漂白された世界 ―伊藤計劃『ハーモニー』―
夭折の天才伊藤計劃氏の「スワン・ソング」、すなわち遺作である『ハーモニー』(ハヤカワ文庫)は、デビュー作『虐殺器官』の(間接的な)続編である。舞台は21世紀後半、前作に描かれた出来事が発端の「大災禍(The Maelstrom)」を境に一変した世界であり、「生命主義(lifism)」によって人々が支配されている。ほとんどの病気が駆逐され、何の不自由もない世界で、それでもなお世間に対して不満を抱く少女たちがいた。
主人公、霧慧トァンは、世間の価値観に反抗心を抱く少女たちの心中事件の生き残りである。成長したトァンは世界保健機構の役人になったが、世間の「良識」に反して密かに酒やタバコをたしなんでいた。そんな彼女は日本に帰国して、もう一人の生き残りである親友の一人零下堂キアンと再会し、共に食事をするが、テーブルについたキアンはトァンの目の前で自殺してしまう。
「ごめんね、ミァハ」
全世界で同時に自殺事件が発生し、トァンは事件の背後に、すでに死んだはずの女、すなわち、もう一人の親友だった御冷ミァハの影を見出す。
前作『虐殺器官』では知識人ジョン・ポールが物語の「魔王」だったが、『ハーモニー』では鋭い知性を持つ少女御冷ミァハがその役割を負っている。トァンとキアンは、独自の哲学と理念を持つミァハに魅了される。この三人の密接な共犯関係は、他の何者も寄せ付けない。
そのかつての親友ミァハを追い、トァンは奔走する。実は生きていたミァハは何を企んでいるのか? かつてのジョン・ポールの再来のような不気味なカリスマは、トァンの訪れを待っていた。
ユートピアとディストピアは紙一重というのは、まさしくこの小説に当てはまる。イメージカラーは白、どこまでも続く白の空間だ。物語は清らかに終わっていくが、それは限りなく天国に近い地獄だ。そこには「個人の意志」はない。何だか、ゲームの『女神転生』シリーズの「LAW」のようだ。「意識のない(のに生きている)人間」というのは、『ファイブスター物語』のアマテラスのミカドが元々「感情を持たない存在」とされるのを連想させる。しかし、よくよく考えてみると、我々「普通の人間」の感情も人為的というか、後天的なものも少なからずあると思うのね。
ちなみに、ヒロイントリオの名前はケルト神話(厳密に言えばアイルランド神話)の登場人物に由来する。しかし、いずれも本来は男性名だった…なして?
実は伊藤氏は最初は登場人物の性別を決めていなかったと、解説にはあった。なるほど、道理でストーリーや登場人物から性的な匂いが漂ってこない訳だ。ヒロインが妙齢の女性(しかも、非不美人、すなわちある程度の美人)なのに、しかも酒やタバコをたしなんでいたのに、なぜか「男」の匂いがないのは不思議だったが、この小説の世界では人々の「性」もキチンと管理されているのだろう。
そういえば、この小説の世界における障害者や性的マイノリティの立場が気になるけど、我が最愛の漫画『ファイブスター物語』だってそうだな。ダイアモンド博士以外にも「中性」の人が少なからずいてもおかしくないのに。
いや、トァンさんは単に色事に対して無関心だったのかもしれないですね。
【核P-MODEL - Big Brother】
むしろ、この小説の世界にいるのは「Big Sister」かもしれない。
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