現在の私に至るまでの話①
私は、20歳で社会人となったが、今までは、人間関係関係に重点を置き、お世話になった人や、ちょっと迷惑だった人などの紹介と共に、話を進めてきた。
場面緘黙を幼少期から持っていて、それを受け入れてもらえない中、「話さないこと」がコンプレックスのようになってしまった私は、ホテル、レストラン関係の業種へと飛び込んだが、その果てで、重度のうつ病と診断され、2年の療養の後、介護関係のボランティアを経験後、介護の仕事へと転職した。
ボランティアの理事の方の紹介で入った介護施設だったが、精神科薬の服用は継続していて、毎年受ける健康診断で、肝機能の数値が高めと出て、要検査と出てしまうのだった。それを、精神科医は、薬を肝臓で分解する関係で、どうしても高くなってしまうと私に説明をしてきたので、当時の上司にも、その説明はしていたが、理解が得られず、私に保健師からの食事指導を受けるようになどと言ってくるのだった。
それでも、改善が見られないと、会社は、「体調の改善命令に従わなかった」として、4年目の契約を結ばないものと、私に通告して、私はその施設を去ることになってしまったのだった。
お世話になった人の記事は㉒まで書いたが、ここの施設の人達の話であった。
この後の私だが、結構な激動の時代へ入ることになった。
行き場を無くした私は、失業保険をもらいながら、仕事を探す事になるのだが、なかなか良い仕事が見つからず、結局のところ、近場にあったアルバイト募集の張り紙を見ては片っ端から電話をかけるのだった。
その中で、偶然受かったのが、カフェを併設したパン屋での仕事だった。
私はサンドイッチを作る部門となって、初めての食品製造の仕事に入ることとなった。またカフェも併設の店舗のため、挫折したはずの接客もやらざるを得ず、その時の緊張感がフラッシュバックするのだった。
パン屋というと朝早いイメージだが、私は朝7時からの業務に入ることになり、当時、朝に苦手意識があったので、結構な遅刻魔となってしまい、散々に注意を受けるのだった。
パン屋での話の続きは、また次の機会にお話したいと思う。
ここまで、読んでいただき、ありがとうございます。