見出し画像

「女のび太」の成長記 ―安田弘之『ショムニ』―

 改めて読んで知った意外な事実。ドラマ版『ショムニ』で本来の主人公を押し退けてメインヒロインの座に収まっていた坪井千夏は、原作によると、高卒で満帆商事に就職していた(ドラマ版では大卒らしい)。90年代当時は、地方(ちなみに千夏の出身地は、原作者の安田弘之氏と同じく新潟である)ならともかくも、東京都内のある程度の企業(それも、曲がりなりにもデスクワーカー)では意外だな。

 それはさておき、私はアマゾンで講談社漫画文庫版『ショムニ』を注文して読んだ。改めて読んでみると、良くも悪くも90年代らしい漫画だよなぁ…というのが正直な感想である。「悪くも」というのは、要するにストーリー上での「処女蔑視」なども含めた異性愛主義ヘテロセクシズムの事だが、この辺は現在では色々と批判される余地があるだろう。そう、90年代とは、日本でヘテロセクシズムが絶対的だった最後の時代である。
 ちなみに、森奈津子氏の連作短篇小説集『耽美なわしら』は、『ショムニ』と近い時期に執筆されたものだが、そちらは『ショムニ』とは違って主要人物たちが性的マイノリティーだ。
 そんな90年代、ヘテロセクシズムの荒波に揉まれつつ生きていくヒロイン、塚原佐和子の人間としての、そして女性としての成長こそが、本来の『ショムニ』のメインテーマだ。

 ドラマ版では千夏のみが事実上|(メインヒロインというよりはむしろ)唯一のヒロインだったようだけど、原作では佐和子がメインヒロインである。仮にこの人が少女漫画のヒロインだったら、顔立ちと立場とのギャップがあったハズだ。この漫画の佐和子は目が小さい地味顔が立場と釣り合っているのね。あと、右京の性格的な「弱さ」にもリアリティがある。こちらも仮に少女漫画だったら、ある程度性格的に美化されていただろう。
 佐和子が女性版のび太ならば、当然、千夏はドラえもんとジャイアンを兼ねた立場という事になる。千夏はいわば、佐和子にとっては「天敵」と「師匠」を兼ねた存在なのだ。ドラマ版では千夏一人に主役の座を奪われた佐和子だが、原作は基本的に佐和子の成長物語である。しかし、そんな佐和子の恋人となる右京君が問題だ。この漫画とモーニング連載期間がある程度重なっていた榎本俊二氏の『えの素』の二比にっぴススムと似たような迷走をしている。さらに、男性版しずかちゃんというよりはむしろ、『まじかるタルるートくん』の原子はらこのパロディみたいな印象すらある。その道のりは厳しい。
 本来の『ショムニ』は、千夏の武勇伝ではなく佐和子の成長物語がメインテーマである。佐和子は序盤に比べて、自立した大人の女性としての魅力と自信に満ち溢れる顔つきになった。しかし、男二人を手玉に取るまでに成長しても、女性ホモソーシャルでの立ち位置は以前とほぼ変わらないというのが「現実の厳しさ」を思い知らされる。あと、佐和子が新たに右京の「母親代わり」になるという結論は、一般人女性フェミニストが増えた現在では批判する人が少なからずいそうだ。まあ、当時は他にポリアモリーを肯定する描写が難しかったのだろう(今もか)。

 佐和子は曲がりなりにもずいぶんと成長したのに、右京の成長は佐和子の足元にも及ばない。それが「男は子供だから」という主張のためだとすれば、これまた今時のフェミニストたちに批判される余地があるね。

【椎名林檎 - 本能】


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?