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強烈な罪悪感で抑圧されていた本音

母親が亡くなってから20年近く
強烈な罪悪感を抱え、自分を責め続けてきた私は
ようやくそれを手放すことになりました

それでも、完全に消えたわけではなく
過去の自分を振り返っていくと
どうしても自責の念が蘇ってきてしまいます

そんな中、出会った本に
心の奥底にある痛いところをたくさん突かれ
改めて母親とのことを考えることにしました

不安な緊張に悩む執着性格の人は
仕事熱心である。しかしその仕事熱心も
他人に批判されたくないから
仕事熱心なだけである。

母を捨てきることができない限り
どこまでいっても仕事熱心は
他人に受け入れてもらうための手段としての
面を残してしまうのではなかろうか。
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自分の母は自分を拒絶しているということを
心の底では気づいている。しかし恐ろしくて
それを意識できないことも多い。

しかしこの事実を受け入れて、両親について
理想化された期待を抱かないことが大切であろう

「愛が憎しみに変わる時」より

これを読んだ時
私が子供の頃、毎日イライラしていた母親に
何度も「うるさい」と言われ
ある時から話すのをやめたことを思い出しました

心配をかけたくない一心で何も話さなかった
とずっと思っていたけど

そうなるよりもっと前に
私は母親に話をすることを諦めていたのです

そして、その頃の私は
母親より父親のほうが好きだったけど
小学生になって、暴言を浴びるようになり

後にそれが母親に向けられるようになってからは
父親が悪い、母親がかわいそう、
という思いに変わっていきました

でも、私は何もできず、
思えばその頃から罪悪感を抱き始め
年々それが強固なものになっていった気がします

母親が病気になったことで
さらに自分の無力さを思い知り

何もできないまま亡くなってからは
その強烈な罪悪感を一生抱えていくつもりでした

実際は違うけど
私の中では、母親は父親に殺されたと思うほど
父親のことを憎んでいたのに対し

あまりにも強すぎる罪悪感のせいで
母親を悪く思うことは一切ありませんでした

父親から暴言を浴びている子供の私を
黙って見ていた母親を思い出した時も

母親が何も言えなかったのは仕方ないと
庇う気持ちが出てくるし

最初に書いた通り
毎日イライラしていた母親のことも

父親の女性問題や私と小さな妹2人の世話で
全く余裕がなかったのだろうと考えると

罪悪感を手放すことはできても
どうしても母親のことを悪く思えないのです

先日、心の師にも
「親が悪いことをしたことは間違いない」
「悪いことは悪いと認めればいい」と
言われたはずなのに…

でも、それを認めて受け入れないと
私は不安な緊張に悩まされ続けることになると
この本を読んで、改めて考えさせられました

ものすごく難しいけど諦めず
引き続きしっかり自分と向き合っていきます


最後まで読んでくださってありがとうございます

どうか、みなさんが少しでも心穏やかな時間を
過ごすことができますように

Avoir

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