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書籍レビュー:『投資依存症』

「投資はギャンブル」という警鐘

末期がんという状況で、残りの命を燃やすように、
執筆や情報発信に力を入れられている経済アナリスト森永卓郎さん。
彼の最近出版した本に『投資依存症』という書籍があります。

この本は、投資をまだ始めていない人や、始めたての人、
あるいは株式を中心とした投資を行っている人に向けて書かれており、
「投資はギャンブル」という強い警告を発しています。

私は投資を行っている身として、
この主張には賛同できる部分とそうではない部分があり、
このnoteで理由を説明したいと思います。

書籍に同意できる点

森永さんは、
「投資はゼロサムゲームであり、詐欺師か胴元だけが儲かる。
本人は資産のアップダウンの快楽に振り回される。
それは、ギャンブルそのものだ。
投資行為は即刻辞めて、手元に預貯金として持っておくのがいい」と
強調します。

これについて、私は一部同意します。

詐欺リスク

それは、「詐欺師と胴元が儲かる」という点です。

私も体験から学んだことは、
投資で最も注意しなければならないリスクは、
株の暴落ではなく詐欺リスクです。

投資経験が浅いと、
権威のありそうな「投資の先生」をマネしたりうのみにしてしまいます。
先生からのの情報がデタラメであったり、ぼったくりであったりしたら
どうでしょうか。
また、投資を行う多くの人が、
「お金で豊かになる」という夢や幻想を抱きがちです。
そこに、怪しい広告の投資案件があった場合、
すべての人がその広告を無視することができるでしょうか。
おそらく、欲に振り回されず、正しい投資情報を見分ける知識がなければ、
賢明な判断をすることは難しいのではないでしょうか。

胴元は儲かる

また、投資においても胴元は一定の収益を上げます。
株においては、売買手数料。信用取引においては金利や貸株料。
FXにおいてはスプレッド。投資信託では買付手数料や信託報酬など。
インデックス投資がなぜ優れた投資法なのか、
その理由の一つは、
胴元に支払うお金が他の投資よりもずっと少なくて済むからです。
また、資産の流動性が高く価格操作もされにくく、
たこ足配当などのインチキをされずに済むでしょう。

投資は快楽に振り回されやすい

次に、投資は快楽に振り回されることにも7割同意します。

「お金が入るかもしれない」という期待だけで、
脳は快楽物質ドーパミンを放出します。
資産価格が上がり、利益を含むようになると、
「今これだけ儲かっている」と上機嫌になります。

インデックス投資で積み立てた1000万円が、
株の上昇相場で、一年で1200万円になっていて、
顔をしかめるということはないでしょう。

地道な投資であるインデックス投資でそうなのですから、
さらなるリターンの可能性がある個別株投資やFX、
短期売買については、
気分のアップダウンが激しくなることは容易に想像できます。

また、堅実な投資家から見て、
身の丈にそぐわない大きな投資をしたり、
一攫千金狙って売買繰り返す投資家を
「ギャンブルしている」と指摘します。

これは投資のリスク管理が行えてないことも一因ですが、
投資における「メンタル」のスキルが欠けていることを意味します。
「メンタル」は、
資産や損益の変動に振り回されない冷静さを持つこと
であり、
これがなければ振り回されてギャンブルになってしまいます。

書籍に同意できない点

しかし、残りの3割について私はうなずきません。
森永さんは、自身も投資をしてきた経験があります。
バブル崩壊のリスクを見越して、慎重に金融資産を処分してきました。

彼は快楽とともに「投資のギャンブル」に振り回されたのでしょうか。
書籍には「私は投資に振り回された」という一文はなく、
計画的に投資行為をしていたと考えられます。
書籍では、このような堅実な投資の記述は少ないように見受けられます。

100人が一斉に投資を始めたとき、
うまく投資行為を行えず、ギャンブルに近いことをしてしまう方は
必ず出てくるでしょう。
これは人間の本能に根差すことなので、
投資の失敗する人をゼロにすることはできません。
「投資に失敗する人は少なからず出る」ことの警鐘という意味においては、
『投資依存症』という病気を想起させる本のタイトルは意義があります。

投資とギャンブルの違い

投資とギャンブルは両方とも確率的で不確実性があるものの、
投資にはギャンブルと異なる点があります。

ウォーレン・バフェットの投資法

投資の神様ウォーレン・バフェットは、株の投資で莫大な利益を得ました。
彼の行っていたことは、
買収あるいは株を買う企業の事業を吟味し、その優秀さを認めたとき、
市場で評価されているほど悪くなく、安いときに買うというものです。
「証券としての株の価値」と「事業を買収するコスト」を等しいものとして、とらえた投資法です。
これはギャンブルでしょうか?
バフェットは株価の上がり下がりを気にしていません。
株の投資には、株を事業買収のようにとらえたり、
株の割安性に注目する投資法が存在します。

書籍は株の集中投資が大前提

『投資依存症』は株資産への集中投資が大前提にあります。

投資には、株だけでなく債券もあります。
日本の国債に投資すると、個人向け国債ではなく利付国債の場合は、
金利によって価格が変動します。
しかし、日本の財政破綻がない限り、満期に額面が全額返ってきます。

ゴールドの場合はどうでしょうか。
森永さんの言う株の暴落理論はゴールドには通じません。

また、ゴールドは物価高(インフレ)に対して効果的な資産です。
株ではなく、現金4:ゴールド1で投資を行っていたとしたら、
これはインフレ対策した「堅実な」投資にならないでしょうか。

著者はバブルの危険性について指摘しますが、
株、ゴールド、現金すべての価値が同時に0になることはあり得ません。
(なったときは、価値を決める人がいなくなったときです)
ならば、それらを分散して持っているということは、
堅実な投資にならないでしょうか。

ポートフォリオという考え方

ポートフォリオは、本来インデックス投資の前に学んでおくべきものです。
現在の日本は、株資産のインデックス投資の集中投資に傾きすぎています。
集中投資をすれば、価格の振れ幅は増幅されます。
それが、書籍の指摘する依存症的になる問題点の、
一つの理由ではないでしょうか。

価格の振れ幅は、ポートフォリオの分散投資で抑えることができます。
ギャンブル的な振れ幅で投資する必要は全くないわけです。
堅実な投資、振れ幅を抑えた投資で、
ギャンブルとは距離を置くことは可能だと私は考えます。

投資はゼロサムゲームか

投資はゼロサムゲームでしょうか。

これに対する反論は、
「株が企業の生み出すお金に対する価値である」という論理です。

株価に対する経済学の理論

株は、
「証券として将来にわたって貰える配当の現在価値が株価」
という理論があります。あるいは、
「企業に将来にわたって生まれるお金(フリーキャッシュフロー)の現在価値が株の価値」
という理論もあります。

これらの理論は大雑把な株価しか求められませんが、
意味するところは、
「なんの理由もなく株の価値が0になることはない。
企業成長が株の価値を上げる」ということです。

「企業価値が上がるのであれば、
その企業の株を買う投資家は長期においてはプラスサムである」という主張は多くなされています。

もし株価が0になるが起こった場合、
市場の株に対する値付けが間違っているか、
根本の企業に何らかの問題が発生したことになります。

株価が0になるためには厳しい条件が必要

森永さんは、さきほどの配当と株価に関する理論において、
「完全競争市場では利益はゼロになる」という
経済学の法則を当てはめることで、株の価値は0になると主張しています。
これが著者の株の価値は0になるという論拠の一つです。
これは本当でしょうか。

私は経済学には詳しくありません。
しかし、
経済学は完全に物事を再現するような科学ではないことを知っています。
「完全競争市場」についての定義を調べてみましたが、
これは現実に非常に当てはめにくいシビアな条件ではないかと
私は考えています。

市場の参加者に唯一絶対正しい人は存在しない

投資でよく出てくるキャラクターに、
「楽観論者」と「悲観論者」がいます。

楽観論者は株が長期にわたって価格を上げていくことや、
暴落があってもいずれ価格は戻り、
長期で資産は棄損されないことを主張します。

悲観論者はその逆で、「株はいずれ暴落する」と警告します。
暴落があれば、「この通りだ」と自慢げになりますが、
平常時も警告をしておけば下がったときに予想が当たることになるため、
「ずるい立場」と指摘されることがあります。
また、繰り返し警告するのでオオカミ少年になりやすいでしょう。

どちらも説得性の高い論理を持っています。
両者のどちらが正しいのか。
それは、どっちも正しいことがあるということです。

将来はどちらの立場であっても本来わからないということこそが、
投資の本質の一つである「不確実性」です。

森永卓郎氏は、この分類において「悲観論者」です

若干皮肉なことになるのですが、
「楽観論者」と「悲観論者」どちらかに傾倒することは、
投資行為において間違いを犯しやすくなる
ことがあります。
バランスが大事です。

もちろん投資しなければ、お金を不用意に失うことはないでしょう。
しかし、投資を知らないことで物価高に対して無防備になり、
どうしてその状況に陥ってしまったのか、
年々貯金で買えるものが少なくなってしまうのか、
その理由を勉強することもできない可能性があります。

さいごに

日本人はギャンブル好きな国民性があります。
したがって、ギャンブルになりえるものに対して、
「君子危うきに近寄らず」は間違っていません。

しかし、ポートフォリオ投資、インデックス投資によって、
多くのアメリカ人が老年を生活していけるだけの資金を作った事実は
無視できません。

十把一絡げに「投資は危険」としてしまうことが、
投資とその金融リテラシーによって、
救われる人の可能性も潰えてしまう可能性があります。

投資に関して、暗黙とはされていますが、非常に重要なことに、
「投資に資金を充てるための収入を増やす」ことがあります。
投資で増やすため最初の資金は、まず稼ぐということなのです。

これは、すでに収入が高い人には有利な資本主義の仕組みです。

投資にエネルギーを割くということは、
少なくない人の労働意欲・経済活動に熱が入ることと無縁ではありません

現在の日本で、
投資は「少なくなる年金を補うもの」の位置づけが強いですが、
ゆくゆくは労働生産性を上げ、賃金収入を上げるという議論が、
投資と結びついていくこともあるのではないでしょうか。
そういう意味での日本人のマインドの変化は興味があります。

以上、森永卓郎氏の『投資依存症』のレビューでした。


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