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愛すべきストーカー男の偏愛ひとり語り 最終話 (全六話)



愛すべきストーカー男の偏愛ひとり語り 





 深夜、川面に映ったぐにゃぐにゃした月を窓から眺めていたんだ。別に満月じゃなかったけど、かっこいい狼男になれたらいいのになあ、なんてあほらしいことを考え、葉流のおかげで僕の自信の欠片はあの川底だ、などと狐面に話しかけたりして。
 川岸近くでぼんやり白い人影が動いた。街灯の灯りはほとんど届いてないが、こんな深夜に何をしてるのか。好奇心で近くまで降りて行くと、人影はしゃがみ込んで、瓶から穴に何かを零しているようだ。
 話しかけたら僕の立場が勘違いされそうな、薄着の若い女性でためらったが、深夜なので放っておくわけにもいかず、
「あの、そこの家の者だから安心して下さい。こんな時間に危ないですよ」
「流れは上から下に」という小さな声が聴こえた。
「は、あ」
「旅立つ前には忘れたくない記憶の粉を埋めておくのです。いつかそれは地下水と混じり川に出ると、うおのような物体になります」
 うわぁ、僕の信じたくないシリーズの話だ。
「誰かが魂の抜け殻の粉をそれにふりかけると、その記憶を持った肉体がかたち造られるのです」
 あれ? こないだ葉流が似たようなこと……
 ぐにゃぐにゃの月はいつしか川面から去っていて、女性は腰をあげた。
「気をつけて下さい、女性おひとりですから」
「大丈夫です。近くなんで」
 小さく会釈すると、ゆっくりと土手を上がっていった女性が裸足だったことに気づいて、それとなく毛穴がザウッと閉じた。

 しばらく目を瞑って川音を聴いてから歩道に上がったところ、
「あんた、望んでずっとそこにいるのかい? そこは楽しいのかい?」
 何だよ、いきなり怖いじゃないか! 本気で妖怪だと思った。大体何言ってるんだ、この婆さん。
 あ、やばい。薄暗がりでも判断できるその姿……
「あんた、鏡の表面ばっかり見てるんだろ。上っ面、虚像。川面に姿映してみろ。上っ面の姿はぐにゃぐにゃ絶え間なく流れてくんだよ。あんた、いつまで瞬きひとつで切り取られたとこにいるつもりだい」
 何か戒めめいたこと言ってるっぽいけど、その強烈な姿のせいで、内容が頭に入って来ないんだよ。身につけてるのは薄汚れた桃色の裾除けだけ。え? それで大丈夫なんですか? 大丈夫なわけないだろ! かなりなお婆さんと言えども目のやり場に困る。
「ああ、河原に下りるときは、境目の守り神にこうして手を合わせるんだよ」
 そう言って、河原の土手道と僕の家の前の道の分岐地点に在る道祖神に恭しく手を合わせたあと、皺々の中の細めた目でにぃっとした。毛穴が閉じる。

 不可解ロードスターデートから一週間、相変わらず着信拒否解除されない僕が心配したのは、あれから葉流の部屋に電気が点かないどころか、ベランダに洗濯物が一日も干されていなかったことだ。具合でも悪いのだろうか。ちゃんと生きてるよな。
 そこそこイケメンの自分の姿を鏡で確認。口実の狐面を忘れずに……あれ? 面がない。その代わり葉っぱを模したピン留めがひとつ、前からそこに置いてあったようにしれっと存在していた。
 何だこれ? 少なくとも僕の物ではない、当たり前だが。確認するまでもなく、紛れもなく、疑う余地なく、あの日葉流が前髪を留めていたピンだ。それは分かるのだが、なぜそれがここにあるのかが分からない。ついでに言うと、あの嫌がらせかと思うほど存在感たっぷりの狐面はどこへいったのか。
 とにかく葉流の元へ急行だ。消えた狐面のからくりを訊き出したいし、もしも寝込んでいるのなら、僕の優しさの本領を再び発揮するチャンスだ。  
 ポケットの中のピン留めを確認して、葉流にぴったりの真っ赤なガーベラの花束を手に、チャイムを鳴らす。……鳴らす、鳴らす、鳴らす鳴らす鳴らす……
 応答がない。留守か居留守かはたまたチャイムが壊れているのか。耳をドアに密着させる。
 ガチャ。ブォン。
 驚いた。突然ドアが勢いよく開き、思い切り顔の側面をぶつけた。
「は、葉流……!?」
 顔を出したのは狐面を被った葉流……なのか? 強い梔子くちなしの香りがした。動かぬ面の真っ暗な小さな二つの穴から、無言のままじっと僕を見ているのか。数秒後、開いた時と同じ勢いでドアが閉められた。
 おわっ。何だよ、怖いな。悪ふざけも大概にしてくれよ。
「葉流! 葉流! 開けてくれよ、葉流!」
 ドアをガンガンと叩いた。何の真似だよ。何であの狐面を被ってるんだよ。分かんないことだらけだ。ますますこんがらがるじゃないか!
 僕が昼間からドアを叩いて騒いでいるので、とうとう隣の住人がスマホを片手に不快感に満ち満ちた、それでいて恐怖と同情をミックスしたような複雑な表情で顔を出した。
「あ、あの……そこのお宅は誰も住んでませんよ」
 間抜けたことを言って、顔を引っ込めるのをすかさず阻止して、
「な、何言ってるんですか?」
「だから、そこには誰もいないんですって」
「嘘だ! ここには葉流、間空葉流まそらはるという僕の彼女が住んでるんだ!」
「うちが越してきた時には……随分前だけど、すでにそちらは空き部屋でしたよ」
「何言ってるんだ? おい! 空き部屋ってどう言うことだ」
「やめて下さいよ。お宅が時々隣を訪ねてくるから気味が悪いんですよ」
 隣人は手に持ったスマホにちらりと目をやってから、
「とにかく無人ですから」と言って、ドアを閉めチェーンロックをする音が聴こえた。
 僕はおそらく世の中で一番呆けたような顔をして、そのドアの前に立ち尽くしていたと思う。ばかみたいに行き場の失った赤いガーベラの花束なんか持って。ポケットの中の……枯れた葉っぱを握りしめて。
 世界が僕の脳みそみたいに渦巻いて渦巻いて渦巻いて……転げ堕ちるようにやっとの思いで階段を降りて、ふらふらと道路に出ると、僕の車の後ろに警察車両が止まっていた。
「ああ、たった今、通報がありましてね、またあなたがこちらのアパートで騒いでいると」
 あの隣の住人か。くそっ、余計なことを。
「違うんですよ。僕は自分の彼女に会いにきただけなんだ。ちょっと大きな声を出したからって通報するなんて、何と無粋な」
「……加我美さん、いいですか。あの部屋は二十年前から空き部屋なの。誰もいないの」
「いい加減な嘘を言わないで下さい。現に僕はたった今、あの部屋の葉流、間空葉流と会った……狐面被ってたけど……あれは……あれは……」
「いいですか、加我美さん。あなたの言う間空葉流さんという人は、その部屋どころか、このアパートには住んでないんですよ。」
 違う違う! 二十年て何だよ! 僕はつい三年ほど前まで、このアパートの葉流の部屋で、葉流の細い脚を抱いて眠ってたんだ。葉流を守るために一緒にいたんだ。警官の声がどんどん遠のいていく。ぐるぐる回転して白目と黒目が混ざってくる。
「間空さんはずいぶ…………転……ます…………」
 警官の言葉が聴き取れぬまま、完全に脳みそがひっくり返った。蔓草がほどける以前にぶっちぎれた。
 手に持ったガーベラの赤だけがばかみたいにやたらリアルだ。僕はブラックアウト寸前のまま、どこかに運ばれて行く。
 回って薄れる意識の中で警官に訊きたかった。
 間空葉流という女性の存在について。もし僕が生み出した虚像なら、こんなストーリー展開になるはずないじゃないか。また蔓草が伸びてきそうだから、自らブラックアウトした。

 「加我美さん、おはようございます。気分はいかがですか。一人で起き上がれますか」
 看護師が病室の真っ白なカーテンを開けて、朝の光を取り込む。眩しい。
「軽い脳震盪でしたから、今日中に退院できますよ」
 脳震盪。想定外の状況だ。
 のっそりと起き上がって、病室の洗面台の鏡を見る。
 え、僕……?
 再び気を失いかけた。涙が溢れ出た。人生で母親を亡くした時以外、一滴たりとて涙をこぼしたことのなかった僕は、初めて声をあげて泣いた。これが二十年の歳月なのか。
 いったい何を求めてどこを生きてきたんだろう。止まった三年間を二十年間も繰り返していたというのか。
 在りもしない葉流を作り上げて、自分で人生をがんじがらめにしていたのか。笑っちゃうな。僕は泣いた。
 でも葉流の感触が残っている。
 右の親指の噛み傷に目をやる。
 僕の脳内で閃光が弾けた。

 俺と出かける時はピッカピカにしろよ
 俺が贈った口紅つけろよ
 俺に黙って髪を切るなよ
 おまえの好きな赤いガーベラ
 もっと喜べよ
 勝手に耳に穴開けるなよ
 下駄履くなって言ったろ
  痛い!
 また絵描いてんのか
 くだらないことやめろよ
  やめて!

 葉流、葉流、俺の震えを止めて
 葉流、動かないで
 葉流、俺をくるんでいて

 誰と電話してんだよ
  痛い!
 勝手に出かけるなよ
 どこへ行ってたんだよ
  痛い!
 男と会ってたのかよ
 今すぐ脱げよ
  痛い痛い!

 動けなくても大丈夫
 素直な葉流はいいこだ
 病気なんか治らなくていい
 俺がずっと守ってやるよ

 絵を描くなって言ったよな
  痛い!
 誰とも会うなって言ったよな
  痛い!
 誰のおかげで生きてるんだよ

  あたしにはあなたが必要じゃない。
  触るな! 本気で噛みつくわよ! 


「加我美さん、お待たせ。朝食ですよ。それから、加我美さんが昨夜何度も言ってた人のこと、検索したら出てきましたよ。間空葉流さんでしたよね、ほら」
 看護師が、プライベートのスマホなのだろう、それを僕に見せてくれた。葉流の情報?
「間空さんて絵描きさんなんですね。ちょうど個展開いてたみたいで、ほら、作品も何点か出てますね」
 葉流! 葉流だ! この世界に存在してくれていたんだ。僕は再び号泣していた。
「加我美さん……泣いちゃった。そのギャラリー名でググったらすぐに出てくるから。ちゃんと食事は摂って下さいね」
 看護師に礼を言うのも忘れて、僕はギャラリーの葉流に関する数行の記事を何度も読んだ。うれしいと涙ってこんなに出るものなんだな。
 葉流が存在してくれていたことに、僕は初めて心からの感謝と幸せを感じた気がした。
 誰にも葉流を見せたくなかったこと、僕だけを信じていろと願ったこと、それがどれだけ葉流と僕自身をぐるぐる巻きにしていたのか。
 澱み濁っていた水が川の流れで浄化されていくように、僕のどろどろを流していくような気がした。
 存在してる尊さ。
 記事には、作品とともにいくつかのシリンダーに入った粉が写っていた。

「『魂の抜け殻の粉』と『記憶の粉』、記憶の種類は様々ですが、作品によって使い分けて、絵具に混ぜて塗り込めるのです」

 と、葉流の言葉が添えてあった。
 葉流、あの赤い空は塗り替えたかい? 
 僕は二十年も同じところにいたみたいだ。僕には三年にしか感じられなかったけど。
 存在してる元気な君を、今本当の意味で素敵だって思うよ。きっと僕、流れを取り戻せる。きっとまだまだイケそう……だしな。瀬津名君には負けない。
 僕は葉流にふられて、ばかみたいだったって思わないよ。記憶は流さない。浄くとどめるよ。

 十時前。
「加我美さん、ドクターの回診後に退院の手続きね」
 看護師が目を細め、にいっと笑った気がした。

 やめれ!



  完


全六話



あたしはあたし








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