絵描きはしばしばいつもの場所に戻る
一握の産土を持ち歩く
こんにちは。絵描きの弘生です。
足元の石畳から、可憐ながら力強く咲く濃いすみれ色のすみれを撮りました。かわいいですねぇ。
名付けるとしたら、
「すみれ色の菫」
ってところでしょうか。
数年前、そんな愛で甲斐のあるすみれ達が、自治会の草取り行事で無残に根こそぎむしり取られ、驚いた私は、根ごと抜かれたすみれ達を持ち帰って、ベランダのプランターに植え替えたことを、ふと思い出しました。
かわいそうな彼女らは、その春は本来の濃い紫を保っていたのに、翌年咲いたのは、退色したように顔色の悪い薄茶紫の……すみれ……さん?
南向きのベランダでしたが、土が合わなかったのでしょうか。まるで違う花になっていました。
良くも悪くも土地や水が変わることは、その質を変えてしまうのですね。
人って、何度も原点に立ち返らなくてはならない場面が、往々にしてあります。
敢えて「往々として」としたのは、私自身、ネガティブに満ち満ちて、そこから逃れたい時に発動する思考だからです。
底が深ければ深い程、原点が何だったかも分からなくなります。
自分の原点てなに? 本質ってどれ?
とまりそうな思考で考えてみても、行方不明の堂々巡り。ひとり部屋の中で、思いつく言葉を大きな声に出して確かめてみる。
息を止めてみたり、部屋をぐるぐる回ってみる。
段ボールに言葉を書きなぐってみる。
余った絵の具を塗りたくって、乾ききった古い板をじぃぃぃっと睨んでいると、何かを握りしめたくなる。
形状の定まらない指のすきまからこぼれ落ちそうな何か。
これは私の原点? 私の素? 分からないけどそんな気がします。
私の生まれた場所。いつもの場所。
私の産土(うぶすな)。
本質を見失わないように、どんな場所に行こうとも、一握りの産土をこっそり忍ばせておけば、自分らしく根をはることができるのかもしれないですね。
月並みですが。
「産土(うぶすな)ー蜘蛛の糸シリーズより」
「蜘蛛の糸」シリーズの創作の一つです。
板に油彩です。
自分が生まれてきた理由、生きている理由、
自分が憎らしい時、愛おしい時、
まもられたい、破壊したい……全部握った指の中。
決して開かないその隙間から、永遠にポロポロと何かがこぼれています。
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