鬱がきた
久々に鬱がきた。
誤解なきよう書いておくと医学的には鬱ではなく、一時的な抑うつ気分に過ぎない。
元気な時は鬱状態のときの思考を忘れてしまうし、理解できなくなってしまうので、今のうちに鬱の私の感覚を書き残しておこうと思う。
何かのきっかけ(たいていは母親からの連絡)で幼少期の感情を生々しく思い起こしてしまうと、簡単なトリガーで数日間は無力感と諦念と希死念慮の嵐に襲われる。
嵐が去ればけろっと忘れて日常に戻ることができるのだが、渦中にいるときは永遠にこのままのような気がしてさらに絶望する。
何をしていても何を考えていても、死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい、が思考のベースにあり行動する力を奪われる。
起き上がらなきゃ、と思うが起き上がるのが怖い。何が怖いのかはわからない。
死にたい死にたい死にたい死にたい起き上がらなきゃ死にたい死にたいなんで起き上がれないんだろう死にたい死にたい早く起き上がってすべきことをしたいのに死にたい死にたいもう何も考えたくない何も感じたくないもう嫌だ死にたい死にたい。
ほんとうにこんな感じになる。
頭ではあれをしたいこれをしたい、あれをしようこれをしようと考えているのに、心は「どれも絶対嫌!自分のためになることなんてなにひとつしたくない!」とへそを曲げる。
自宅ならば動かないことが許されるので、身体は心に従い、ままならぬ心と身体に頭が癇癪を起こして自分を否定して責めて、わけがわからなくなる。
今日は仕事があったので出勤した。
いつも通り、いやいつも以上に明るく業務をこなすのだが(わたしが死にたくて自分のことに対しては思考停止してしまっていることなんて誰にも気づかれまい)、背景にはずっと高密度の死にたいが流れ続けている。
食欲もなく、自宅なら絶食して過ごすだろうが、仕事に支障はきたせないので食べる。
仕事だと強制的に「いますぐ対処する必要がある義務」が与えられるから交感神経が亢進するので動ける。動けないことによる自責で傷つくことはないのでとても助かる。
こういう仕事の使い方は不健全だと思うが、仕事に救われているところは大いにあると思う。
ある意味医者の仕事が天職なのか?
精神状態が良好な時は自由と裁量を求めて外に出ようと思うくせに、精神が崩れれば不自由と裁量のなさに救われる。
どうすればいいんだ。求めるものが精神状態によって大きく左右されて進むべき道がよくわからない。
ひとつだけ明らかなこと、今のわたしに完全な自由と裁量を渡しては駄目だ。
きっとあっというまに動けなくなってしまう。
文句垂れながら組織に縛られて生きる方が結局私に合ってはいるのかもしれないが、それはそれとして、挑戦しなかったモヤモヤを心に抱えたままずっと生きていくのも嫌だ。
それらを踏まえると、きっとこの先すべきことは、完全な自由を与えても動けるように心を回復させながら、次なる縛りを新たな形で次々自分に課していくことなんだと思う。
そんなこと、きっと言うは易いが行うは難し。
でも未来の自分の道標になるようにとりあえず、とりあえず文字に残しておく。