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今の画風に至るまで。漫画、ラノベ、ベクター描画、そして迷走

 前回の自己紹介記事と重なる部分もありますが、今のイラストに至るまでの20年以上の道のりを綴っていきたいと思います。(道中休み多し)
最初に言っておくと、2024年の4月から青山塾に通い始めますが、それまではお金を出して絵を学んだことはなく、独学でした。

 ちょっと普通にかなり恥ずかしいですが、これを書くことで自分自身も何かしらの発見ができそうな気がしています。
世間はお正月でお店も閉まっているし、ゆっくり振り返りながら書くとします。

漫画とラノベが大好きな少女時代


小学生、手作り漫画時代

3年生くらい?手作り漫画交換が流行っていたため初期のものは無い。高学年になると自分だけが描いていた気がする。


 前回の自己紹介でカオス漫画と自分で称してしまった漫画ですが、意外とちゃんとした中綴じ冊子にはなっています。消しゴムを敷いてホチキスをバーンってやってました(伝わる?)

 最初は表紙も同じコピー用紙で色鉛筆で塗っていたようですが、
アイビーシーの漫画原稿用紙にPROCKEYで線を描きコピックマーカーで塗るようになったみたいです。
本文はコピー用紙を半分に折り、PROCKYの細い方を使って描いていました。
近所のコープの2階でPROCKEYを買い続けていました。本当にいいペン。

 最初は少年漫画、ギャグ漫画からかなり影響を受けて、自分が面白かったシーンをパクったりもじったりしていました。
重度のポケモンプレイヤーだったので、ピッピ一家が主人公です。
高学年になってくると少女漫画に影響を受けて、コピックの塗り方は特に真似していると思います。

中学生、ラノベ美少女時代

 友人に借りたラノベ『灼眼のシャナ』のイラストを担当していた、いとうのいぢさんの美少女たちに魅了され、美少女ばかり描くように。誕生日プレゼントにSAIを買ってもらい、デジタルで描き始めました

pixivを始めて投稿もしてたけど、たくさん絵を見て吸収して真似をした時期でもありました。
当時はいとうのいぢさんリスペクトで、鉛筆の線にすごく憧れがありました
コピー用紙に下書き→トレス台で鉛筆で清書→スキャン→SAIで線画抽出してました。
ちなみに当時のトレス台を今も使ってます。

 塗りはアニメ塗りが基本で、肌の色って意外と黄色で、影の色は赤味がかってるんだなとかそういう感覚を掴んでいきました。京アニの影響も結構受けました。
エモさと恥ずかしさを耐え忍んで当時の絵を載せさせていただきます。

とらドラ!めちゃくちゃ好きでした

 影に水彩境界を適用させてパキッとした影に見せています。
とらドラ!のイラストを担当されていたヤスさんの画集、持っていました。
キャラクターの魅力が爆発していて、照り返しのグレーの影が多く描かれているのが印象的でした。グレーの影って逆にお洒落なイメージがあるのは私だけでしょうか。

大学生、同人誌時代

 高校生になると、学校生活があまりに忙しく描かなくなりますが、見返すとオタク友達と絵茶(!!)したりはしてたみたい。

 大学時代はお金がなく時間はあったので、近所のTSUTAYAで常に漫画や映画を借りていました。ねむようこさんが好きだった記憶があります。『三代目薬屋久兵衛』おすすめです。

 ある漫画にハマり、同人誌を描くためにClip studioを勉強しました。
自己紹介で漫画家になりたかったと書いたのですが、この時自分の漫画が一冊の本になり、満足してその夢は多分昇華されました。多分
もう全て捨てましたが。。。

 小学生の時、部屋中をトーンの切れ端だらけにしながらカットしてたのに、クリスタではトーンがペンみたいに塗れることにめちゃくちゃ感動しました。
どうしてもちゃんとした人物をたくさん描く必要があり、手とか肩とか苦手を克服しようと頑張ったのはナイスでした。

 色々な絵師さんがいる中で、自分の好きを上手く取り入れている人がとても輝いて見えました。だから自分も自分の好きを、好きなキャラクターの世界線に取り入れようと頑張っていました。
たった半年だけの活動でしたが、この時の経験があったから印刷会社の入稿もイベント参加も怖くありません。

これまた好きな絵師さんに影響され、細いペンを重ねた線を好んで描きました。これだけで何の漫画かわかる人がいるかもしれない。


イラストレーションというものに対峙する

iPadでイラストを再開

 会社員時代は絵のスキルを披露する場は一切なく、絵は描きませんでした。
ストレス解消や気分転換に漫画はたくさん読んでいました。SNSやWebで漫画を読むことが主流になり、浅く広く読んでいました。

 2022年夏、ガラス作家になると決めてからは、マインドもアーティストに切り替わってきたのかイラストを練習するように。
所詮二次創作しかやったことがなく、オリジナルイラストが絶望的に素人で、しかもどうしてそう感じるのか分からずにいました。

Instagramでクライアントワークのイラストレーターを見るようになりました。雑誌で衝撃的に好みのイラストを見つけたことがきっかけです。(原倫子さんでした)

 ノートアプリやKindleを使うためのiPadはあったので、気軽に絵を始められたのは良かったです。
Procreateが買い切りで手頃だったので使っていました。直感的に使いやすいので今もイラスト以外にもあらゆる編集作業に使っています。
この頃誰に影響されたか忘れたけどシンプルな表現を好んでいました。



ベクター描画時代

Procreateの線では粗が気になり、次はイラレでのベクター描画を勉強しました。
ミッフィーが好きなので、ディック・ブルーナのシンプルで心を掴まれる可愛い絵を目指していました。

図形を組み合わせて合体させる方法で形を作っていました。そうじゃないととても稚拙な絵になってしまうからです。
この時代のイラストは、アパレルや雑貨に使いやすかったのでSUZURIにたくさん使っていました。今も残してるデザインはあります。

 グラフィック的なイラストが今っぽくてかっこいいと思ってて、1年くらいはこのスタイルで描いてました。
装画をよく本屋さんでお見かけした、小林千秋さんのイラストにも影響されました。


迷走時代

 ベクター描画は、イラストを描くというよりは図形を組み合わせる作業だったので、ずっとこのスタイルで描くことに限界を感じ始めていました。
人物が可愛くならないし、込み入った風景描くの難しいし、陰影の表現もしたくなってきた。
ラノベ美少女をずっと描いていた自分からすると、人物が魅力的に描けないのは致命的でした。

抱えていた課題を解決しようと、色々な絵に影響され迷走していました。
なんていうのか分からないけど、建築の人が描くイメージ画みたいなのに憧れて描いたり、主線を入れずに描いてみたり。

そして結局またイラレに戻りました。
背景のある絵も工夫して描けるように色々模索しました。


ナリンダーペンシル時代

 Procreateでたまたましっくりするペンを見つけました。ナリンダーペンシルです。
調べたら、ナリンダーさんが使ってたペンシルらしい(そのまま)
あまり筆圧がかからず、フラットなシャーペンのような線でとても軽やかに描けます。
そして現在の絵にグッと近づいた記念すべき1枚目がこちら。

 練習なので粗いですが、顔が気に入ってビビっときました。
お洒落顔な女の子が描きたい気持ちはあったので、流行りのメイクの感じとかが描けて嬉しかったです。
線を特徴的にしたいと思い、わざと震えさせていました。手震えではない。
青山塾に通い始めてて、2024年5月〜7月くらいまでこのスタイルでした。



一応アクリルガッシュでも頑張ってみる

 青山塾で初めてアクリルガッシュを使いました。
デジタルでやっていくつもりではあったけど、原画への憧れは捨てきれませんでした。
それに、ずっと画面を見るよりは紙を見て生きたい・・・と思っていました。

デジタルで描く絵をアナログに落とし込めないか頑張ってみましたが、早々に挫折しました。
筆とか絵の具とかの感覚が、今までの何もかもと違いすぎました。
アクリルガッシュの絵はインパクトがあり目に入ってくるので、やはり憧れはあります。

知人からの楽曲カバーの依頼で、抽象的な感じを希望されてたのでアクリルガッシュを使いました。今後そういう使い方はできそう。



そしてアナログ画材へ


安西水丸さんありがとう

 青山ブックセンターではいつも何かしらの展示をされているので、ギャラリーを見てから授業に行っていました。
時間があまりなくサーっと見てたので、どなたの展示だったか失念してしまい残念なのですが、漫画の原画を見ていた時のこと。アナログのつけペンの線に心惹かれました。

 そして後日、安西水丸さんの画集の次の文を読んで、丸ペンで描いてみようと思いました。

イラストレーションを描いていて、ペンや色鉛筆、ロットリングで描くとかいろいろしていたんだけど、丸ペンを使った時に初めて、自分の身体の中から、ぼくの精神状態を含んだような、という線が表れて、ぼくはこういう線を描く人間なんだということがはっきりわかった。

『一本の水平線 安西水丸の絵と言葉』より

そして初めて描いた線画がこちら。

慣れなくてインクぽたっとしちゃってますね。


意識的に線を良くしようとしなくても、安西さんの言った通りだなーと思いました。
これが2024年の8月くらい。

つけペンで描くなら塗りはコピックしか考えられず、図らずも小学生ぶりにコピックを使うことになりました。
塗り絵みたいに塗る感覚が私には合っていました。そこからはすんごい勢いに乗り2ヶ月でZINEを作るまでに至ります。

何日か練習して、初めて作品として描いた絵。ZINEにも載ってます。


 コピックは、メルカリで数本まとめ売りやバラ売りしてくれる人がいたので、必要な色をちまちま揃えました。
それでも無い色は、Tooのセール時か、ユザワヤの会員価格で買います。
今は358色中100色くらいありますが、既にわりと十分な感じです。

アップグレードは続く

 青山塾の課題で、エッセイの挿絵を描くというものがありました。
それっぽくするために文字をつけて提出しようと思い、面倒なのでそのまま丸ペンで書いたところ、人生で一度も書いたことのない文字(!)が生まれました。
それから、イラストに文字を添えたエッセイ的なシリーズを続けています。


 ここ2ヶ月くらいの変化ですが、何枚も描いていると、どうしてもコピックのひとつの色では表現できない色味が出てきます。
コピックは混色することも可能ですが、下地の色に重ねてる感がある絵が個人的に好きで、色を重ねることが多くなりました。

このへんからだった気がする


 濃い色の上に塗りたい場合は、白残ししてもいいですが、せっかくあるのでアクリルガッシュで塗るようになりました。
雰囲気重視の絵は色鉛筆も使うようになりました。
インクの色もブラック以外を使ってみたりしています。グレーのインクは、マーカーの色が少しだけ乗るような感じがしていいです。


まとめー理想より自分の持っているものを大事にした

 絵を人から教えてもらうことのなかった私は、上手い人に影響され、インプットし、自分のフィルターを通してアウトプットすることをずっとやっていた感じですが、ずっと画風が定着することはありませんでした。
今も定着しているか分からないし、変わることは決して悪くないと思います。

 ただ、使う画材やタッチを決定したことで、活動をしやすくなったことは確かです。展示やお仕事に対して前向きになりました。

 自分の場合は、こういうイラストを描いていきたい、と理想を追い求め続けていた時は画風が定着しませんでした。
メッセージ性がある絵、一つのテーマに絞った絵、シンプルな絵、鉛筆の線の絵。
こうなりたい、これがやりたいという思いを持つことは自然だけど、
それよりも自分の感覚に合うこと、ずっと続けられそうだと思うことを大事にしたことがターニングポイントでした。

 あとは東京に来てたくさんの展示を見る機会に恵まれ、そのたくさんの中の一つが自分に偶然ヒットしました。

 青山塾に通い始めたことで、本気でイラストと向き合う姿勢になり、ボールを打つ数が圧倒的に増えたことも大きかったと思います。色彩の知識、明度や彩度の概念を学べたことでイラストの完成度がだんだん上がっていきました。

 逆にずっと好きで追いかけているイラストレーターさんの絵は、好きだからやはり積極的に真似したり吸収します。
今まで自分の好きを煮詰め続けた上に、たくさんの絵を見て知識もつけたことで打率が上がったのかもしれません。

 画風と何を描くかの話は別物だと思いますが、イラスト以外の人生経験がたくさんあったからか、何を描くかについては基本そんなに悩むことがありません。
何が言いたいかと言うと、これまでの経歴や経験に左右されず、自分の持っているものを磨くことはいくらでもできるなと思います。


今後の課題

①気を抜くと漫画寄りなイラストになってしまう
画材が思い切り漫画だし、そんなにデフォルメもしてないし。
喜怒哀楽をいかに漫画的表現に頼らないで描けるか模索したいです。
あと、すごく気をつけないと頭が大きくなる!!

②構図
人物やモチーフの魅力を引き出すことを中心にやってきたので、大胆な構図にチャレンジしていきたいです。
このイラストは近景、中景、遠景を意識しました。まだまだ研究しがいがあります。枯葉に大部分を占めさせて足元だけ見せるとか。

 こうしていくと画力の問題にぶつかってくるので、画力も引き上げられてくるような気がしてます。
面白い構図よりも分かりやすさが一番だと思うので程々に。

え、6000字?長々とお付き合いいただきまして有難うございました。
共感することや、疑問に思ったことがあれば、是非SNSでのシェアやコメントにて共有していただけたら嬉しいです。

おまけ こひつじくんの変遷

初期。最初はぬいぐるみの設定だったけど段々忘れていった。(Procreate)
ベクター時代、こひつじ感無くなる。(Illustrator)
二足歩行になる。(Procreate)
らいおんくん登場。小学生の頃ずっと使っていたPROCKYで描いてみる。どちらもこの絵だけの出番でした。
丸ペンとコピック。毛がふわふわした感じを描けることで何とかこひつじ感は戻る。ただ人間味がかなり強くなる。


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