大学院生になります。
こんにちは、くらげです。
題名の通り、大学院生になります。といっても、院試はまだ先なので「なる予定」「なりたい」が近いのかもしれない。でも言い切っちゃった方がなれそうな感じがするから言い切っちゃう。
3月から本格的に就活が始まって、ES添削と面接、会社説明会。隙間時間に大学の課題と卒論を進めるそんな毎日。とめどなく時間は進み、毎日があっという間でした。
4月、5月と季節が進み、面接も進み、それ以上にメールで祈られる日々。でもそこまで気にせずに。みんな同じで、企業との縁なのだと言い聞かせた。気にすることはない、みんな頑張っていると言い聞かせました。私の生きていた時間がたった十数秒で読まれてしまう文字だけにされているような感覚にも、いつも評価され続けている目線にもみんな耐えているのだ。
しかし6月、とうとう3月に出した企業がすべてなくなってリスタート状態になったときには私自身がガタガタになっていました。
パソコンに入っている就活用のファイル、その中には今まで出した企業のESの下書きがずらりと保存しているのを見た瞬間に目の前がチカチカしながら暗くなり、息がうまく吸えない、頭いっぱい「落ちる」の文字で埋め尽くされる。涙が止まらなくなり、とうとうファイルひとつも開くこともできなくなった。
夜も眠れなくなり、毎日イライラして、パソコンを開くと涙が出て、何もできない罪悪感でまた泣き、泣いていることにも罪悪感の無限ループ。大学にもぽつぽつと行けなくなり、誰かと話したくもなく、でも一人にもなりたくない。ほっておいてほしいとも思うが、かといって自分一人ではどうにもできないところにまでいたのだと思います。気分転換に外に出ないとと思っても、どうしても最後のドアを開けることができず、涙が出て吐きそうになってしまうのです。
この状況をどうにかしなければ、続けなければ、後がない私はやり続けなければ、と泣きながら何文字かしか進まないESを書き続けました。何に頑張っているかもわからないけど、動き続けなければ止まらない時間においていかれてしまいそうだった。
そもそも、私が就活を選んだのは研究に向いていないと自分で思ったからです。元々は大学院に行って好きなことを研究したかった。でも、終わりのない研究はもちろん辛い。学問の最先端で分からないことを自分自身でどうにかするのは楽しい反面辛い。私はそれに耐えられる自信がなかった。そうしたら自然と就活をする道になった。
院進学を考えていたことは教授にも話していて、「いつでも院に進学すると思ったら話してね」と言ってくれていた。でも、ここで迷っている時点で院進学=就活の逃げ道と自分の中で置いているような気がして。それはそれでよくないことだとも考えて、研究をしたい気持ちを見ないふりをして就活を選んだ。逃げ道になんてしてはいけない、研究をしたいという気持ちだけで通用する世界ではないのだと言い聞かせた。就職するでもやってみたい仕事や夢はあって、これで間違いないのだと思って就活を始めた。それが一番人生において無難だとも思った。冒険を今までせずに結果を置きに行っていた私にとって「就活をする」ということが安心材料だったのです。
その結果、このザマだ。結局やってみたい仕事もできず、何になりたいかもわからず自分をガタガタにしてしまった。後、どれくらいこんな日が続くんだろう。私は何が悲しくて泣いているのだろう。画面がついていないパソコンを見る、携帯をみる、メールを見る、ただ椅子に座る、説明会の動画を見る、ただの生活の一部だったはずなのに何がそんなに悲しいのだろう。好きだったご飯の時間はただの作業になり、あまり味がしなく、ただ1日の後悔を嚙み砕くだけで、この時間が一番悲しくなる。
とうとう自分の生死すらもどうでもよくなり、もはや義務になってしまった大学や就職面接に行く電車の前で呆けて、そのまま3歩くらい進んでしまおう、迷惑がかかるのなんてどうでもいいか、とぼんやり浮かび、我に返って「何があっても死んではいけない」という母の言葉を思い出すのです。そんなことは一生ないと楽観視していた私にずっと言い続けてくれた母の言葉は何年か越しに私を何回も何回も引き戻してくれたのです。
「院進学にしない?」と言ってくれたのは一番近くでおかしくなっていく私を見ていた彼でした。泣いている私を慰めている時、わたしとは対照的にニコニコしながら、
「今まで冒険してこなかったのなら2年間冒険してみない?」
「院が人生で一番楽しかったよ、今より辛いことはあるかもしれないけど、まだ興味があるなら一緒に頑張ってみようよ。」
「研究に向いていない?初めから向いている人間なんていないよ、私はあなたみたいな人は研究に向いていると思っているよ。」
と話してくれました。私にとって就活は「就職をしたい」というより「何かの安心のため」になっており、いつの間にか就職こそが全てだと思っていたのです。就職をしてこういうことがしたいと思っていたはずなのに、「誰かに認められたく、必要とされたい」という気持ちが一番大きくなっていました。
根底にある研究をしたいという気持ちを見つめた時、彼の言うように、今まで置きに行っていたなら一度くらい思いっきり好きなことをやってみるのもいいのかもしれない。研究をしてみて、初めて向き不向きがわかるのだ。
こうして、私の就活は自分で幕を引き、大学院生になる決心を固めました。
彼はいつでも私を応援してくれ、支えてくれ、心配をしてくれました。ご飯を食べない私に毎日おいしいご飯をつくってくれ、眠れない日は眠るまで付き合ってくれ、呆ける私に楽しい話をしてくれました。
「お疲れ様、就活よく頑張ったね」と彼に言われた途端、何かが許された気がした。
これから先どうなるかわからない世界で、最後まで頑張りぬいた人、私のように違う道に進む人、少し休憩している人、等しく偉い。
一度負けてしまった就活、就活をやめると決めた夜、お祝いのアイスをコンビニに買いに行く道を彼と歩きながら、「次こそは、つぎこそはがんばるんだ。」と泣きべそをかきながら歩きました。
これから院試があるので、まだなれるかはわからないですが、なってやりますよここまで来たら。いい結果になりますように。
人生はそんなにキラキラしているものじゃない。でも、誰もそれを教えてくれなく、大人が子供に優しさで隠していた秘密だった。
でも、私はこの道を選んだことを後悔したくない。私の人生すべてを後悔したくない。
人生は一度きりだが、なぜか就活はもう一度やってくる。でも、今度こそ、しっかり向き合ってやる。生きていることが何より大事なのだ。
いつのまにか自分の世界はここしかない!と狭めてしまっていた、今一度、深呼吸を。世界は思っている以上に広いということを再確認。私たちはもっと広く生きていきたいだけなのだ。
大学院生になれたら、ひとまず自分をほめてやろうと思います。
最後までありがとうございました。ではまた。