“青いままでいい”①
解散したバンド、”Hi Cheers!”の歌に「青いまま」という曲がある。多くの人は「青い=若さゆえの未熟さ」という意味に捉えているかもしれない。青春時代の、まだ未熟であるがゆえの心情を描いた歌だと感じる人が多数派ではないだろうか?
ただ、私には「青い=病気」とも映る。終わりが見えない病との戦い、そして苦しみを経験した自分へのメッセージを表しているように思えてならない。
それは、私の過去の経験が大きな要因だろう。
※一部、センシティブな内容を含んでいます。体調がすぐれない方は閲覧をお控えください。
※筆者は精神医学の専門家ではなく、病気の経過や治療法などを示すものではありません。あくまで個人の体験記としてお読みください。
時は遡り2021年。絶好調だった私は、日本記録樹立、そして東京オリンピックの日本代表にまで上り詰めた。一方で、オリンピック本番で走れなかった悔しさから、来年こそはとリベンジに燃えていた。練習量は増え、苦しい練習にも果敢に立ち向かっていった。
時は同じくして、仕事も忙しさを増していった。始業前に一仕事終えるのは当たり前。土日も職場に足を運ぶ生活だった。
加えてリレフェスの企画も忙しさに拍車をかけていた。現中京大学クラブの川端魁人選手とともに、ヒアリング、プレゼン資料作り、ミーティングなど、より良いイベントにするために毎日計画を練っていた。
また、当時の私は柔軟な思考が欠けており、「練習せねば」「勉強せねば」「資料を作らねば」という思いに囚われていた。日々のスケジュールをこなすことに必死で、自分自身に対する余裕を持つことができなかった。全てにおいて完璧を求め、「このままではいけない」とますます自分を追い込んでいった。
気づけば些細なミスを繰り返すようになる。その度に、自分に失望するようになっていった。
「ああ、自分はこんなこともできないのか」
ミスをする度に全身が自分への失望に包まれる感覚は、今でも鮮明に覚えている。
陸上にも取り組めなくなっていった。競技場に足を運んでも涙が止まらなかった。何が悲しいのかも分からない。やっと涙がおさまっても、当然練習には身が入らない。ほとんど練習せずに帰宅する日々が続いた。
痩せていることも、周囲に指摘されて初めて気付いた。久しぶりに体重計に乗ると、驚くほど体重が落ちていた。そういえば、食事もろくに食べていない。
睡眠の質も量も、気づけば悪化していた。明け方まで寝付けないことはしょっちゅうだったし、早く寝られても早朝には目が覚めた。
「死にたい」と思い始めたのはいつだっただろうか。
流石におかしいなと感じたが、その時にはもはや行動を起こすだけの力は残っていなかった。
そして、行動を起こしても無駄だとも感じていた。
こんなこともできない自分に価値はあるのだろうか?生きていても周囲の迷惑になるだけではないだろうか?
誰にも何も話さず、人知れず涙を流す日々だった。
そんな私にも転機が訪れる。
ある日、精神科の先生が、元気のない私に気付いて声をかけてくださった。そこで初めて、希死念慮があることを打ち明けられた。
労いの言葉をかけていただき、できるだけ早く受診するよう勧められた。信頼できる医師に連絡をとってもらい、すぐに受診することができた。
これでもう一安心。
…とはならなかった。
休職して実家に帰っても、何も良くはならなかった。
第1回はここまでです。これから、お休みしていた2022年〜現在までの話をしていこうと思います。
特に前半は暗い話が多いですがご容赦ください。
次回は9月に公開予定です。→8月23日(金)に変更しました。
第二回はこちらからどうぞ!