間が増えて有意義。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
うーん、問題から答えまでの描かれる軌跡が短い。
こういう時は 何かの視点が抜けている。
ーーーだから、まだモヤモヤする思考として記録✍️
■新しい解決法が必要では?
子どもの勉強面の刷新が必要という話は よく聞く。
私も、この手の話には興味津々。
でも、もっと早急な変化が必要なモノがある?
本当に大切なのは、
日常の些細な問題解決法から組み直す事
なんて考えが浮かんで離れない。
小学生を育てていて、
子どもの社会は、大人社会と分断されているようで地続き、と感じる。
昔と今もマーブル状に混ざり織り込まれている。
地続きである以上、
---"大人社会" と "子ども社会" を見比べ、
---解決法は、大人社会のルールに綺麗に繋ぎ、
---何より、まず自分の心身を労る技術の習得。
子どもにも 現実に沿う新しい解決法 が必要なのだと思えてならない。
■さいごに娘に伝えた "忘れないで欲しいこと”
冒頭に記した娘との短い会話の後、
私たちは 絵本の読み聞かせに戻り時を過ごした。
絵本を読みながら、
少しずつ考えがまとまってきた私。
”地獄” の話は、絶対に娘に知って欲しい法則 があると気がついた。
消灯後、
なるべく優しい口調になるよう善処して伝えた。
「地獄 に落ちるよ」って話なんだけどさ。
あれ、
自分にも当てはまるから 気をつけてね。
人に、理由や解決策もなく向けた悪意、
自分に戻ってくるからね。
強い悪意を考えずに人にぶつけると、
自分が地獄に落ちる。
お母さんは、そう思ってるよ。
「一緒に天国で暮らしたいね」って話しながら 夢の世界へ遊びに出かけた娘。重力にされるがままの緩みきった寝顔を見つめ想う。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
---娘が優しく天真爛漫なまま 大人になれるといいのに
---優しく天真爛漫な大人で居られる世界が 広がっているといいのに
何かを変えないと、今のままでは無謀。
だから 考える。
未熟でも、小さくでも、刻めば近づけるかも。
自分の力量は見ない事に決め、考えるべきと留まる.
noteも立派なSNSだ。
多様な考えが広がり、穏やかに波打っている。
そんな大海に メッセージを入れた小瓶を流す。
すると、誰かが拾い上げる。
私の船は すぐ暗闇に呑まれてしまう。
けれど、誰かが「こっちに航路あるよー」と灯火を示してくれる。
....そんな希望が含まれる世界、安心なSNSは素敵。
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
それから、
優先順位は 娘の次になるけれど、
"体型をからかった子" の幸せも心から願っている。
人は 間違う。
私なんて間違えてばかりだ。
間違えに気がついたら、スッキリ許されるが理想。
ただ、
間違いに気がつき、今後もその選択をしない為には
---自分で気がつく。
---自分で言語化する。
そんな作業が欠かせないのだと思う。
まだ小学1年生。
悪口を言っても、次の日には気持ちよく遊べるものだろう。
人は複雑。
悪意で意地悪をすることもあるけれど、
好きだから、羨ましいから、なんて理由でも意地悪をしてしまう。
困っちゃうけど、大人もそうだから心配ない。
世界の成り立ちとして、
ーーどの人の幸せも どこかで娘や私の幸せに繋がっている
という法則もあると信じている。
シンプルに考えても みんな幸せで楽しい方が絶対素敵。
■おまけ
途中、自分で展開した
---上下右左にありったけの糸を張り巡らされ「触れずに生活しなさい」と言われているように、避けるべき表現が存在する
---個性だ!発信力だ!と差別化を求められる時代
---「張り巡らされた糸に触れずに 大胆に踊れ」と強要されている気分
と表現し、不満を並べた箇所。
解決策を見つけてしまった。笑
周りと差別化するのに、踊る必要なんかない。
『動』にみんな夢中なら、私は『静』に振り切る。
視覚と嗅覚に訴え、差別化する。
これは、私の中でスッキリする解答。笑
需要があるかは謎だけど、自分も楽しく一石二鳥♪
私らしくて 可笑しい🌸
トンガリ息子なら 糸を切っちゃうんだろうなぁ✂️笑
さて、ほんわか娘は どんな選択肢作るかな?🤔
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*: