今村翔吾が贈る五葉のまつり。
まつりの序
増田右衛門尉長盛、通称仁右衛門
浅野弾正少弼長政、通称弥兵衛
長束大蔵大輔正家、通称利兵衛
前田民部卿法印玄以、通称孫十郎
石田治部少輔三成、通称佐吉
まつりの壱
増田長盛(1545年-1615年)
1545年頃に尾張国で生まれた戦国武将で、豊臣政権の五奉行の一人として知られています。
豊臣秀吉に仕え、小牧・長久手の戦いで功績を挙げ、最終的には大和郡山城の城主として22万石を領しました。
内政や検地でも優れた才能を発揮し、秀吉から信頼されましたが、関ヶ原の戦いで敗者側につき、晩年は高野山に追放されました。
まつりの弍
浅野長政(1547年-1611年)
戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、豊臣政権の五奉行の一人です。
尾張国出身で、織田信長の家臣・浅野長勝の婿養子となり、信長や豊臣秀吉に仕えました。政治面での手腕が高く評価され、太閤検地の実施を担当し、秀吉から厚い信頼を受けました。
関ヶ原の戦いでは徳川方に付き、晩年には徳川家康からも信頼を得ました。
まつりの参
長束正家(1562年-1600年)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、豊臣政権の五奉行の一人でした。
1562年に近江国または尾張国で生まれ、丹羽長秀に仕えた後、豊臣秀吉に仕えました。財政管理や兵站に優れ、太閤検地や豊臣家の直轄領の管理を担当しました。
関ヶ原の戦いでは西軍に属し敗北、1600年に切腹しました。
まつりの肆
前田玄以(1539年-1602年)
戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将で、大名としても知られています。
美濃国(現在の岐阜県南部)出身で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑に仕えました。もともとは僧侶で、宗向と名乗っていましたが、還俗して織田信忠や信雄に仕えました。
豊臣政権下では五奉行の一人として内政を担当し、関ヶ原の戦いでは中立を保ち、戦後も徳川家康から領地を安堵されました。1602年に64歳で没しました。
まつりの伍
石田三成(1560年-1600年)
安土桃山時代の武将で、豊臣秀吉に仕えた五奉行の一人です。
滋賀県長浜市出身で、幼名は佐吉。秀吉の政権下で行政や外交を担当し、特に太閤検地を推進しました。
秀吉の死後、徳川家康に対抗して西軍を組織しましたが、関ヶ原の戦いで敗北し、処刑されました。忠義と信念を貫いた人物として知られています。
五大老と五奉行の違い
五大老と五奉行の違いは、主に役割と豊臣秀吉との関係にあります。
• 役割の違い
五大老は豊臣政権の政治を統括する役割を持ち、大名として豊臣政権の顧問的立場にありました。一方、五奉行は政権の実務を担当し、司法や財政など具体的な行政業務を行いました。
• 秀吉との関係
五大老は有力な大名で構成され、秀吉の後継者である秀頼を支えるために選ばれました。五奉行は秀吉の直臣から選ばれた官僚であり、政権運営に直接関与していました。
【五大老】
徳川家康
豊臣政権の有力大名で、後に江戸幕府を開く
前田利家
秀頼の傅役として豊臣家を支えた
毛利輝元
西国の有力大名
宇喜多秀家
豊臣政権下で重要な役割を果たした
上杉景勝
小早川隆景の死後に五大老に加わった
【五奉行】
浅野長政
司法を担当
石田三成
行政を担当し、秀吉の側近として活躍
前田玄以
宗教を担当
増田長盛
土木を担当
長束正家
その他の行政業務を担当
五大老と五奉行の設立が豊臣政権の運営にどのような影響を与えたのか?
五大老と五奉行の設立は、豊臣政権の運営において重要な役割を果たしました。
• 五大老
主に有力大名から構成され、秀吉の死後、後継者である秀頼を支えるための顧問的役割を担いました。彼らは領地の宛行や突発的な事態への対応を行い、政治の安定を図る役割を持っていました。
• 五奉行
政権の実務を担当し、特に豊臣家直轄領の統括や主要都市の支配を行いました。彼らは実質的に政権運営の中心であり、五大老よりも実務面で重要な役割を果たしていました。
この体制は、豊臣政権が広範な領地と多様な大名を統治するための効果的な仕組みとして機能しましたが、秀吉の死後には徳川家康が台頭し、政権内部での権力闘争が激化しました。
五大老と五奉行のその後
豊臣秀吉の死後、五大老と五奉行は豊臣政権を支えるために設置されましたが、その後の展開は複雑でした。
五大老の筆頭である徳川家康は、秀吉の定めた掟に反して婚姻政策を進め、勢力を拡大しました。一方、五奉行は豊臣家の財政管理や直轄領の統括を担当し、政権運営の中心的役割を果たしました。
しかし、家康が力を増すにつれ、豊臣政権内の権力バランスが崩れ、最終的には関ヶ原の戦いへと、、、。
まつりの六
成すべきことの為に出逢う。
これもまた人というものではないか。
これから先、五人が如何なる道を歩むのかは解らない。
ただ、きっと、この花を五枚の葉はずっと忘れないだろう。
あぁ、なんて素敵な文章なんでしょう。
この五人の最期を知っている私は、とても切ないけれど読んだあとは清々しい気持ちになれたのは、きっと今村翔吾という作家が大衆へのメッセージを投げかけてくれたに違いない。
また、六葉のまつりとしても良いほど大谷吉継の存在感も、この作品をさらに素晴らしいものにしています。
私個人としては、まつりの肆のところで石田三成のある台詞に涙が出るほど笑いました。少しすっきり?
新しい石田三成像を打ち立てた【八本目目の槍】そしてこの度の【五葉のまつり】。
この続編は最終章の【関ヶ原の戦い】へ?
ますます、今村翔吾さんから目が離せません!