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絵描きの掌編 胡桃シリーズ 第二話 〜向日葵の心のままに〜


向日葵ひまわりの心のままに


 今日は僕たちの結婚式である。
 この春、二年あまり一緒に生活をした彼女にプロポーズして、今日という日を迎えたのだ。残暑の厳しい八月にしたのは、夏と向日葵ひまわりが大好きな彼女が望んだからだ。まあ、実際式場が空いていたこともあるが。
 温泉リゾート内しつらえの瀟洒しょうしゃなチャペル。着慣れない白いタキシードにもぞもぞしながら、我が新婦を待つのである。
 定番のオルガンによるメンデルスゾーンの結婚行進曲に合わせて、新婦とその父が、僕のところまでバージンロードを歩いてくるのだ。いや、歩いてくるはずだった……。
 扉が開いて姿を現したのは、車椅子に乗った新婦とそれを押す彼女の父親の姿であった。

 彼女の名は胡桃くるみ。笑顔のかわいい病棟勤務のナースである。なかなか意表を突く面白行動を図らずも取ってくれるので、ぼくはほぼ一年中吹き出しっ放しである。
 そんな愛すべき胡桃が、このような姿で式を迎えるというのは悔やまれることではあったが、胡桃らしいといえば、それに尽きる。決して笑い事ではない出来事ではあったのだが……。

 三日前の事だ。
 翌日からしばらく年休を取る予定であった胡桃は、普段以上にはりきって職務に当たっていた。
「明日から待望のお休みだわ。結婚式のあとは思いっきり羽という羽を伸ばしてやるわ! あと半日よ!」
 その日の午後、からの車椅子を押しながら、リハビリに通う入院患者を迎えに行くところ、目的の病室の前で同僚ナースの桃乃さんにばったり会った。
「胡桃ちゃん、おめでとう。いよいよだね」
「ありがとう。三日後はよろしくお願いします。結婚式、来てくれるの忘れないでね」
「胡桃ちゃんじゃあるまいし、忘れるわけないじゃん」
「それもそうだね、あははは」
 そう笑いながら、病室に入ったらしい。
 いつもなら二人がかりの作業なのだが、今日は少し舞い上がっていたせいか、うっかり一人で来てしまった。もうおわかりであろう。歩行訓練に通う患者をベッドから車椅子に移動させねばならぬのだ。いや、一人で充分じゃないかと思われる読者も多かろう。だがしかし、である。
 患者は老齢の女性なのだが、なんというか、そう、中々な体躯の持ち主だったのだ。
「そうだったわ……ひとりで来ちゃった」
 いつもなら応援を頼むところなのに、やはり舞い上がっていたのだろう。踏ん張ればいける! と根拠なき自信をみなぎらせて、そのふくよかな患者の脇に両腕を差し込んだ。
「はあい、私の肩にしっかり腕を回してくださいねえ。せーのー………!」
 ご想像通りの結果である。自分の倍の重さもあろうかと思える患者に全身で頼り切られれば、当然の成り行きなのだ。胡桃は腰から強烈な火花を散らして、その場から自力で一歩も動けなくなってしまったのだ。患者に手を解いてもらうと同時に、
「ナ……ナースコール、ナースコールを押してください、早く押してええええ」
 しかしながら患者にその言葉はどうやら聴こえていない。胡桃は自分の押してきた車椅子に覆い被さるようにして、腰を曲げたまま顔色を失い病室から出て来たところ、再び桃乃さんが通りかかった。
「どうしたの、胡桃ちゃん!」
「やっちゃった……」
 半分白目を剥いて、蚊の鳴くような声で胡桃は答えた。
「あーあ、患者さんのために押してきた車椅子に、自分がお世話になっちゃってるわ。車椅子に座っちゃえば?」
 桃乃さんが冷静に言うと、
「ちがうの! 動けないの! 座れないの!」
 腰を曲げて車椅子に被さったまま大騒ぎである。当然ながら僕の職場にも連絡があった。桃乃さんからだった。
「胡桃ちゃん緊急事態です。結婚式あやうし」

 胡桃はひと通り検査と処置を終え、ベッド上に尻を立てたままうつ伏せになってじっとしている。僕は胡桃の可哀想な姿に駆け寄ると、
「大丈夫か!」と言いながら語尾が震えてしまった。
「痛いの! 結婚式できない!」と、目に涙をためて訴えた胡桃の顔が……すまない……面白すぎたのだ。なぜ、白目にする必要がある? 胡桃は吹き出した僕をうらめしそうに睨みつけて、
「早くうちに帰りたい」と言った。
 通用口に車を回してから再び迎えにくると、彼女はさっきのポーズのまま、鼾をかいて眠っていた。
 痛がる胡桃をなんとか車に乗り込ませたが、座ることができない。結局彼女は曲がった腰のまま、後部座席の背もたれにしがみつき、半立ちのポーズで後ろ向きにスタンバイした。目が怒っている。
 いつもよりずっとゆっくり慎重に運転しているのに、車に酔った、痛い、結婚式できない、と散々言い続けている胡桃をルームミラーで確認するたび、つい笑ってしまう僕は、きっと幸せなんだろうなあと思う。

 三日後、結婚式当日。つまり今日だ。
 どうにか多少の移動はできるまで回復したが、腰を伸ばして歩くわけにはいかず、結局車椅子での移動を強いられた。ウエディングドレスのファンデーションであるコルセットは、腰痛患者用のコルセットにとって替わった。ヒールは形ばかりだが履くことはできた。胡桃の憧れていた長いベールは、新婦の父が車椅子を押すのに邪魔だから短いものに変えられた。やはり胡桃の目は控えめだ怒っていた。頼むからそんなに睨んだ顔をしないでくれ。白目が……ぷっ。
 神父さまの祝福のもと、指輪交換の際に立ち上がる彼女は、ぐぐぐぅっと踏ん張りすぎて得意の半白目になった。その顔が設置されたモニター画面に大写しになって、列席者がこらえきれずに、静粛な堂内が涙と笑いで渦巻いたことを付け加えておこう。

 向日葵の花束を抱えた彼女は、最高の笑顔で僕のお嫁さんになった。


勤務中に、眠くなるとわざと白目を剥いてみせる、向日葵が大好きな同僚へ、愛を込めて。

(この物語はフィクションです)

             

向日葵の心のままに



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